逃げる恋ならおいかけろ13

その数時間後…。
すごい勢いで鳴らされるドアベルに怯えてマカオにしがみつくイギリス。

事情がわからず、でも大国であるイギリスがここまで怯える様子にさらに怯えてイギリスにしがみつくマカオ。

そんな風に居間のソファで二人が抱き合って震えていると、やがてドアベルが鳴り止んだ。

そして…とりあえず居間に面した中庭から逃げ出してしまおうとイギリスがマカオとしっかりと手を繋いだまま立ち上がると、なんと中庭へと出るガラス戸がガラリと開いて、カーテンを翻して血相を変えた帝国様がお目見えした。

うあああ~~~!!!と悲鳴を上げる事すら出来ず、恐怖のあまり涙目でマカオに抱きつくイギリスを硬直するマカオから引き剥がし、スペインは自分の方に引き寄せて抱きしめる。


自分よりもはるかに高い体温。
急いで来たのか少し汗をかいている。

久々に抱きしめられるその感覚に抵抗するのも忘れてイギリスがされるがままになっていると、少し身体が離されて、スペインの片手はしっかりと背に回されたまま、もう片方の手がイギリスの顎に添えられた。

そのままクイッと若干上を向かされ、自分よりも深いグリーンの瞳に困惑したイギリス自身の顔が映る。

「…クソ爺に何かされたん?」
と、若干怒りを内包したような低い声で問われてイギリスが少し身をすくめると、

「ああ…堪忍な。別に自分に怒ってるわけやないで?
そんなに怯えんといて」
と、キツイ光を放っていた瞳が困ったように笑みの形に細められる。

「こんなモン見せられたさかい、何かあったのかと思うて駆けつけてん」
とスペインがコートのポケットから取り出したのは、さきほどローマが写真を撮っていたデジカメだ。

あのクソジジイ…本当に見せやがった…と、イギリスは内心思いつつも、
「別に…。急に腕引っ張られて倒れこんだだけだ」
と、事実を告げると、スペインは久々に見るような本当に真剣な顔で
「ホンマに?」
と聞いてくる。

その視線は辛そうに探るように…でもいたわりの色がちらほら見えた。

「この時すぐ隣にマカオがいたんだぞ?」
と、そこでイギリスが状況説明を付け加えれば、スペインの視線はマカオに向けられる。

そこでマカオが慌ててコクコクと頷くと、スペインはホッとしたように、ならええけど…と、怒気を引っ込めた。

「まあ…時期を間違うて手遅れにならんで良かったわ」
と、ハーッと大きく息を吐き出すと、スペインはそこでまた改めてイギリスの方へと向き直る。

それからまるで数百年前、距離が最も近かった頃のように、優しい慈しみに満ちた目でイギリスを見つめた。

そして、
「目に入れたら…手ぇ伸ばしてしまうさかい、ずいぶんと長い間こうして近くで見る事もできひんかったけど…そろそろ沈めた想いを海の底から引き上げてもええ頃やんな?
と、耳元で低くささやく。

その言葉に、声に、イギリスは目を見開いて固まった。

数百年前のあの日、イギリスを地の底まで落ち込ませたそのセリフが、今別の意味合いを持って語られている。

イギリス自身がずっと忘れられていなかった別離のセリフをスペイン自身も忘れていなかったらしいことに驚いてイギリスが呆然としていると、スペインにまた強く抱き寄せられた。

「迷ったんや……」
と、耳元で静かに流れる懐かしい声音。

「あの時…一緒に滅んでまうのもええかと思うたんやけどな…。
それに付きあわせてまうには、自分、あまりに幼かったし小さかったし…まだ苦しいこと怖い事しか経験してへん、楽しい事も嬉しい事も知らん子ぉを道連れにするんは辛かってん。
幸いフランスかてポルトガルかて、自分が滅ぶ事になる前になんとかするやろう預け先もあったしな。
まだまだ小さな傷つきやすい真珠は安全な貝殻に入れて海に預けておくのが一番やって思うたんやけど…悲しい思いさせたんやったら堪忍な?」

嘘だ…詭弁だ…と言うにはその声はあまりに懐かしく優しすぎて、イギリスはただ泣く事しか出来ない。

「…もう…何かあっても自分で選べる大人やって思うてええやろ?」
甘く優しい言葉と共にまた少し身体が離れて優しいエメラルド色の瞳が涙で真っ赤になっているであろうイギリスの瞳を覗きこむ。

「…あの頃だって…あの頃だって、ちゃんと自分で選べてたんだよ。ばかあ!」
と、握りしめた拳でその胸板を叩けば、堪忍な、と、また困ったような笑みを向け、スペインはその手首を掴んで、ちゅっと拳に口付けた。

「もう離れへんから。もし親分が離れようとしたら構わへんから、お姫さんのこの可愛い手でトドメ刺したって?」
愛おしげにその手に頬ずりをされれば、拒絶することも出来ず、
「…今度やったら……本当にトドメ刺すからな…」
と、睨みつけるのが精一杯だ。

「おん。これからはお互い滅びるまで一緒や。
世界敵に回そうと、誰を滅ぼそうと、一緒やで?」

そう言う声音の優しさはあの頃のままで…でもあの頃のひどく張り詰めた…ともすればポキンと折れてしまいそうな危うさはない。
あの頃のように世界を統べている存在なわけではないのに、あの頃よりも力強さを感じた。
まるで深い海に抱きしめられているようだ…と思う。
…心地良い……。

うっとりと久々にその腕の中で寛いでいると、

――ところで…本題やけど……
と、何かを押し殺したような声音で言われて、イギリスはギクっとした。

優しい優しいエスパーニャ…。
だけどこういう声の時はまずい…。
愛情深い分、恋人は非常に度を超えて嫉妬深い。

「マカオの事なら…悪いのはポルトガルだからっ。
ポルトガルを焦らせて改心させるためにフリをしてるだけで、ただ、付き合ってる宣言してるだけだからなっ!」

もう何を言わんとしているのかはわかりきっている。
自分への恋人の気持ちは変わらないだろうが、そのあたりの誤解を解いておかないとマカオの身が危ない。

「俺と同じ辛い思いしてるマカオを放っておけなかったんだっ。
自分は無理でも、マカオだけはポルトガルを改心させて幸せな恋を掴んで欲しかったんだっ」

――もちろん、信じてくれるよなっ!
と、思い切り邪気のない目というのを意識してイギリスはスペインを凝視して見せる。
普段はコンプレックスでもある子どものように大きな丸い目はこういう時は便利だ。

ぱちぱちと二度ほどまばたきをして見つめれば、少し固い光を帯びていたスペインの深いグリーンの目に少し柔らかさが戻った。
もう一息だ。

「大事な友人…いや、香港の兄弟分だから俺にとっても弟みたいなものだし、俺だけじゃなくマカオも幸せを掴ませてやりたい。
お前も……協力してくれるよな?」

スペインのシャツの胸元を掴んでねだるように小首をかしげて言えば、スペインはふにゃりと表情をゆるめた。
この男は昔から可愛くねだられるのに弱い。

まだ子どもだった数百年前と違って、とうに成人した男である自分ががやって可愛いものか少しばかり自信がなかったが、どうやら成功したようだ。

「俺にとって弟ならお前にとってだって弟みたいなものだろ?」
と、ぎゅうっと首に腕を回して抱きついてやれば、

「そうやな。ほんまポルトガルはしょうのないやっちゃ。
親分がきっちりわからせたるわ」
と、抱き返してくる。

抱き込み成功だ。



こうして遠くから援護している香港の他に、協力者が一人増えたイギリス邸。

ただし、
――俺とお前があんまりくっついてると、マカオが寂しくて可哀想だろ?
と、数百年前と違って大人になった恋人に早速同衾を申し出たが、そうかわされたスペインは、一人寂しく客間泊まりだ。

普通なら自分が別室で恋人が他の男と同衾などという事はとんでもないことなのだが、やましい事はないから…と鍵をかけない事を条件に了承した恋人の部屋を夜更けに訪ねてみれば、それぞれ濃茶と薄茶のクマのぬいぐるみをしっかり抱きしめた状態で、ぬいぐるみを挟んで眠る白と黒の天使二人。

あまりに楽園な光景に、思わずローマから取り上げたデジカメでこっそり写真を撮って、布団をかけ直してやって、開けっ放しで冷えてきた部屋の窓を閉めて、自室の客室に戻るスペイン。

翌朝風邪をひくし不用心なので窓は閉めて寝るように…と、思わず注意すると、二人揃ってこっくり頷くのも可愛らしい。

子ども時代ならとにかく、いい加減に大人になったはずの恋人との清い仲を卒業したいのは山々ではあるのだが、元々子ども好き、世話好きなスペインとしては、長らく一人だったところに、この可愛らしい被保護者が二人一気に増えたような生活もなかなか楽しい。

マカオは礼儀正しく素直な性格で可愛らしかったし、二人きりになると途端に昔のように素直とは言いがたいものの甘えたいオーラを出して見つめてくる恋人も、それはそれは愛らしい。

どうせマカオの問題が片付くまでではあるし…と思い、スペインはこの状況を大いに楽しむことにした。

こうしてそれから1週間…奇妙な同居生活が続いたのである。



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