一応お忍びではあるので、衣装は目立たぬように黒。
兄には逆に目立つように白を基調にした物を身につけて貰う予定だ。
普通に貴族の令嬢も多数招いてはいるし、別にこの際、令嬢じゃなくても好みの容姿なら少年でも構わない。
まあ今を嘆いても始まらないので、許されている中で楽しむのが一番だ。
そんな事を考えながら、シェスタ後にゆっくり風呂に浸かり、着替えをする。
そして、なんとなく金の籠を手に取り、万が一皇太子だとバレては面倒なので、少し遅れて会場入りした。
もう王族からの挨拶なども終わり、側近候補達が兄を取り囲んでいるのを確認すると、アントーニョはチラリと手にした籠に視線を落とした。
男達は皇太子だと思っている兄に取り入るのに、娘達は将来の側近候補に取り入るのに忙しくて皆それどころではないかもしれないが、料理の中に紛れ込ませでもしておけば、誰かの口に入って、少しは美味しいと思ってもらえるのではないだろうか…
そう思って料理のテーブルの方へ足を向けたアントーニョは、そこで一人、目をキラキラ輝かせて皿に料理を取り分けている娘に気づいた。
これまで食べ物にそこまで嬉しそうな幸せそうな顔をする娘には会ったことはない。
しかもたわわに実る麦のような黄金色の髪に爽やかな春の風に揺れる新緑のような淡い緑の瞳、肌は雪のように真っ白な、とてもとても愛らしい娘だ。
どうせなら、こんな娘に食べてもらえれば…とアントーニョが思ったのはごくごく自然な成り行きだった。
時折何を取ろうか悩んで手を止めながら、真剣な顔で白い皿の上に少しでも無駄なく料理を並べている娘にそっと近づいて、
「野菜も食わなあかんよ~。ほらこれ、美味いから騙されたと思って食うてみ?」
と、さりげなくその皿に一つ、真っ赤に熟れた自慢のプチトマトを置いてみる。
きょとんと振り返る娘は目をまん丸くしてアントーニョとトマトを交互に見比べ…全く躊躇することもなく、トマトを口にした。
小さな可愛らしい口に吸い込まれていく真っ赤なトマト。
もきゅもきゅとそれを咀嚼して、びっくりしたような顔になる娘。
「甘いっ!」
と、小さな感嘆の呟き。
ほわほわと嬉しそうに綺麗なペリドットの瞳を輝かせる少女に、アントーニョはその瞬間、ストン!と何かを射抜かれた気分になった。
「何か欲しいモンある?取ったるよ?」
と、アントーニョが空いた皿を取ると、ぱあっと顔が明るくなって、
「これと…これと…あ、これもっ」
と、少女は邪気のない様子で料理を指さしていく。
愛想笑いでも、含みを持った笑いでもなく、きらきらと嬉しそうな笑みを浮かべる少女に、ああ、可愛えなぁ…とアントーニョの心に温かいものが沸き上がってくる。
「また何か欲しくなったら親分が取りに来たるから、ゆっくり座って食べ?」
と、少女の両手とアントーニョの片手にある皿がいっぱいになると、アントーニョは少女との時間を万が一にでも邪魔されたくなくて、中庭のベンチの方へとうながした。
こうしてずらりとテーブルに並べた料理を、少女は美味しそうに平らげていく。
「自分、ほんま美味そうに食うなぁ」
と、思わず笑うと、少女はゴックンと口の中の物を飲み込んで、軽くナプキンで口を拭うと
「普段こんなご馳走どころか、下手すると食事抜きの時もあるからな」
などととんでもない事を口にする。
「なん?!なんでや?!もしかしてダイエットとかか?
あかんで、自分全然太ってへんやん」
「そんなんじゃない」
と、驚くアントーニョに少女は困ったような…どこか泣きそうな顔で、それでも笑みを浮かべて、話し始めた。
3年前亡くなった母親の事…その後父親が再婚して出来た新しい母親と兄達の事…新しい母と折り合いが悪く、満足に食事にもありつけない事のある自身の身の上のこと……
聞いているアントーニョの方が胸が締め付けられそうな、そんな身の上話を淡々としつつ、少女はまた食事を平らげていく。
「な、なあっ!自分そんなんならうちに帰らんでもええんちゃう?
ここで暮らし?!」
そうだ、帰る必要なんてない。
こんなにこの子を必要としている自分がここにいるのだ。
「親分めっちゃ美味いモン仰山食わしたるよっ。
このトマトやって、親分が自分で育てたんやでっ!
料理かて戦場出てた頃に教わって一通り出来るし、なんでも食わしたるっ」
この子がずっと居てくれたら絶対に毎日が楽しい。
今はバルコニーのプランターで細々作っている野菜だって、美味しく食べてくれる相手がいるなら、庭に畑を作らせてもっと色々作ったって良いのだ。
少女はアントーニョの言葉にまたびっくり眼になる。
コロコロよく変わる表情が、宮中のすました顔の女達と違って生き生きと自然な感じがして愛らしくも好ましい。
まだ12,3歳くらいだろうか。
手折るにはまだ随分と早い気がするが、こんな子を手元に置いて自らの手で甘やかして甘やかして甘やかして育ててやるのは、きっとこの憂鬱な城の生活を一変させるくらい楽しいだろう。
少女のびっくり眼が少し柔らかな感じに細められ、口元に小さな笑みが浮かんだ。
「お前…良い奴だな」
と、しかしその言葉と一緒にぽろりと目元から涙があふれる。
「でもダメだ。お前が見てるのは綺麗なドレスを着た幻に過ぎない」
「…どういうことなん?
そのドレスは確かに可愛えけど、そのドレス着とるから言うとるわけやないで?
別にそのドレスやなくても、ドレスくらいいくらでも買うたるし…」
「…そういう意味じゃない…違うんだ」
少女は小さく首を横に振り、それからふと気づいたように時計に目を向けた。
「そろそろ…食後のお茶を欲しいな」
暗に持って来いと言わんばかりに見上げられて、アントーニョは立ち上がる。
「おん。コーヒーと紅茶どっちがええ?」
「紅茶。あとプディングも」
「了解。待っといてな」
そして足早に広間に戻って感じる違和感。
直前の会話…涙…時計…そして…最後ににこやかに手を振りながらも返事のなかった少女。
パチン!と、ピースが埋まった気がした。
そしてアントーニョは中庭に急いで取って返す。
思った通りベンチはもぬけの殻だ。
急いであたりを見回しつつ耳をすませる。
小さな音も聞き逃さない聴覚に優れたアントーニョの耳に風にのって微かに届く靴音。
「あっちかっ!」
と、急いで今日は開かれている裏門に走れば、長い階段を駆け下りる少女の姿。
「待ってっ!!!待ったってっ!!!!!」
追いながら叫ぶアントーニョの声に驚いたのか、一瞬転びかける少女に息を飲むが、なんとか体制を立て直した少女は振り返らずに逃げ去っていく。
まるで野生動物のような素早さだ。
しかし馬車もなく徒歩ではどうせ遠くまでは行けまい。
なにしろドレス姿だ……と思ったアントーニョの考えは甘かった。
アントーニョが階段の下まで駆け下りた時には少女は影も形もない。
馬でも隠しておいたのだろうか……。
しばらくあたりを探しまわり、しかし見つける事が出来ず肩を落として城を振り返ると、長い階段の途中、丁度少女が転びかけたあたりで何かが光っている。
駆け寄って見れば、それは小さなガラスの靴だった。
――あの子の…靴や…
手にとって確信して、アントーニョは決意する。
例え国中探しまわっても、あの少女を見つけ出してこの手の中に連れ戻す。
そうと決まればパーティどころではない。
側近なんてクソ食らえだ。
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