それは食費を浮かすためでも…ましてや宿代のためでもなかった。
まあ、宿などはそもそもが開催国であるポルトガルが手配するものなので、スペインには関係の無いことでもあるわけであるし。
ポルトガルでの世界会議の前日、ポルトガルの家に泊まりたいと申し出たのは、彼が世界最古の同盟を結んでいる小さな島国の話を聞きたかったからである。
気が強いように言われているが、実は臆病で繊細なあの子は本当に本当に可愛かった。
スペインが結婚した頃はスペインの側は大国で、あちらは本当に弱小国だったため、我を張るのも意味がないくらいの国力の差に、緊張はしながらも素直に甘えてくれていて、スペインもそれはそれはあの子を可愛がったものである。
それなのに女王エリザベスの戴冠式に出席して欲しいと言われてイングランドに戻したら、二度と戻っては来なかった。
それどころかその後彼の国は、海賊を使ってスペインを陥れたり散々だったのだが、スペインには自分の可愛い小さな花嫁がそれを了承して帰国、その後の暴挙に加担する図などとても想像が出来なかった。
素直じゃないだけで豪華な宝石より野に咲く小さな花を愛するような優しい子だったのだ。
その後は国策で、あの子と敵対するフランスの側につくことが多かったため、接触を持つことがなかなか出来ず、幾星霜。
たまに共闘する時があってもあの子は表に出てくることはなく、平和な時代が訪れる頃には時が経ちすぎてすっかり人見知られているようで、側にいるだけで萎縮するあの子に以前のように手を伸ばす事ができないでいる。
いい加減その状態を脱却したい。
間を取り持ってもらおうにも、悪友たちといると茶化されて終わり、日本はスペインが相談できるほど親しくない。
そうなると背に腹は変えられない。
あの子と世界最古の同盟を未だ結び続けている義理の兄ポルトガル。
いつものらりくらりと確信をかわし続ける食えない男だが、なんとか奴から有益な情報を引き出すしか無い。
…ということで上等の酒と生ハムを手土産に前日入りして泊まらせてもらうことになったのだが、やはり食えない男だった。
機嫌よく――と言ってもほとんど表情が変わらないため親しい人間にしかわからないが――散々飲み食いしたあげく、確信に触れさせる間も与えずに酔いつぶれて寝てしまった。
そして翌朝は早くに叩き起こされ、開催国としての諸々の準備を手伝わされるはめに。
まあ…今日じゃないとアカン言うわけやないし…と、なんとなく流されて会議場入りをし、言われるままにコピーを取りにコピー室に。
だが…もう国体と同様いうことを全然きく気のない怠惰なコピー機は、電源を入れてもうんともすんとも言わない。
『ああ、ほんまにもうポルトガルのとこのコピー機やわ、自分ッ!』
ガン!と軽くコピー機に蹴りを入れ、スペインは会議室へと舞い戻る。
「ポルトガル~、コピー機動かへんで~」
と、声をかけてドアを開いた瞬間、スペインは頭が真っ白になった。
あの子だ…。
そう、未だに思い出の中であどけない笑顔を自分に向けているイングランド。
衣装すらあの頃よく着ていたようなフリルをふんだんに使ったブラウスで…その袖口から出た真っ白で細い手首は荒縄で縛られていて、その縄に手をかけている浅黒い手は……
「自分……何してくれとるん?」
自分でも驚くほど余裕なく怒りに震える声。
衝動のまま走り寄って、可愛いあの子を縛り上げていた義兄を蹴り倒す。
蹴った勢いでポルトガルがどこかへ吹っ飛んでいったようだが、そんなものはどうでもいい。
大事なのは目の前のスペインの可愛い花嫁だ。
――……エ…スパーニャ?
怯えたように恐る恐る見上げてくる零れ落ちそうに大きなペリドット。
今のイングランドはこんな風に縋るような目で自分を見ることはない。
これは…本当にあの頃のイングランドなのだろう。
何故?と考えても仕方ない。
あの子は妖精に愛された不思議国家で、色々変わった能力を持っている。
今回も理由はわからないが、たぶんそれなのだろう。
『もしかして…エープリルフール用に何かしようとして失敗したんか…』
と小さく呟く自分に、イングランドがいまだ不安げな視線をむけてるのに気づいたスペインは、
「ああ、ちょお色々あって若干姿形が変わって見えとるかもしれへんけど、確かに親分やで。安心し」
と、微笑みかけてやる。
するとイングランドは少し安心したようで、そこで初めてあたりを見回して、またスペインを見上げてきた。
「…ここ…どこだ?俺…スペインに戻れたのか?」
不思議そうにまばたきをすると、クルンとカーブした長い金色の睫毛がキラキラ光る。
ああ、今日も親分のお宝ちゃんは絶好調な可愛らしさやなぁ…。
と思わず顔をほころばせ、そしてハッとする。
現代でもこの子を狙う輩は山といるのに、こんなにあどけなくも可愛らしい様子をしたこの子を他の国の目に触れさせたら危ない。
野獣の群れに仔ウサギを放り込むようなものだ。
とりあえず避難させなければ…と、スペインは少し考えこんで、
「ちょおここやとまずいから、こっちおいで」
と、イギリスの腕を掴んで助け起こすと、少し離れた休憩室に入ってドアの鍵を閉めた。
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