華やかなスポットライトを浴びて舞台終了後に劇場の看板スターとなったアントーニョが観客に向かって笑顔を振りまいている。
それを舞台上の天井の隠し戸からそっと覗いている一対のキラキラしたペリドット。
手には古ぼけたクマのぬいぐるみを抱えていて、そのぬいぐるみに向かって小声で話しかけた。
と、はずんだ声にぬいぐるみが答える事は当然ないが、それを気にすることもなくアーサーは再び眼下の舞台に目を落とした。
アーサーが見つめる舞台上では、この劇場の新たな所有者となった青年が紹介されている。
その青年には見覚えがあった。
昔々、よくアントーニョと一緒にいた目を見張るほど美しい子ども。
少女だと思っていたが、男だったらしい…。
貴族にもらわれていったと風の噂に聞いたのだが、縁は続いていたのか…。
舞台上ではアントーニョの幼なじみだと紹介されているその青年は、キラキラと綺麗に手入れのされた髪をして、綺麗な服を身につけていた。
自分とは違ってお金も地位もあって、舞台の上に並んで立てる貴族。
その後ろ盾があれば、アントーニョはきっともう困る事などないだろう…。
そうであれば自分がしてやれる事など1つしか無い。
もうかれこれ7年も見守り続けてきたわけだが、それも今日で終わりだ。
ぽとり…とこぼれ落ちる雫が戸の隙間をぬって下に落ちていく。
それを確認する事もなく隠し戸を閉めたアーサーは、逆に自分が見続けていた相手が驚いた視線を上に向けていた事に気づくことはなかった。
「さあ、トーニョ、お引越しだぞ」
と、手の中のクマに話しかけると、アーサーは入り組んだ隠し通路を迷いもせず進み、地下の小さな小屋へと戻っていった。
そこにはアーサーのささやかな家財道具と宝物が置いてある。
アントーニョがオペラ座の下働きから寄宿生としてオペラ座に併設する宿舎に住み始めた時から、その後を追うようにその地下にあるこの小屋に住み始めて早7年。
僅かな外の光を取り込めるように工夫された小さなエリアで育てているミニトマトの鉢、拾ってきた布団を床に敷いただけの寝床、水路に囲まれているためそれだけは大量にある水を汲むための瓶、拾い物の編み針に拾い物の編み物を丁寧に洗ってほどいた毛糸。
そして夜中…街中の掲示板からこっそり拝借してきたアントーニョの出演する舞台のチラシの数々はクマのトーニョと並んでアーサーの数少ない宝物だ。
7年も住んでいてたったそれだけがアーサーの全財産である。
転がり込む…というのが正しいくらいに、本当にクマのトーニョだけ抱いてここに来て、必要最低限の物だけを拾ってきて、生活を始めたのだ。
だから生きていくのに必要な物などそう多くはない。
布団や瓶は持って行くには大きすぎるし、毛糸はもう編む必要はなくなった。
ミニトマトの鉢だけはアントーニョのために育てていたものだから、もらってもらえないだろうか…。
知らない人間からの贈り物なんて気味が悪いだろうか…。
主役として注目され始めたアントーニョのインタビューが載った新聞を見たことがある。
まだ下働きをしていた頃、貧乏で飢えていた時代、時折窓際にミニトマトが置いてあって、それで随分飢えを凌いだのだと、そんな記事があって、その記事はアーサーの宝物として取ってある。
そう、それを置いたのは自分だ。
売り払われた孤児院。
そこで育てていて無残に引き倒されていたトマトの苗をこっそり拝借して育て始めたのがはじまりだった。
元々アントーニョの孤児院で育てられていた物だから、どんなに飢えても一粒の実すら自分の口にいれたことはなかった。
赤く美味しそうに色づいた実は全て丁寧にもいで洗ってアントーニョの元へ。
飢える事などなくなった今でも食べてもらえているのかは正直わからない。
でももしあの記事が本当だとしたら、食べてもらえていた時期はあるのだ。
なら、貰ってもらえないだろうか…邪魔になったら…捨ててもらえば良いものだし…。
よしっ!ここを去るのは明日にして、今夜、皆が寝静まった頃、トマトの鉢をアントーニョの所にテロしに行こう。
そう決意して、アーサーは丁寧にトマトの鉢の周りを布団代わりの布の端っこを少し切り取った物を濡らして綺麗に拭いた。
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