花のお江戸と言われるにはまだかなりの年月が必要となる、今はまだ京が中心となっている時代。
仕事を求めて上京する母親に連れて来られたべらんめえ少年は青年、中年となり、現在は雅な京都の貴族の家でお仕えし、自身の身分こそ低いものの、尊い身分であらせられる今をときめくその家の主の絶対的な信頼を向けられている使用人である。
中年男の名はサディク・アドナン。
主人の名はアントーニョ・フェルナンデス・カリエド。
現帝の実の息子であり、左大臣家の婿、世に源氏の君として知られる男である。
ようやく二条のお館についたばかりだってのに、うちの大将も若いねぇ…また出かけんのかい。
やれやれだ。
「サディク、急げよ。トーニョの馬鹿が出かけるってよ。」
と言うのは大将の乳母の息子で幼なじみのロヴィーノ。
だから家臣と言ってもずいぶんと気安い。
「はいはい、で?今日はどこへ出かけるんですかい?」
こちとら生粋の庶民中の庶民。
5位の位も頂いてるロヴィーノとは違って小舎人と言われる雑仕だ。
相手が若造でも身分が違う。
だから一応敬語くらいは使っている。
そんな事もあってロヴィーノは他よりちょっとばかし偉そうだが、まあ仕方ねえ。
うちの大将は自分の色事のために出かけるからいいんだが、ようやく公務のお供から開放されてそれぞれ私事に勤しもうとしていた家臣達はたまったもんじゃない。
それでも大将が行くといえば、供をしないというわけにもいかねえし、皆ブツクサと文句を言いながらも支度をする。
が、今日はちょっとばかし様子が違った。
「やりすぎて、死んでまえばいいんじゃ、あのクソがっ」
と、同じく雑仕の蘭は吐き捨てるように言うが、他は何故かホクホクと機嫌よく支度をしている。
「今日の行き先は三条のお屋敷だ。」
と返ってきたロヴィーノの言葉に、俺は他の使用人達の機嫌の良さを納得した。
三条というのは現左大臣、うちの大将の舅さんの家だ。
舅の家っつ~ことはだ、そこにいるのはうちの大将の嫡妻さんってわけだ。
そりゃあ皆機嫌も良くならあな。
ここん家ではうちの大将は大事なお婿様。
大将自身を下にも置かぬ扱いをするのはもちろんのこと、ここには気の利いた女房がいるらしく、うちの大将を気持よく連れてきてもらえるようにと、俺ら使用人にも居心地の良い待機部屋が用意され、美味いご馳走、美味い酒、さらに帰り際には土産物までたっぷり持たされる。
ところがそうまでされていても、うちの大将はここを常住の宿とせず、自分の持ち物である二条の館にばかり帰りたがる。
が、かと言って、いくら天下の源氏の君っつっても、左大臣の姫を嫁にもらっておいて全く顔をだしませんっつ~わけにもいかねえ。
だから折々は足を向ける。
嫌そうに…億劫そうに…
『ああ…そろそろ行かんとあかんやろうなぁ…』
などとため息を付きながら……。
そんな様子だ。普通に妻に会いに行くように、公務の帰りに気軽に
『ちょっと寄ろか~』
と言った感じじゃねえ。
必ず自宅で一息いれて、
『さ、行くかぁ。』
と自分で自分を叱咤して行くらしい。
もちろん大将が自分でそんな事言いやしねえが、もうずいぶんと長い事お仕えしている俺には想像がつく。
俺はサディク・アドナン。
大将の側仕え(そばづかえ)ん中ではたぶんロヴィーノについで長く仕える一番の年長者だけあって、身分の低い下男とは言っても、かなり信頼されていて色々気軽に相談される仲だ。
で、俺らはうちの大将なんて気軽に呼んでるご主人は、実際の官位は三位の中将でまだ大将ではない。
まあ愛称ってやつだな。
だが、下手すりゃ京都で一番の有名人。
花の如き美貌の貴公子であらせられる。
おまけにバックが半端ねえ。
左大臣が舅というのはさっき言った通り。実の父親はなんと時の帝、その人でいられる。
そのおとっつぁんに可愛がられていたんだが、あいにく側室の子でしかも次男だったため、おとっつぁんが大将を皇太子になんて言った日には大混乱だっつ~ことで、臣下に下(くだ)って源氏の姓をたまわった。
そんな天下の貴公子、天下の色男だ。
そりゃあモテる。
モテてしかたねえから、色々行く所も多い。
そして鶴の一声
「出かけんでぇ~」
の一言で、俺らの自由時間が削られていく。
しかもそんな時必ず
『サディクはついてきてや~』
と言われるんで、おっちゃんにはほぼ休日はねえ。
まあそれも大将が気軽に何でも話せる数少ない使用人のロヴィーノが主人に似た色男のはしくれで、あちこち通う女がおり、ちょいちょい抜け出したりするからである。
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