王は王子を呼び、婚約者の変更を申し渡す。
それはなんのことはない、アイリーンの国シスターズムーンより重要な国ができた、そちらの国とより強い関係を結びたい、それだけだ。
かといってかの国と戦う意思があるわけでもなく、単純に王女を嫁に寄越す必要は無い、そう告げるにとどめ、一応こちらの都合での婚約の破棄だからということで、いくばくかの慰謝料代わりに多額の持参金をつけた自国の王族の血筋の娘をシスターズムーンの王子に嫁がせるという、強者である大国としてはそれなりに誠意のある対応ではある。
「冗談やないっ!そんなん今更受け入れられへんわっ!!」
激怒して拒否するカルロスだが、すでに新しい花嫁は、嫁ぐ準備を終えてこちらの国に向かっているという。
王子の反発も王の想定の範囲内で、カルロスは結婚の日まで厳重な警戒のもと、城内に幽閉されることになる。
自室に閉じ込められれば見張りを倒して窓から抜け出そうとし、窓のない部屋に閉じ込めれば、手足がはれあがって動けなくなるまでドアを打ち破ろうと試みる。
そんな王子の身を案じて食事に眠り薬を盛れば、次からはもう食事を摂らなくなった。
このままではまずい…さすがに王も強攻策ではどうにもならないと理解し、王子の親友である貴族の息子、フランシス演じるジョゼを説得にやる。
婚約破棄から半月がたっていたが、ジョゼの手元には一通の手紙がついていた。
それはアイリーンの親友でシャイニーズサンにも同行したマーガレットの手紙。
滞在中に親しくなったジョゼに宛てた手紙である。
それをひそかに懐に隠し持ってジョゼは幽閉されている王子のもとへと向かうのだった。
場面は暗転。
それから舞台はシスターズムーンのアイリーンへと移る。
父王から婚約が破綻したこと、カルロスは別の国の王女を妻に迎えることになったこと、しかしそれがイコール同盟の破棄ではなく、同盟の継続と兄の一人に友好の証としてあちら側から莫大な持参金付きの花嫁が贈られてくること…そして……小国である自国にとって、あちら側が全面的に非を認めて謝罪をしてくる誠意のある対応は、受け入れるに足るものであることを伝えられた。
確かにそうだ。
強国であるカルロスの国にとっては、一方的に破棄するだけしても、よしんばこの同盟がそれによって壊れたとしても、それほど痛手にはならない。
それを自らの非を認めて埋め合わせをというのは、随分と誠意ある態度だとアイリーン自身も思う。
自分のように取るに足らない身が、誰もが憧れるような相手に一時でも優しく愛を囁かれていたのだ。
幸せな夢を見ていた…そう思って満足すべきだ…
そう思っても一人になると涙が止まらない。
いっそのことこの現実こそが夢だと良いのに…と、泣きすぎてぼ~っとした頭で思う。
もし自分がマーガレットのように快活で人懐こく愛らしい娘であったなら……本当にかの人に愛されるような魅力的な娘であったなら……婚約を破棄などされなかったかもしれない。
そんなアイリーンの心情をアーサーは自分の事のように思う。
自分なのかアイリーンなのか、もうその境界線も薄れてきて、何も考えずとも涙はあふれ、心は悲哀に満ちてきた。
今でもいつもいつも思っている。
いつかアイリーンのように、自分もアントーニョに別れを告げられ、パートナー解消を申し出られる時がくるかもしれない。
アントーニョは優しいから、それでもなるべくアーサーに謝罪と誠意ある補償をしようとするだろう。
元々不釣合いだとわかっていた上に、一緒にいる時は飽くまで優しくされ、最後ですらそんな態度をとられれば、相手を責める気にもなれない。
ただただ、そんな魅力的な相手に不釣合いに生まれてきた自らの身が悲しくなるだけだ。
――消えてしまいたい……
それはアーサーの気持ちでもアイリーンの気持ちでもあっただろう。
静かな絶望の中でアーサー演じるアイリーンは食事も摂らず、現実から逃げるためにベッドで優しい夢を見ようとする。
細い体は見る見る痩せ細り、元々強くはない体はどんどん衰弱していく。
――お姫さんは心配性やな。大丈夫。
道中はうちの国の屈強の兵を護衛につけたるし、万が一国に何かあって帰って来れんなんて事があったら、俺自ら迎えに行ったる。
最後の日、そう言って笑った太陽のような微笑が今は遠い昔のもののように思えて、それでも切なさと悲しさは消えることは無い。
ああ…未来を下さいとは言わない。
ただ、もう一度だけ、その約束を果たすように会いに来てくれれば、自分は果たされた約束に満足して、彼の人生を縛らないよう、そして彼が約束を破らないで良いように、その瞬間に自らの人生を終えてもかまわないのに……。
そんな望みすら、すでに他国の姫に向けられているであろうその愛情を思えば、叶えられるはずもない。
せめて完全にそれが他人のものになってしまう前に、叶えられないよう儚くなってしまえば、彼が守りたくなくなったのではなく、守れなかったのだと思えるのに…
あの優しい日々が嘘になってしまうのはあまりに悲しい。
そんな風に泣き続け眠る姫の部屋のバルコニーの窓が何故かある日から毎日少し開くようになった。
――……?
不思議に思って窓際に足を運ぶとそこには小さな可愛らしい花束。
カードも贈り主を示すものも一切ないその小さな花束を不思議に思いつつ、姫の脳裏に浮かぶのは愛しい元婚約者の姿。
そのつど、自国で結婚の支度に追われる彼が、こんなところにこんなことをしにくる余裕があるはずもないとその考えを打ち消すのだが、どうしても一縷の希望を捨てきれない。
万が一これがかの人の贈り物であるなら、一目だけでも姿を見たい…。
毎日早朝には届いているその花束の贈り主を確かめようと姫はこっそりと夜からバルコニーを見張ってみた。
そして…明け方…一人の人影がバルコニーに近づいてくる。
その人物とは……
「…クラウスっ!…国を出ているあなたが何故ここへ?」
小さな花束をバルコニーの窓際にそっと置いた人物は、姫がシャイニーズサンに旅立つ少し前に、自らの腕を試しに世界を旅してきたいと国を出た、ギルベルトが演じる、姫の幼馴染で当時の近衛隊長だったクラウスだった。
優秀だが生真面目で、決して花などを気軽に贈るタイプでもない幼馴染の行動に驚く姫を前に、彼は自身の胸のうちを打ち明ける。
自分は身分違いと知りながらも、ずっと幼馴染である優しく愛らしい姫に恋をしていたのだと…。
数々の浮名を流すカルロスとの結婚も当然反対ではあったが、王の決定となれば一介の近衛隊長ごときにどうできるものでもない。
それでも姫がそれを望まないとあらば、全てを捨てても連れて逃げるつもりではあったが、姫自身もそれを望んでいたようだから、自分に止められるはずもなく…しかしどうしても姫が他国へ嫁ぐのを見るのが辛く、旅に出たのだと、彼は語った。
そして…もし叶うものならば、自分と共に来て欲しいと…。
姫がそれを望まないなら、妻になってくれとも言わない。
今まで通り家臣としてかしずきながらも、広い世界で美しいもの、楽しいものをたくさん見せて、姫の笑顔を取り戻したいのだという。
その生真面目な幼馴染の無償の好意に姫はいたく感動をする。
しかし彼女は言うのだ。
息を引き取る最期の瞬間まで、愛しい婚約者が言った『迎えに行く』という言葉を信じて待っていたいのだ、たとえそれが叶わぬ約束だとしても……と。
クラウスはその言葉に内心ひどく悲しみ、落胆し、しかし決意する。
最愛の幼馴染である姫の唯一の望みを自分がかなえてやるのだと……。
こうして彼は、姫と共にかの国に随行していた、姫の親友の貴族の娘、マーガレットを訪ね、つてを探す。
ちょうどマーガレット自身も日に日に弱っていく姫を心配しつつもどうして良いかわからないという日々を送っていたため、かの国にいる王子の親友に手紙を託すことを提案し、手紙をしたためると、それをクラウスに託した。
姫は病を得て日々衰弱し、余命いくばくもないように思われるが、在りし日にカルロスに贈られた『戻れないようなら自らが迎えに行く』という言葉を信じて待っている。
その後の未来を共にして欲しいとは言わない。
ただ、最期に会いに来て、迎えに来たと、約束を果たしに来たのだと言って心穏やかに旅立たせてやって欲しい…。
そんなマーガレットの涙ながらの手紙を持って、クラウスは寝る間も惜しんでかの国へと馬を走らせ、王子の親友、ジョゼに手紙を届けるのである。
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