あずま男の源氏物語@私本源氏物語_参の巻_1

恋…それはアントーニョにとって初めてと言って良い感情だった。
そもそもが彼の恋心を伴わない恋愛遍歴は幼少時に端を発している。

実母は幼くして亡くなった。
かすかに覚えているその容姿は自分に似ていた。
だから母を亡くした寂しさは、鏡に映るどこか母と同じ面差しのある自分を見て癒していたように思う。

そんな彼が他人に興味を持ったのは9歳の頃だ。


父帝が母に似ていると言われた14歳の貴族の子を宮中に迎えた。
授かった部屋から藤壺の宮と言われた彼は、なるほど自分に良く似た面差し、つまりはアントーニョの母に似た面差しの少年だった。

「義理とは言うても家族やしな。部屋名で呼ばんでもええよ。
ほんまの名前はエンリケ言うんよ」

5歳違いの義理の親。

父帝には男女問わず多くの妻がいたが、皆、身分低くして寵愛されていたアントーニョの実母を良くは思わなかったため、自然とアントーニョの事も遠巻きにしていて、家族だから、と、親しくしてくれた相手は父と母方の祖母を除けば彼が初めてだった。
いつもいつも孤独だった少年期のアントーニョがエンリケを特別に思うのは自然の成り行きだった。


普通なら子どもと言えども父帝の妻と御簾を通さず接するなど許されないことであったが、二人があまりにもよく似た面差しだったためだろうか…。
父帝は二人に血のつながりがないという意識が希薄だったらしく、まるで本当の親子や兄弟のように過ごさせていた。

まるで幼少時に無くした母親の分の愛情を埋めるようにエンリケはアントーニョを可愛がったし、アントーニョも乾いた心に染み入るようなその愛情を一身に受け入れた。

しかしその温かな関係もやがて終わりを告げる。

エンリケが帝に嫁いでから3年後、アントーニョ12歳の時である。

アントーニョもこの時代の貴族の子息としてはそろそろ大人として元服をする年頃だ。
いくら家族とは言え、血のつながりのない父帝の妻の御簾の中に親しく入って良い立場では当然なくなる。

さらにアントーニョは宮中の争いを避けるため、元服を機に正式に臣下に下る事になったが、彼の立場を案じる父帝は、これに権力者である左大臣の姫を娶らせる事に決めたので、さらにその距離は開くことになった。


開く家族と慕う人との距離、愛情のない結婚…やがて訪れるであろうその未来にアントーニョの心はひどく傷つけられた。

しかし帝の子という立場を離れれば、所詮はただの12歳の子どもである。
何ができるわけでもなく、モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、その絶望的な日を待つしか出来ない。


そして…とうとう元服を翌々日に控えた夜。
割り切れない気持ちを抱えたアントーニョの元にエンリケから一足早い祝いの品が届いた。

祝うのか…この状況を?
唯一の家族と慕う人から引き離されて見知らぬ姫と婚姻関係を結ばされるという状況を?

頭に血がのぼった。
どうやってとは覚えていないほど怒りと悲しみに打ちひしがれ動揺した状態で、アントーニョは気づけばエンリケを訪ねていた。

「ああ、やっぱり来たんか。しょうのない子ぉやね」
まるでわかっていたかのようにアントーニョを部屋に招き入れるエンリケ。

「これが最後やよ?」
と、アントーニョを御簾の中に招き入れて抱きしめると、頭を撫でる。

「人は皆、子どものままじゃおられん。もちろん自分もな?」
なだめるように諭すように言うその言葉に、こらえていた涙が溢れでた。
寂しくて悲しくて…そして、また孤独な生活に戻るのが何より恐ろしかった。

「アントーニョ…大人になり?」
という声に
「嫌やっ!」
と小さな子どものように泣きながらかぶりを振る。
それに頭上で苦笑する気配がした。

「ほんま、しゃあない。
祝いのおまけや。俺が大人の男にしたるわ」
「…?」
「誰にも秘密やで?誰かに知られたら俺もお前もただではおられんからな?」

エンリケがあまりに綺麗に笑うので、アントーニョはそれが恐ろしい事だとは思わなかった。
促されるままついその前の瞬間まで親とも兄とも思っていたその相手の中に押し入り、一つになる心地よさに酔った。


――気持ち…ええ?
柔らかい声で問われる言葉に夢中でうなずく。

愛され、保護され、包まれていると感じる。
それはまるで母の胎内にいる胎児に戻ったような安心感で……


柔らかな香のかおりに意識が覚醒する。
精を放ったあと、眠ってしまったらしい。

少し離れたところで座っているエンリケは、もう身支度を完璧に整えてしまったのか、さきほどの甘やかな時間の余韻もない。

「ほら、目ぇ覚めたんやったら、明るくならんうちに帰り。
お前が好きやった菓子やるから」
と、まるで何もなかったように、小さな頃からよく懐紙に包んで渡してくれた砂糖菓子を差し出してくる。

何故?とアントーニョは呆然とした。
何故なにごともなかったように振る舞うのか。

「エンリケっ!俺はもう子どもやないっ!」

そう、さきほど大人の関係を結んだ相手に怒ってみれば、相手はやっぱり子どもを見る目で苦笑する。

「ああ、そうやな。自分はもう大人や。
やから…聞き分けなあかんことはわかるな?」

相変わらず穏やかで温かな声。
しかしその言葉にアントーニョの心は凍りついた。

「もうここに来たらあかんで?
現(うつつ)での関係は、もう終わりや。
これからはもう会うのは夢の中のみや…」

「もう来んわっ!」
アントーニョは言って飛び起きた。
そして後ろも振り返らず部屋を飛び出す。

行きと同じくどうやって帰ったのかもわからず、しかし気づけば自分の部屋にいて、あまりに普通に自分の部屋にいて……あれは夢だったのか…と、一瞬思ったが、ふと着替えをしようとして気づいた。
着物の下に身につけていた衣…それはアントーニョ自身のものではなかった。

それでは今、これを着せてくれたエンリケもアントーニョの衣を身につけているのだろうか…。

悲しくて切なくて心細くてアントーニョは泣いた。
それがアントーニョの初めての性体験だった。



気持ちがなかったかと言うとあったと思う。
ただそれが恋だったかというと、今にして思えば、どちらかと言えば子が親を慕う気持ち…親愛の行き過ぎたものだったように思う。

その後、その寂しさを埋めるように渡り歩いた恋人達にも同じく、恋と呼べるような感情を持てず、避けて通れぬ現実という名の運命の元に、気持ちを置き去りに経験ばかりが増えていった。



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