一人ひっそりとスペインの城を抜けだして、自国への帰路をたどる道々。
ぽつりぽつりと降っていた雨はすぐやんだが、イングランドの目からこぼれ落ちる雨は当分やみそうにない。
ひどく気分が沈んでいく。
――イングラテラ、親分の可愛えイングラテラ、ずぅっと一緒にいたってな。
そんな言葉と共に、みすぼらしい家やけど…と、少し困ったように笑った顔が、今でもはっきり思い出せる。
初めてスペインの地に来て案内された館は本当に小さくて…でも、とても暖かかった。
それは決してこの地が自国よりも南だからというだけではなかったと思う。
飄々と…でもずいぶんと慈しんでくれたかの大国が消えて、冷えきった心に差し込んだ陽光。
かの大国にとっては自分は唯一ではなかったが、太陽の国の化身は自分を唯一だと言ってくれた。
ずっと一緒にいると言ってくれたのだ。
かの大国のようにフラッと去って、消えてしまうのでは?と、自分で手を伸ばしたくせに恐れていたイングランドのそんな不安を吹き飛ばしてしまう程度には、その微笑みは暖かく、言葉は力強かった気がする。
安心したのだ…。
自分は一人ぼっちではなくなった、自分を求めてくれる相手が確かにいて、自分の居場所が出来たのだと…。
確かにあの時、あの狭い館には自分の居場所があったのだ。
スペインがそれを望んでくれたから…。
でもそれから数百年たった現在、あの館よりはるか大きく、数十倍はあるであろう城の中には、自分の居場所はなくなってしまっている。
スペインが自分を望まない…
最近では二人きりだと言葉もなく困ったように顔をそらされる。
実際…昔あんなふうに一緒にいると約束してしまったのを後悔しているのだろう。
だからあんなに城は広いのに、小さな自分一人の居場所すらなくなってしまったのだ。
ポロポロと涙が止まらないのは、慣れないヒールで靴ずれをした足が痛いせいだ…
イングランドはなくした居場所の事は考えまいと、そんな風に思うことにして、痛む足を引きずるようにして、自国へ帰るために港へと急いだ。
フランスまで出て陸路で…と、考えないでもなかったが、以前来た道を逆方向へと戻って行くのは、つらくて耐えられそうになかった。
数百年前、一緒にいる未来を楽しげに語るスペインと乗った馬車には乗りたくない…。
そんな理由で、近いとは言ってもかなり距離がある上に履きなれない踵の高い靴でゆっくりゆっくり徒歩で向かったため、港へ着いた時には、だいぶ時間がたっていた。
とりあえず自国へ直接向かう船はないので、まずはフランス行きの船をみつけなければ…そう思いつつ、船の方へと足が向かず、佇んでいるのも足が痛いからだ。
もしかしたら気づいたスペインが迎えに来てくれるかも…などと思ってるわけでは断じて無い。
そんなありえない期待をしているわけじゃない。
イングランドは寒空の下、そんなことを思いながら唇を噛み締めてうつむいた。
――イングラテラ、何しとるん?ほら、こんなに冷えてもうて。家に帰んで。
ハグをして額にちゅっと口付けて、笑って言うスペインはもういない。
最近ではあまり目線すら合わせてもらえなくなっていたのだ。
迎えになんてくるはずがない…。
そんな事を思うと、また止まっていた涙がぽろりとこぼれ落ちた。
『なあ、何しとるん?ほら、こんな所おったら冷えるやろ。』
その時、不意に後ろで声がした。
(…ありえない。)
まず思ったのはそんな事で、でもまさに今想像していたその通りの言葉をかけられて、イングランドは硬直する。
そして…振り向いてみて絶望した。
スペインのはずないじゃないか…そう改めて思い知る。
イングランドの後ろに立っていたのは、黒髪と褐色の肌は同じでも、顔も眼の色も何もかもスペインとは違う見知らぬ船乗りだった。
ちゃんと聞いてみれば、スペイン語だからイントネーションは同じでも、声だって全然似ていない。
期待していない…そう思いつつ自分はどれだけ浅ましくも未練がましい事を考えていたのだろう…。
自己嫌悪でめまいがした。
「なあ、なんでこないな所で泣いとるん?気分でも悪いん?」
イングランドがそんなことを考えている間に男は距離を詰めてくる。
「俺、この先の宿に泊まっとるんやけど、気分悪いんなら休んでき?」
と、腕を掴まれたところで、イングランドはようやくわれに返って男を見上げた。
「怪しいもんちゃうよ?そこの船に乗っとる船乗りやねん。
お姫さんみたいな可愛え子ぉが、こないなとこ一人でおったらおかしなのが寄ってきて危ないさかい、俺とおいでぇな」
いかつい顔に貼り付けたような笑みでそういう男に、イングランドは
――まさにお前みたいな奴がな。
と、内心ため息をついた。
さて、どうやってかわそうか…。
実は男だ…とカミングアウトするのが一番簡単なわけだが、それはなかなか恥ずかしい。
瞬発力はあってもまだ成長途中の自分では、単純な腕力という面では屈強の船乗りに敵うはずもなく、しっかり掴まれたこの腕を振りほどくというのも困難そうだ。
不意打ちで急所でも蹴り上げれば振りきれるかもしれないが、すぐそこの船の乗組員ということは、仲間が側にいる可能性も高い。
怒らせた上で大勢に囲まれる事態になったら厄介だ。
結局、取れるのは効果がなさそうな正攻法だけか。
イングランドは心のなかで舌打ちをして、しかし表ではにっこりと笑みを浮かべて見せた。
「ご親切に。でも知人と待ち合わせをしているので…」
効果ないだろうな…と、自分でも思いつつそう言うが、案の定男は
「でも一人でこんなとこおったら危ないで。
ええわ。俺の知り合いをここに残して伝えさせたるさかい、おいで」
と答えて、お~い、と、船に向かって声をかける。
「どないしたん?」
と、それに応えてぞろぞろと近づいてくる船乗り達。
ああ…最悪だ。かわさないといけない人数が格段に増えた。
…というか、かわせるのか?これ。
無理だな。どう考えても無理だ。
これはもう恥を忍んで言うしかない。
「…事情があって………こ……なんだ」
「はあ?」
ぎゅっとドレスの裾を握りしめて、恥を忍んでカミングアウトしたのだが声が小さくて聞こえなかったらしく、返ってきたのは不可思議そうな顔。
人が恥ずかしいのを我慢して言ったのに聞こえないだとぉ?!
もう色々で頭に血がのぼった。
「事情があって女装してる男なんだよっ!ばかあぁ!!」
そう叫んだら、さすがに聞こえたらしく、3人揃ってぽか~んと呆けた。
やっと分かって諦めたかっと、イングランドは小さく息を吐き出して、じゃあ、と、立ち去ろうとするが、依然として掴まれた腕は放される事がない。
「…あの?」
不思議に思ってコクンと首をかしげると、一人は大きくため息をつき、一人は呆れた顔をし、一人は苦笑いを浮かべた。
長い金色のまつげに縁取られたくるんと大きなグリーンアイ。
真っ白な肌にバラ色の頬の可愛らしい顔でそんな仕草をしたら、余計に少女のようにしか見えない…などと言う事には当然気づかず、
(なんなんだ?その反応は…)
と、イングランドが思っていると、おもむろに今度は腕を掴んでいる男とは別の男が退路を塞ぐようにイングランドの後ろに立って、両肩に手を置いた。
「あんなぁ…そんな露骨な嘘つくほど警戒せんでも…」
苦笑する男の言葉に、イングランドは呆然とした。
この期に及んで信じられてないのか…。
信じろよっ!普通信じるだろうよっ!
普通男がこんな格好してないだろうから女だと思っても、男だと言われればわかるだろうがっ!
まだ成長途中だというのを差し置いても童顔な事もあって、まだやや少女じみた可愛らしい容姿であるという自覚のないイングランドには、男達があまりに見る目がないようにしか感じられず、イラっとする。
自分のどこが可愛らしいレディに見えるというのだ。
…実際可愛らしいレディなら…スペインだって……
そう、ベルギーのように特別な目で見られなくとも、一緒にいて睨まれたり目をそむけられたりはしなかったのかもしれない…。
『仲ええ姉妹みたいやんなぁ。楽園やんなぁ』
と、あの暖かい笑みをいまだ向けられていたかもしれない…。
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