ダンデライオン_2章

あ~…やってもうた……。

背中をザックリと大きく切り裂く偃月刀。
死なない…とは言っても、急激に大量の血が失われれば、貧血くらいは起こす。

フラリと揺らぐ身体。

少し前ならもうこのまま倒れても構わないと思っていたところだが、そこでスペインの脳裏に浮かんだのは、天使の顔。

――お前が絶対に戻ってくるって言うから待っててやるんだからなっ!

プクリと頬を膨らませて言う口調は強くぶっきらぼうだが、丸く大きなペリドットのような瞳は不安に揺れている。

こんな風に身を案じられたのはどのくらいぶりだろうか………。

嬉しくて思わず笑みを浮かべると、ヘラヘラするなっ!とぽかぽかまだ小さな手で胸元を叩かれた。


イングランド…イングラテラ……

それはどん底のスペインが思いがけず拾った、スペインを幸せにする神様…もといそのお膝元にいるであろう育ての親からの贈り物だった。

「大丈夫っ、親分こう見えても強いんやで?
でも…そうやな。イングラテラが待っててくれるって思うたら、絶対に帰って来れるわ。
やって、イングラテラは親分のお宝やさかいな」

親分…それはスペインが国として、上にあるものとして自分を自覚した時から、手の内にいる守るべき者を守る者である自分というのを意識して使い始めた一人称だった。

しかしこのところ、もう自分が守るべきものなどないのではないだろうか…と、悩み、使えなくなっていた言葉でもある。

それをスペインは今回久々に自分の呼称として口にした。

例え世界中が自分の気持ちなど要らないと言っても、この子だけは溢れ出る愛情を受け取ってくれる。

この子がいる限り、自分は確かに守護者、親分なのだ。


「ええ子で待っとってな、親分の可愛えイングラテラ」

ちゅっちゅっとまだふっくらした子どもの両頬にキスをすると、子どもはくすぐったそうに首をすくめ、しかし

「いい子で帰って来いよ、俺のエスパーニャ」

と、すまし顔でちゅっと一度だけ頬にキスを返してくれた。


その様子がおかしくて、可愛くて、幸せで、幸せで…スペインは満面の笑みで

「帰ってきたらご褒美にまたキスしたってな」

と、もう一度、今度は子どもの広い額にキスをして、ちゃんと帰ってくると約束をしたのだ。

そう…この世で一番大切な宝物に、絶対に帰ると約束をしたのだ。




「約束は…守らなあかんよなっ!

ドン!!とハルバードの柄を地面に突き立て、ふらつく身体を立て直すと、スペインはギラリと迫り来る敵を睨みつけ、

「死にたい奴はかかってきぃ!!みんなこのハルバードの刀の錆にしたるわっ!!
親分は負けへんでぇっ!!」

と、吠えて突進する。




まるで悪鬼か戦神か。

敵には前者、味方には後者に見えたかもしれない。

人ならぬモノがあげる雄叫びに怯んで及び腰になる敵と、勢いづく味方。

まだ少年期を抜け出ていない若干小柄な身体で大ぶりのハルバードをブルンブルンと振り回し、敵の返り血に染まっていく赤い太陽。

人であれば致命傷を負っているであろう状態で、恐ろしい勢いで相手を倒して行くのだから、敵からすると勝てる気がしない。

右往左往しながら逃げる敵兵。
それを追いかけ、殲滅する味方。

――さすが祖国っ!

快勝が決定づけられた時、味方のあちこちから沸き起こる笑みと賞賛。
今までと打って変わった雰囲気に戸惑いながらも、スペインは国に待つお宝の元へ帰れる喜びに抑えきれぬ笑みを浮かべて

「さあ!帰るで~!!」
と、高らかに帰郷の号令を下した。







「……エスパーニャの……エスパーニャのばかあああぁ~~!!!!!

キーンと耳をつんざくような声。
ぽかぽかと胸元を叩かれれば、当然背中の傷に響く。


普通に考えれば勝って帰ってきた相手にこの対応はないだろう。

しかしスペインはイタタっと口では言いながらも、相好を崩してイングランドの小さな手を掴むと、両の拳にちゅっちゅっと口付ける。


「ばかばかばかっ!誤魔化されねえぞっ、このスットコばかあぁ~!!」

しばらく手首を掴まれたままジタバタしていたイングランドだったが、やがて大人しくなったかと思うと、今度はポロポロと涙をこぼし始めた。

「…く…国だからって……消えねえとは限らないんだからなっ!
…お前がっ…お前が連れてきたくせにっ…!
消えたらっ…俺っ…ここに一人じゃねえかっ…!
絶対…絶対にっ…ゆるさねっ…からっ……」

ヒックヒックとシャクリをあげ始めるイングランドを前に、嬉しさと愛しさともう色々で胸がいっぱいになる。

「堪忍な~。堪忍、イングラテラ。
親分ちょっと油断してもうた。次は絶対にこんな怪我せんから」

小さな小さな身体は抱きしめると温かく、傷の痛みも、戦いの疲れも、全てが癒やされていく。

この愛おしい存在を守るために、自分はもっともっと強くならねば…。


「な、次はもっと頑張るさかい、お帰りのキスしたってや?」

腕の中で泣き続ける愛し子に優しくそう言ってその頬を伝う涙をぬぐってやると、泣きすぎてウサギのように真っ赤になった目で、イングランドはスペインを見上げた。

「…別に……頑張って勝たなくてもいい。
頑張って生き残れ」

真摯な様子でそう言う愛し子に、スペインは一瞬言葉を失った。

ああ…愛しい、嬉しい。

ただ自分という存在がそこにあること、それを純粋に望んでくれる相手がここにいる。


「うん。大丈夫や。
親分、イングラテラとずっと一緒におりたいもん。
せやからイングラテラが側におってくれる限り、消えたりできひんわ」

そう言って笑いかけると、

「当たり前だっ。自分が一緒に来てくれって頼んだんだからなっ」

と、泣いたのが気恥ずかしかったのか、ぷいっとそっぽを向きながら、イングランドはボソボソっとつぶやいた。


こうして帰還の挨拶を済ませると、スペインはイングランドと共に、まだまだ質素な城の質素なテーブルの上の質素な食事を摂る。

――今日はごちそうだな。

パンと野菜のスープとチーズと僅かな肉。

ローマに保護されていた時の日常の食事にも及ばないそれは、それでも国土の大半を異教徒に占領されて、それを取り戻すための戦いに身を投じているスペインにとっては、戦勝祝いに久々にした贅沢だった。

それでも本当にすごいご馳走を前にした時のように目を輝かせるイングランドを目にすると、昔ローマが食べさせてくれていたような食事をさせてやりたい…と、切実に思う。

自分は飢えようが傷つこうが構わないが、イングランドにだけは腹を減らせる事も、危険に怯える事もなく、安全な場所で美味しいものを思い切り食べさせてやりたい。

そのためには自分はもっと頑張って強くならねば…。

質素な食事を嬉しそうに頬張るイングランドを前に、スペインは思う。
こうしてイングランドの願いとは裏腹に、スペインはまた戦場に赴く決意を新たにするのだった。


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