ローズ・プリンス・オペラ・スクール・ねくすと後編_5

「お疲れ様です。次の着替え急ぎましょう。」

と、舞台から降りて、すでに着替えを手にスタンバっているキクの方へと足を向けかけたアーサーは、いきなり後ろから伸びてきた手に腕を掴まれ、グイッと引っ張られて後ろに倒れかけた。

そして体制を崩した身体はポスンとそのまま厚い胸板におさまり、後ろから抱きしめられる。
もちろん相手が最愛のパートナーであることは言うまでもない。

「…とーにょ?」

きょとんと見上げるアーサーだが、あいにくいつも自信満々に笑みを浮かべているパートナーの精悍な顔は、アーサーの肩口に埋もれていて見えない。

「…俺ならあそこで帰さんのに……」

ぼそぼそっと肩口でつぶやかれてアーサーがくすぐったさに肩をすくめて笑うと、アントーニョは

「笑い事やないで?大事なモンは絶対に手放したらあかん。」

と、憮然とした表情で主張した。
珍しく自分に向けられる笑みのない表情に、改めて何のことか考えて、ああ、今演じた劇中の事かと思い当たる。

「劇中の事だろ?」
と水を向けてみても、無言で不満気なアントーニョ。

いつもいつも大人で優しいのに、珍しく頑固で子供っぽい面がちらほら見え隠れするのは、役に入り込んでいる役者としてなのか、元の性格なのか…。

「…実際は離れなかっただろ?
あの時だって俺は離ればなれになるくらいなら一緒に行くって主張して、実際に一緒に行ったし。」

この舞台の少し前、ロープリの裏の稼業である魔物退治で魔界に行かなければならなくなった時の事を口にしてみれば、

「そうやね。」

と、アントーニョも納得したようだ。
クルリとアーサーの身体を反転させて自分の方へ向けさせると、深く深く口付ける。

まるで離れているのが怖いといったように身体も強く抱きしめ密着させられ、苦しいくらいだが、突き放す事も出来ずにアーサーがおずおずとその背に手をまわしかけた時、

「ほい、ストップ。トーニョいい加減にしとけよっ!」
と、アントーニョの肩をグイッと押して、ギルベルトがアーサーと引き離した。

ギルベルトはすでに自分の演じる、アイリーン姫の国、シスターズムーンの国の騎士で姫の幼なじみのクラウスの衣装を身につけ終わっている。

演劇界の人気役者を前に誰も止められなかったアントーニョの行動をこうも容易く押しとどめてしまえるのは、悪友ならではなのか…と、アーサーが妙なところに感心しつつぼ~っとしていると、今度はキクがその隙にとばかり、

――とりあえず時間がないので着替えちゃいましょう。

と、アーサーの腕を取って誘導した。



「ギルちゃん、なんやのっ!」

そそくさと引き離されて着替えに向かった愛しい愛しい対の後ろ姿を見送ったあと、アントーニョはクルリと不機嫌にギルベルトを振り返った。

「なんやのじゃねえよっ!お前も着替えねえとだろっ!
今回の舞台はアーサーにとってだって大事な初舞台で失敗できねえんだからな」

と、引き離された不機嫌さを表に出してみても、そう痛いところを突かれてしまえば、アントーニョもそれ以上は何も言えない。

今回はアントーニョ付きの衣装係りとして参加しているロヴィーノがそこで衣装を差し出すと、

「おおきに」

と、お気に入りの幼馴染にかけるにしては珍しく不機嫌に短い礼の言葉だけ述べて、黙って着替え始めた。


「今のは…しかたねえだろ。
確かにちゃっちゃと着替えねえと2部に間に合わねえだろ。」

色々に感情が出るアントーニョに、まずいと思ったのかロヴィーノがそう言うと、アントーニョは綺麗な形の眉を少し辛そうに寄せて、搾り出すように

「…嫌やねん…、あの脚本(ホン)。
芝居でも親分がアーティと離れてアーティが死んでまうんは嫌や。」

とうなだれた。

ああ、随分と惚れこんだもんだ…と、そんなアントーニョの様子を見てロヴィーノは内心苦笑した。

確かにアントーニョは情が深いように思われてて、実際に情が深い男だが、それは家族や身内といった極々少数の相手に対してだけで、その他大勢には実は非常に酷薄な性格だ。

そして…今まではその身内の中に恋人といえるような人間が入っていることはなかった。

同性から見ると腹が立つほどよくモテる男で浮名は流しまくっていたが、そういう体の関係を含む相手はたいてい一過性の関係で、芝居でどころか実際に死んでしまったとしても、眉一つ動かさなかっただろう。

そういう意味では、アーサーは唯一無二の恋人だ。
伊達に宝玉の選んだパートナーではない。

過去に同じように宝玉の選んだパートナーを持って失った祖父は、失ってからもうすでに数十年の月日が過ぎても、その命日になると、自分の周りから刃物などを遠のけてくれという。

対を亡くして数十年たった今でも、発作的に後追いしたくなるからだそうだ。

そしていつも豪胆で強く明るいあの祖父が、ベッド以外固いものなどない暗い部屋の中、頭を抱えて号泣するのだ。


――俺が死んだらお前に託すことになるからな。じいちゃん、お前だけに教えてやる。

そんな祖父がロヴィーノにだけ教えてくれた、祖父がそれでも生き続けている理由。

それは対に遺された対と魔の間に出来た聖にも魔にもなる可能性のある卵を聖の方向に導いてやるという、対の遺志を守るためだという。

残念ながらというか幸いにというか、その役割は現在の風の宝玉の適応者であるギルベルトが担うことになってしまったが……。

彼の頭にいつものっている小鳥がその聖獣だというのは、祖父と自分と現宝玉の適応者達だけの秘密である。

まあそんな感じで、そちらのほうで祖父の補佐をするという任からは外れてしまった感がなくはないが、それでも現宝玉の適応者達とは、彼らが宝玉に選ばれる以前から親しいつきあいもあるため、できる限りの補佐はしていこうと思っている。

特に太陽の宝玉の適応者であるアントーニョとは親しい幼馴染で、その対のアーサーとは中学から一緒の親友なので、なおさらだ。


つい先ごろあった、魔界の王が産まれた時のごたごたで多数の月の能力者が死に、そのパートナーの攻撃力に長ける太陽の能力者が後を追ったり正気を失ったりして死んでしまったため、もうおそらく動ける者としてはほぼいない、貴重な太陽の能力者と月の能力者であるアントーニョとアーサーを補佐し、守ること、それが今の自分にできる唯一の祖父の仕事の補佐だということを、聡いロヴィーノは認識していた。


要領も良く愛想も良い双子の弟と何かと比べられていじけていた幼少時代…あの頃とは違い、生まれつきの能力がなくても自分も何か必要な人間になれるのだと悟れたのは、自分にだけ聖獣の事を打ち明けてくれた祖父と、自分を特別な存在として可愛がってくれたアントーニョのおかげだと思っている。

だからこそ、何かその二人の役にたつことで特別な存在になれたら…そんな思いを胸に、ロヴィーノは不機嫌なアントーニョをなだめながら、その着替えを手伝ってやった。



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