ガランとした家…。
大勢子分がいた頃と違い、最後の子分、ロマーノが独立して離れて行った時には、もう大きな城ではなく、ここ、普通の邸宅に一般人のように住んでいた。
もちろん生活だって昔と違い、スペインもロマーノも普通に自らの食べ物は自ら調達、調理し、掃除をし、洗濯をして暮らす。
しかしスペインにとってそんな生活が不幸だったかというとそうではなく、昔に比べればあり得ないほど小さな家で自らの手で作り上げた生活を可愛い子分と寄り添うように過ごして行く日々は、失ってしまった今では悲しいほど愛おしいものだった。
元々は何もない…ほとんど消えかけたところから復興した国なのだ。
別に物なんてなければないでやっていくし、自らが体を動かして労働することだって苦ではない。
覇権を失った事も、日々貧しくなっていく生活も、スペインは神様を恨んだ事などないし、まあこういう運命やったんやな…と、淡々とその時のそのままの状態を受け入れては来たが、これだけはひどい…と思う。
キッチンには大量の皿とカップ。
今日のロマーノとの昼食の洗い物だ。
この最後の子分が巣立ってしまってずいぶん経つが、毎年この季節は半月ほどこちらで一緒に過ごすことが習慣になっていたので、ロマーノの部屋だけはスペインも残してあって、今年も2週間の休みを取ると共に、シーツを洗濯して干したりと、泊まれる準備をしてロマーノを迎えたのだが、長い長い一人の時を超えてようやく子分と一緒に過ごせるこの休みの最初にロマーノが言ったのだ。
もうここでこうして休暇を過ごすのは止めることにしたのだ…と。
――別に深い意味はねえんだよ。ただ独立してもうだいぶたって落ち着いたみてえだしな。俺も”イタリアとして”お前だけじゃなく色々な奴と交流持たねえとなんねえし?
どうしても今一緒に過ごしておかないと後悔しそうな相手もいるのだ…と、言われればそれでもと言うことも出来ず、『ほな、しゃあないなぁ』と笑ってみせたものの、だから部屋も引き上げると言われた時にはさすがに言葉を失った。
あの部屋は…スペインに残された唯一の家族の名残だったのに……。
別に部屋はそのままにしておけば良いと言うスペインに、これはケジメだからと言うロマーノ。
最初に子分のオランダが離れていったあたりで、国同士である以上、いつかは手放す日が来るのだ…と、覚悟し続けて、とっくに覚悟が出来て、最後のこの子も笑って独立を祝えたと思ったのだが、実は未だに覚悟なんて欠片もできてなかったようだ。
そう多くはない荷物を車に積み込むロマーノを手伝い、最後にロマーノが昼食を作ってくれて一緒に食べる。
――まあ別にもう来ねえってわけじゃなくて、数日泊まりくらいは今まで通りするしな。
と、笑って帰って行く子分をスペインも笑顔で見送った。
食事をスペインが作る時はロマーノが、ロマーノが作る時はスペインが食後の食器を洗う。
そんな習慣だったため、次の食事の時には洗い終わっているはずのそれだが、今日は昼食をロマーノが作り、二人で食べたあと、慌ただしく出発を見送っていたため、すっかり忘れていた。
キュッと蛇口を捻ってそれを洗ってしまおうと思ったが、さきほどまで何もかもなくなってガランとした元ロマーノの部屋で、一緒に暮らしていた頃の名残がなくなってしまったことをいやが上にも実感して落ち込んでいたところだったので、どうにもそれ以上ロマーノのいた名残を消す気になれない。
いや…ずっと洗わないわけにはいかないということはわかってはいるのだが…。
ガチャリと食器を流しに戻して洗剤のついた手を洗うと、スペインは水道を止めた。
そのまま流しを背にズルズルと床に座り込んで膝を抱えて泣く。
わかっている。別に絶縁をしたわけでもなんでもない。
ただ本来なら独立時に片付けるはずだった部屋を今片付けただけだ。
半月のバカンスだって、別に長い休みならズルズルと滞在が長引けばそのくらいになることだってこの先いくらでもあるだろう。
でも…もうロマーノが訪ねて来て泊まるのは、”ロマーノの部屋”ではなくて”客間”なのだ。
この家はロマーノにとって、家族として当たり前に自室のある自宅ではなくなり、客として訪ねてきて客間に滞在する余所の家になったのだ。
ポカンと胸に大きく穴が開いてしまったようで、力が入らず立ち上がれない。
視界がぼやけて、なんだか空気がよく取り込めない気がしてパクパクと口を開閉する。
ウサギとかはよく寂しいと死んでしまうというが、スペインはウサギの国と言われるほどなので、もしかして自分も寂しいと死んでしまうんじゃないだろうか…などとあり得ない馬鹿げた事を思って、そのバカバカしさに自嘲した。
ああ、本当にしっかりしなくては。
例え宗主国じゃなくなったとしても、自分は子分達の親分だ。
あの子達が何か私的な事で困った事が起きたなら、真っ先に力になってやらねばならない…。
袖口で潤みかけた目元をグイッと拭って立ち上がろうと体に力を入れた時、ちょうど良いタイミングでドアベルが鳴った。
まさかロマーノが戻ってきたのか?!と一瞬思って、そんなわけはない…と、即その考えを打ち消すように首を横にふる。
おそらく昨日何故かフランシスが急に良い卵が手に入ったから分けてやると言っていたから――わざわざフランスから空輸するなんて、どれだけのものなのだ…と思うが――それが届いたのだろうと、アントーニョは急いで玄関に走った。
「オ~ラ~、どちらさん?」
と、ドアをあけると、いきなりニョキっと伸びてくる手には大きな卵。
両手に余るほどの大きな大きなそれは、どう見ても鶏の卵とかではないことは確かだ。
「…これ…なに?」
と、スペインはそれを差し出す仏頂面の超大国と卵とを交互に見つめる。
「それは俺が聞きたいんだぞっ」
と、その質問にアメリカは頬を膨らませた。
「なんだかフランスからイギリスん家に卵忘れたから、それを君に届けて欲しいってメールもらって、仕方なしにここまで届けてあげたんだぞ。感謝してほしいね」
「…おん。おおきに」
意外な配達方法にスペインが戸惑いながらも礼を言うと、
「まあ届けられた君に文句を言っても仕方ないよね。
イギリスからここまでの交通費はフランスに請求するぞ。
じゃ、確かに届けたからねっ!」
と、それ以上スペインにモノを言わせることもなく、アメリカはさっさと踵を返した。
いくら頼まれたからといって、イギリスからスペインの自宅までこれだけを届けになんて、なかなか人が良い。
なんだかアメリカを見る目が変わった気がする。
「…まあ…それはええとして……」
卵と、卵とともに渡されたカードを手に、スペインは自宅リビングへと戻る。
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