主人公であるシャイニーズサンの王子カルロスがアイリーンを一目見た時の感情は、こちらも想像で演じるまでもなく、アントーニョは体験済みだ。
あの雨の降る日…雨粒を踊らせながら綺麗な声で歌う妖精とみまごうほどの綺麗な少年…己の最愛の対になるアーサーに一目惚れをした時の感動そのままだ。
今目の前にいるのは、人間ではない。
乱暴に触れれば壊れ、消えてしまうであろう、美しくも儚い精霊に違いない。。
他の誰にも取られないよう手の内に囲い込んで、ただただ愛で、守りたい。
それまで楽しいと思っていた、適当に遊びいい加減に生きてきた自分の人生がなんの意味もないものだった事を、その美姫を一目見た瞬間に知る。
「長旅で疲れたやろ?そんな堅苦しい挨拶せんでもええよ。
少し休み?」
そう言うなり、緊張からか疲労からか、硬い表情で俯いたまま、形式的な長い挨拶の口上を述べている相手の細い手首を掴んで軽く引くと、体重などないかのように何の抵抗もなく引き寄せられる華奢な肢体。
それをヒョイッと抱き上げるのも、あの日アーサーを相手に取った行動そのままだ。
驚きに揺れる大きなグリーンアイ。
まるであの出会いの再現のようなやりとりに、アントーニョは一瞬舞台の上であることを忘れそうになる。
果たしてアーサーのそれも演技なのか…まるで本当に強国の跡取りの婚約者である自分に初めて会って戸惑う内気な美姫そのもののようなその様子に、アントーニョも自然に脚本の中に引き込まれて行く。
自分とカルロスの境界線が消えて、今まさにアントーニョはカルロスで、アーサーはアイリーンだった。
壊れものを扱うように、壊さないように、自分的にはこれ以上なく慎重に優しく接しているのに、少し近づくと怯えるように距離を取られてしまうじれったさ…。
そんな態度にすらひどく心を惹かれ、追わずにはいられない。
酷いと会って数分後にはベッドの中という爛れた異性付き合いだった自分が、この可憐な妖精のような姫に怯えたように固くなられると、出会って1ヶ月が経過しようというのに、いまだその白魚のように白く細い指先にソッと口づけを落とすくらいしか出来ない。
それですらもういっぱいいっぱいですとばかりに大きく澄んだ美しいペリドットの瞳を潤まされると、それ以上進めない。
それでも少しずつ距離が近づいてきて、時折打ち解けたような笑みを向けてもらえるようになった時の高揚感は、いまだかつて体験したことのないものだった。
出会ってから、かの姫は自分の中で世界の何より愛おしく大切な存在になっていった。
たとえそれが国同士の都合による政略結婚だとしても、かの姫を手に入れられる自分はこの世で一番の幸せ者だと断言できる。
舞台の上でアントーニョは恋の幸せを高らかに歌った。
そのカルロスの歌はまさに今、アントーニョが日々、愛しい対と過ごすたび感じている幸福と同じものだった。
元々明るい喜びを表現する歌には定評のあったアントーニョだが、この舞台でのその歌を歌う様は、まさに愛の喜びを体現していると高い評価を得ることになる。
「全部を欲しいのはやまやまやけど…焦らんとも式はもうすぐやしな。
いったん国に戻って支度して帰ってきたら身も心も俺の花嫁になったってな?
そしたらもう離れへんし離さへん。
死ぬまで…いや、死んでからかてずっと一緒や。」
1ヶ月の滞在期間が経過したあと、アントーニョ演じるカルロスは、正式な婚姻に向けて一旦国に戻るアイリーンを見送る。
その顔は嬉しそうでもあり、心配そうな色もあり、大層複雑な様子をしている。
一方でアーサー演じるアイリーンの顔に浮かぶのは不安一色だ。
カルロスの愛情を信じたいが信じられない。
おそらく彼は同盟国の王族で婚約者である自分に対する若干の義務感から優しくはしてくれているものの、国に帰れば魅力的な女性達がまた彼の周りを取り囲むだろうし、その中には彼の気に入るような魅力的な女性も出てくるかもしれない。
そうすればその女性を手元に置きたくなるであろうし、カルロスの国の方が強国だ。
婚約の解消という形も取られるかもしれない。
出会ってこのかた、カルロスは優しかったし、自分のようなつまらない女でもまるで魅力あふれる女性に接するように愛を語ってくれた。
夢のような日々だった。
「…これで…お会いできるのは最後になるような気がいたします…」
覚悟はしているのだ…。
一時でも夢を見られたのだから、それに感謝をしているし、もし他に心惹かれる相手が出来たのなら、つまらない自分の事など顧みず、幸せを掴んでくれてもかまわないのだ…。
それを恨んで恩をアダで返すような真似はすまい…。
そんな悲しい決意と共に帰国の挨拶を述べるアイリーンの今にも消えてしまいそうな風情にカルロスも不安を覚えるが、いったん帰さない事には婚姻の準備も進まない。
「お姫さんは心配性やな。大丈夫。
道中はうちの国の屈強の兵を護衛につけたるし、万が一国に何かあって帰って来れんなんて事があったら、俺自ら迎えに行ったる。」
アイリーンの不安を吹き飛ばそうと、そう力強い言葉で告げるカルロスも、この時はまだその後の悲劇を知るよしもない。
と、ここで舞台は一旦幕が降り、休憩に入る。
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