あずま男の源氏物語@私本源氏物語_参の巻_2

好奇心からでもなく、身体の関係ありきでもなく、まず気持ちの高まりから始まる関係は、エンリケ以来だった。

しかしあの時と違うのは、現状を維持が前提ではなく、育って行く心だ。

今手折りたいわけではない。
かといってずっと同じ関係でいたいわけでもない。

一緒にいるだけでドキドキとする。
心がはずむ。

長い時を一緒に過ごして、いずれお互いの心が互いを唯一大事なモノと思い寄り添い高められた頃に、初めて身も心も結ばれたいと願う。

ああ…これが恋や……

アントーニョはうっとりとそう思った。
きっと結ばれるまで、いや、結ばれてからも自分達は怒り、悲しみ、喧嘩だってするだろう。
でもきっとそれと同じ回数、笑い、なぐさめ、仲直りを繰り返すはずだ。

まだ作り笑いもお愛想も覚えず、まっすぐに自分を見て、笑いたい事で笑い、泣きたい時に泣く。
そんなありのままが愛おしい。
この世で唯一必要な者、いつも側にいるのが当たり前の愛しい人…伴侶である。
あの北山のすずめっ子はきっと自分にとってそんな相手になってくれるだろう。


――教えてやろうか?結婚てどうするものか。

ああ、教えたって。
代わりに俺は恋人がどういうものか教えたる。
それだけじゃなく、好きなもの、嫌いなもの、見たいものなんていうのもお互い全部教えあえればいい。
一緒に泣いて一緒に笑おう。
それが家族、それが伴侶だ。

今までになく明るい気持ちだった。

そして…アントーニョにとって幸いな事に、連れて帰れるまで…と、グズグズと北山に長逗留しているうちに遊び相手としてすっかり仲良くなった紫の上ことアーサーの祖母の尼君が体調を崩し、亡くなる前に後ろ盾もなく身の上の頼りないアーサーをアントーニョに託したいと申し出てくれたのだ。

それにはもちろんサディクの…そしてサディクと懇意になったらしいアーサーの乳母、キクの活躍があったことは特筆すべきことだろう。

――俺は…どうなるんだ?ひとりぼっちになったのか…

幼くとも自分が父からは望まれず、祖母をおいては身内がない頼りない身分だと知っているアーサーは、祖母の葬式のあと、泣きはらして真っ赤になった目でアントーニョを見上げた。
可哀想に、ふっくらと白い頬に幾筋もの涙の跡がある。

「俺もな、母上おらんねん。お祖母様ももうおらん。
せやからずぅっとひとりぼっちやったんやけど…
もし自分が俺と一緒におってくれたら、俺も自分もひとりぼっちやなくなると思わん?」

「…お前も…なのか?」

アントーニョの言葉に、小さな白い両の手がアントーニョの頬を包んだ。
子ども特有の温かい体温が心地いい。

「ずいぶん長い時間か?」
「おん。母上が亡くなってかれこれ17年や。長いやろ?」
アントーニョが言うと、アーサーは子どもらしく素直な様子でこっくりとうなづく。

「長いな…。俺が生まれてから今までより長い」
「そうやな。なあ…せやからもう嫌やねん。寂しいんや。
アーサーが一緒に居ってくれへん?」

同じ身の上…それはアーサーの心をずいぶんと慰め、心強く感じさせたらしい。
大きな丸い目にはもう涙はない。
ぎゅうっとアントーニョの頭を抱え込むように抱きしめて、一緒にいてやる…と言う。

「俺がずっと一緒にいてやるから…もうお前は一人ぼっちじゃないぞ。」
生真面目な顔でそういうアーサーの様子を遠目で見ていたキクは自身も赤い目をしていたが、着物の袖口を手に当てて、小さく微笑んだ。


「大将は大人な優しい方ですね。
アーサー様は少し素直でないところのある方なので、引き取ってやるなどと言われたら、反発なさるでしょうから。ああやって自分の方に必要だと言われて初めて素直になられる方なので、安心しました」

アーサーの都合ではなく、自分の都合なのだと言うアントーニョに対するキクの素直な感想だったのだが、それにサディクは苦笑した。

「大人ねぇ…。い~や、あれは単にお姫ちゃんと大将の相性がいいんでさあ。
大将も他の女の人だとすぐ拗ねるお坊ちゃんですぜ?」

と、その脳裏にはいつも正妻のローデに『お馬鹿さんっ!』と言われてぶんむくれる若い大将の姿がちらついている。

「相性が良い相手っつ~のは、人生を幸せなモンにしやす。
だからお姫ちゃんに出会えてうちの大将もようやく幸せになれるってもんでさあ。
凍りついてた冬の雪が解けて、ようやく春が来たってとこですかねぇ。
ま、俺らもですがね」
とチラリと目線を向ければ、クスリと笑う美貌の若い乳母。

「さあ、そちらはわかりませんよ?
サディクさんのお心が変わらないのを見届けるまでは、雪のように溶けませんよ?」

うちの大将もいつもと毛色が変わったお姫ちゃんに一生捕まりそうだが、自分もそうかもしれない…。

いつもお手軽に気遣いない相手とばかり情を交わしてきたサディクだが、どうも勝手がちがうというか、綺麗でたおやかに見えて、山椒のようにぴりりと辛い、この若い乳母に他になど目を向ける間もないくらい夢中になりそうな予感がしている。

主従共に過去から離脱。
新しい関係で幸せを掴めそうな、そんな気のする初夏の一日だ。

しかしそれは、夏の嵐の前触れでもあったことを、ここにいる誰もまだ知らない。




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