それは不本意な決断ではあった。
数百年にも及ぶ南下のための戦い。
それにフランスは終止符を打とうとしていた。
いや、正確には休止符というべきなのだろうが…。
そんな状況を眼前にして、フランスは自国がヨーロッパでも北部に位置していた事を、この時ほど幸運に思った事はなかった。
とりあえずそれ以上異教徒が北上してこない事を祈りつつ、それでも万が一北上してきた際には侵攻を防ぐために戦う準備をしなければならない。
ああ、この美しい地を戦場にしたくはないものだ…と、国民も、もちろんフランス自身も日々思いながら過ごしてきたわけだが、フランスの地はやはり神に愛されていたらしい。
異教徒に飲み込まれてとっくに消えたと思っていた旧友、スペインがまだ生きていて、ささやかながら抵抗運動を始めたというのだ。
これでフランスへの戦火が来る可能性が少し遠のく。
この時フランスの誰もがスペインの生還を歓迎した。
戦いにも、その戦闘臭をさせた異教徒のような肌や髪の国体にも、国民達は近づきたがらなかったが、異教徒を刺激しない程度にわずかばかりの援助もした。
異教徒をこの麗しきフランスに近寄らせない盾になってくれれば…それを望むのみだった。
しかし事態は徐々に変化する。
スペインが急に勢いを増した。
一進一退を繰り返していたはずが、徐々に領土を取り替えしている。
このまま元々の領土を取り戻せば、フランスと並ぶ大国にもなりかねない。
それは、フランスとしてはあまり面白い事ではない。
一度下に見ていた相手を同等、もしくは上として見直す…それを容認するにはフランスはあまりにプライドの高すぎる国であった。
となれば取る手は1つ。
双方を叩く事に夢中になっている異教徒とスペイン、その双方を背後から叩いて掠め取り、小さな労力で大きな力を手に入れる。
えげつないと言うなかれ、それが国策というものだ。
しかし思いついたその策は結果、さらにフランスをそのプライド的な面で追い詰めることになる。
さりげなくやっていた背面攻撃は早々にスペイン側に察知され、それどころか、どうしてかそこで高められてしまった戦闘気運が異教徒に向けられて、気づけば自分達が異教徒と本格的に剣を交えて、ありえない損失を負うことになったのだ。
ローマの元で一緒に暮らしていた頃のスペインという男を思い出してみても、そんなに腹芸の得意なようなタイプには見えなかったが、結果誰が得をしたかといえば紛れも無くスペインだ。
今回の事はスペインにしてやられたのだろう。
それはフランスのプライドをさらに甚く甚く傷つけたが、それと同時に出会って長いはずのスペインという男に、実に初めてくらい深い興味をひかれた。
そんな理由もあり、表立って戦いという形を取ってはいなかったので飽くまで旧友を私的に招くという形でたまに招待し始めたスペインは、やはりフランスの記憶の中のただただ馬鹿みたいに明るく陽気な少年とはどこか違っていた。
身体はまるで野生動物のように常に警戒を怠らず油断のない動きをするくせに、心はどこかここにあらず、遠くの何かを想っている…そんなストイックな雰囲気の中に見え隠れする哀愁のようなものがフランスの令嬢達には物珍しく、気を惹かれたらしい。
美の国の国体である自分と下手をすれば変わらぬほどの女性からの人気ぶりもまた、フランスを多少不機嫌にさせた。
もちろん、プライドにかけて誰にもそんな素振りは見せたりはしないが。
そんな風に表面上はプライベートレベルでゆる~くつながってきた関係ではあるが、最近では南のイスラムのみならず、西の方の騎馬民族の動きもまだまだ遠いとは言え不穏との噂があり、国内は足元をまず固めたいという声が高まってきて、完全に南下政策を撤退、むしろ今となっては自国よりも軍事力のある南のスペインと不可侵条約をきちんと締結して本土の安全の確保が急務という結論が上からはじき出された。
一時はボロボロの状態で訪ねてこられ、乞われて援助物資を恵んでやった相手と、こちらから不可侵条約を乞う形…それは美と愛の大国として美しく栄え続けた国の化身としては耐え難い屈辱ではあるが、国体といえど国民の総意、王家の決定の前には無力だ。
プライベートでの付き合いがあることは広まっているので、公で持ちかける前に旧友同士ということで根回しをしておいてほしいとの要望で、フランスは、ローマ滅亡後の再会以来、常にどこか機嫌の悪そうな旧友をまた自邸に招いたのである。
「オ~ラ!フランス、急にどうしたん?ワインの季節でもないやろ?」
驚いたことに今年の秋口、来年のワインが出来た頃に…と言って別れた時には確かに暗いオーラを撒き散らせていた旧友は、まるでローマの時代に戻りでもしたかのような底抜けに明るい笑顔と共に迎えの馬車から降りてきた。
当然フランス側としてはポカンとするしかない。
だって別人だ。
いや、別国というのが正しいのか?
「ん?どないしたん?なんかあったん?」
当たり前に昔のように屈託なく親しげに顔を覗きこんでくるスペインに恐る恐る聞いた。
「お前…なんか人格変わった?」
「へ?」
「レコンキスタ(祖国回復運動)終わって、なんだか昔の性格に戻りでもしたの?
妙に悩みない顔になってんだけど…」
「あ~!」
そんな失礼な言い方、ちょっと前ならキレられそうで出来なかったが、今なら平気かと言ってみたら平気だったらしい。
それどころか、
「親分な~、最近ようやっと欲しかった子ぉ手にいれてん」
と、照れくさそうに、まったく緊張感のない暴露をしてくれる。
それだけか?!国土関係ないのかっ?!
さすがに拍子抜けしすぎて、愛の国らしからぬツッコミをいれたくなる。
「お前さ、そんな程度のことで今まで不機嫌そうに眉間にしわ寄せて数世紀も生きてたわけ?!」
そして突っ込むと、スペインは少しだけ眉を寄せて
「そんな程度の事ちゃうもん」
と唇を尖らせた。
「その子に美味しいもん食わせてやりとおて、頑張って戦ってたから今の俺があるんやで?
まあでも、確かに、ず~っとな、その子の事そういう目で見とるって自分自身でも気づかんくて、それで自分自身すっきりせんかったっていうのもあんねん」
まあ…結果的には全てが順風満帆というところか…。
「じゃあ、さ、今、その子と上手くいってて出来れば余計な戦いは行きたくないッて感じじゃない?」
考えてみれば渡りに船だとフランスはニコリと微笑んだ。
「ん~。そうやね。出来れば一緒におりたいしな」
「じゃ、旧友として俺もお祝いしちゃおうかな」
「え~なに?」
「うちの国とさ、お前の国、微妙にいざこざあったりしてるじゃない?
上司に持ちかけてきちんと不可侵条約結んであげるよっ。
そしたらうちとのゴタゴタに手が煩わされないだけじゃなくて、大国二国が組んだとなったら、よほどのところでも喧嘩ふっかけてこなくなるじゃない?」
フランスの言葉をスペインはあっけないほどまるごと信じ込んだらしい。
「ええ?!ええん?!でも自分そんな事して大丈夫なん?」
というスペインの問いかけにフランスは天使の微笑と称される自身の一番美しい笑みを浮かべてうなづいてみせた。
「もちろん!俺は愛の国の化身だからねっ。旧友の愛のためならいくらでも骨を折るよっ」
「おおきにっ!自分ええ奴やなぁ!!」
と、二国が手を取り合ったところで、条約は事実上締結した。
こうして半月後、急遽正式に国同士で行われる事になった調印式。
各王族の隣には各国体。
色とりどりのきらびやかな花の刺繍で縁取られた白いマントのフランスと丁度対極の位置にいるスペインの黒いマントには、金糸で刺された見事な国旗の刺繍。
ところどころスペインの瞳の色に似た小さなエメラルドが散りばめられているのも見事で、とにかく目が行く。
完全にメインが何だったのかわからないような調印式が終わって控室に下がると、フランスはまずスペインに駆け寄って
「ねえ、それどこの職人に作らせたの?こんな短期間によほどいそがせたの?」
と聞く。
それに対してスペインが誇らしげに
「これ?これは職人に作らせたんちゃうで?
親分の大事な大事な子ぉが親分のために刺繍してくれてん」
と話題に上げてしまったことが、ベルギーの受難の始まりだった。
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