一応イングランドを混乱させないように、なるべく現代の物が少ない部屋を選んだつもりだが、あの頃とは部屋の構造や素材からして違う。
イングランドはまるで知らない場所に急に連れて来られた小動物のように不安げにあたりをみまわしている。
「ああ、ここは安全な場所やから安心してええよ。万が一があっても親分が守ったる。
わかっとるやろ?」
と、この頃よくイングランドにしてやったように頭をなでた。
この時代はスペインは大国で、国としてまだ弱小だったイングランドは、こうやって守ってやるというと安心しきった笑みを向けてくれたものだ。
まあ…実際はいくら大国と言えど、守る対象を決めるのは人間で、スペインが守りたくても守ってやれなかったのだが…。
それでもイングランドは少し落ち着いたようで、あたりを見回していた視線はスペインに向けられ、その言葉を待っている。
そこでスペインは質問を開始した。
「で?聞かせたって?ちょっと親分色々あって、今の自分の状況がわかってへんねん。
自分は今どういう状況なん?」
自分と結婚していた頃…というのは服装から見ても外見から見ても確かだが、あの頃は短い間に色々な事が起こっていて、状況がめまぐるしく変わっている。
一体どのあたりから来たイングランドなのだろうか…と思って聞くと、ソファで並んで座っていたイングランドは縋るようにスペインのワイシャツの胸元をつかむ。
素直に自分の心のうちを語るのが得意ではなかったイングランドは、不安を訴えたい時などはよくこうしていた。
ということは…おそらく国同士はもう不穏になっていた頃なのだろうと検討をつけると案の定で、
「ベスの…女王の戴冠式のために戻って欲しいっていうの、アレ嘘だったんだ。
でもっでも俺知らなかったっ!本当にそうだと思ってたんだっ!
戴冠式が終わったらちゃんとエスパーニャのとこに戻るつもりでっ…」
と、必死な様子で訴えてくる。
ああ、その頃か…と、どうりで見覚えのないブラウスだとスペインは納得した。
もちろんイングランドの言葉を疑う気もない。
スペインの手の中であんなに安心しきって楽しげに微笑んでいたイングランドが自分を裏切って国にとどまる事などあるはずがない。
「ああ、そうやろな。大丈夫。そんなことやろうって思うとったから、安心し」
と、スペインが安心させるようにイングランドの背をポンポンと軽く叩くと、気を張り詰めていたのだろう。
イングランドは小さく息を吐き出して、ポロリと大きな目から涙を零した。
「ごめん…ごめんな、エスパーニャ。
俺、何度も帰ろうとしたけど、ダメだった」
と、一生懸命訴えるこの子が愛おしい。
「ええよ。こっちも何度も迎えよこしたんやけどな、返されてもうて、手ぇこまねいとったんや」
行儀よく返されている場合じゃなかった。
強引に…力づくでも奪い返してやればよかった…と、スペインはほぞをかむ。
だってこの子が帰りたがっても国体と言えどまだまだ幼い少年だ。
大勢の大人に止められれば、それを振りきって帰ってくる術などあろうはずもない。
こんな風に自分に誤解されたのではと不安に思いながら、何度も必死に戻ろうとするたび、連れ戻されて拘束されたのだろう。
よくよく見れば、手首には新しいもの、古いもの、幾重にも縄が擦れた跡がある。
可愛くて可哀想で…愛おしい。
そんな風にスペインが感傷に浸っていると、イングランドはひどく思いつめた様子で顔をあげた。
「…あの…あのなっ…帰りたいっていうのもあったんだけど、俺エスパーニャに言わないといけないことがあって……でも……言ったら…さよならだ…。
エスパーニャはもう…俺が嫌になる……」
ここが自分がいた場所とはどこか違うと思いつつも未来だとは知らないイングランドが悲しそうに言おうとしている内容はスペインには検討がついた。
――海賊の事やろ?
と、当たり前に言おうと思って、何気なくそのまま凝視していた手首に、縄の痕とは違う傷跡があるのに気づいて、開きかけた口が凍りついた。
細い手首に腕輪のように横方向に残る縄の痕と違い、縦に走る傷跡…。
これは…まさか?
冷やりと背筋が寒くなり、軽い目眩に襲われる。
何度も戻ろうと試みても戻れず、自分が裏切ったと誤解されていると不安に思っているところに、国が取った海賊による騙しうち政策…。
それがまだ幼いこの子の心をどれだけ痛めつけて蝕んだのだろうか…。
悩み…苦しみ…手首を切ったのか?
「…エスパーニャ?」
というイングランドの声が遠くに聞こえる。
震えながら少年期のイングランドのまだ細い手首の傷跡をそっと撫でて
「…これ…どないしたん?」
と問うが困ったように俯いたまま返答が返ってこないところを見るとそういう事なのだろう。
スペインはたまらなくなって、イングランドをギュッと抱え込むように抱きしめた。
「…海賊の事やったら…知っとるから心配せんでええよ?
親分こう見えても一度はほとんど異教徒に占領されても消えずに今こうして大国になったくらい打たれ強いからな。
小国にちょっとくらいじゃれつかれたくらい何でもないわ。
それより…イングラテラ、自分を大事にせなあかんよ?
今すぐは無理でも、いつか絶対に迎えに行ったるから…」
そう、自分は結局アルマダで1戦負けただけで、その後は追ってきたイングランド軍を撃退している。
あの戦い自体は自軍に有利な協定で終わっているのだ。
なのに可哀想に、この子はこんなに怯えて傷ついている。
せめて休戦の条件にこの子に会わせる事を断固として要求するべきだった。
ああ、でも今なら…今ならこの子を安心させてやることができるのではないだろうか。
この子にとってはまだ時代はアルマダの海戦前だ。
ここは未来で自分もこの子もちゃんとEUという同じ枠組みの中で生きているから、安心していいのだ…と、教えてやらなくては…。
ついでにいずれ自分の時代に戻ってしまうのだろうが、少しこの子を休ませてやりたい。
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