今は22時。
食事時間はあと2時間弱だ。
こんな男に関わっている暇はない。
しかし勧められるままプチトマトを食べた後も、男は離れる気配がない。
が、
「何か欲しいモンある?取ったるよ?」
と、甲斐甲斐しく皿に料理をとりわけ、トレイまで持ってきてくれたので、まあ許そう。
「また何か欲しくなったら親分が取りに来たるから、ゆっくり座って食べ?」
と、男に誘導されるまま、アーサーは中庭のテーブルまで移動した。
「え?…あ、あの…あなたは?どなたです?」
東国からわざわざやってきた少年は、アントーニョを前にして、ひどく驚いたような当惑したような表情を見せた。
「誰て…この国の皇太子、跡取りやけど?」
アントーニョは椅子の肘掛けに行儀悪く肘をつきながら、あ~あ、と内心ため息をついた。
目の前にいるのは西の強国であるアントーニョの国に仕えるために東の小国から来た王子だ。
何度か姿を見た事がある気はする。
なのに何故本来は覚えねばならぬはずの立場が低い向こうの方に覚えがないかといえば、それは皇太子として対応したのがアントーニョではなかったという一点に尽きた。
アントーニョはジッとしているのが苦手だった。
非常に苦手だ。
さらに言わせてもらえるなら、他人に世話を焼かれるよりも世話を焼きたい派である。
出来れば親分、将軍として軍でも率いて各地を転戦していたい。
実際社会勉強としてそんな経験を積ませてもらってからはなおさらのこと、そんな思いは募るが、一応跡取り、腐っても皇太子。
いつまでもそんな事をしていられるはずもなく、王宮に戻され、かしずかれる生活に日々鬱々としていた。
そんなアントーニョには腹違いの兄がいた。
母親が身分の低い…もっと言えば小国から人質として送られてきた姫の侍女だったため、生粋の西の国の王族よりもまだ王位継承権としては下なのだが、双方父親似のため、外見はかなり似ていると言って良い。
この兄は外見こそ似ているもののアントーニョとは逆に自分で動くのが好きではないらしい。
ただし色事を除く。
そう、色事については兄弟そろってアクティブである……ということはおいておいて、他の事に関しては実に動かない。喋らない。
鉄砲玉のように飛び回って機関銃のごとくしゃべる弟とは本当に対照的な男なのである。
なのでそれを良いことに、アントーニョはしばしば他国とのやりとりの時はこの兄を身代わりに立てて走り回っていた。
国内の事でも色々面白いが、他国の者は言葉はもちろん、服装、習慣、何もかもが違って面白い。
こんな面白い物を遠く玉座から見下ろしているなんて事を出来るわけがない。
…というわけで…東国の時もそんな感じに兄に身代わりを頼んだ結果がこれだ。
「普段は安全のために影武者使っとんねん」
と、一応遊びまわりたいからというわけにもいかないので、そう言うと、東国の王子は一瞬表情を曇らせた。
しかしすぐポーカーフェイスに戻る。
「ああ、安心し?影武者言うても全然関係ないそこらの使用人ちゃうで?
俺の腹違いの兄貴や。
自分がここで暮らしとる間もちょいちょい会うし、一緒に働いてもらうことは多いと思うで。むしろ俺とおるより多いんちゃう?」
アントーニョがそう言うと、少年はホッとため息をつき、アントーニョも内心安堵した。
――兄貴…手ぇ出しよったな。
と、いかにも兄好みの真面目で従順でマメで大人しそうな少年を前にアントーニョは思う。
まあ性格が真逆なら好みのタイプも真逆な兄である。
別に兄が手を出したがるようなタイプは自分のタイプではないので全然構わない。
むしろ相手がそれで真面目に働いてくれればかえって歓迎すべきことだ。
「自分、名前は?」
と、自分自身のお付きになら尋ねない名前など尋ねてみるのは、決して少年に対する興味ではない。
むしろ逆だ。
自分が今後関わるつもりがないので、聞かれた時に名前くらいは言えるようにという理由からである。
が、名前を聞かれたことで、少年はまた若干緊張した面持ちになった。
「はい…マカオ…マカオと申します。」
と、完璧に表情は消しているものの、なにか追い詰められたような空気を含んで答える少年に、アントーニョはニコリと興味のない者に向ける当たり障りのない笑みを浮かべて言った。
「マカオな。覚えとくわ。
とりあえず自分は普段は兄ちゃんの身の周りの世話しとってや。
兄ちゃんが皇太子の影武者として表に出る時は、それらしゅう恭しく付き従うのが自分の一番の仕事や。ええ?」
「はいっ!精一杯努めさせて頂きます。」
と、そこで少年は初めて歳相応の笑みを浮かべてそう答えると、深々とお辞儀をする。
「兄ちゃんはエンリケや。ええ奴やけど、ちょお無精なとこあるから、まあ頼むわ。
今日はパーティーあるから、自分の初仕事やで。あんじょう気張りや?」
と、アントーニョはそこで話を切り上げて、席を立った。
「じゃ、兄ちゃん、そういうことで今日も頼むわ~」
と、そこで奥に控えている義兄にバトンタッチする。
「ええけど…自分その間なにするん?」
いつもの事ながらフリーダムな弟に呆れる事もなく、ゆったり構える兄。
「ん~可愛え子ぉでもおらんか探して…おらんようやったら、アホ共呼び出して飲み会でもするかなぁ…。
とにかく堅苦しいのはかなわんわ。
あれこれベタベタ世話焼かれんのもうっといし」
「まあ…確かに堅苦しいのはかなわんけど、可愛え子ぉに世話やかれんのはええやん」
「えー。可愛え子ぉなら世話焼いてやりたいやん」
「その辺は自分とは合わへんなぁ」
「せやなぁ。でもええやん。好み違うた方が。
兄ちゃんと恋人取りおうて勝てる気せえへんわ。
場数ちゃうし。やばいこと知られすぎとるし。
俺のことよか、自分、手ぇ出すなら事情話しといてやらなあかんやん。
不安そうな顔しとったで?」
と、そこでちらりと先ほどまで話していた少年に視線を向ければ、兄の興味の対象は完全に出来たてほやほやらしい恋人に移ったらしい。
途端に何故か溢れ出るフェロモン。
「あ~、マカオ~。堪忍な。不安にさせてもうたか」
と、始めたら、もうここに留まり続けるのも野暮というものである。
「じゃあ兄ちゃん頼んだな~。
やるならちゃんと奥の仮眠室のベッド行き。ここ汚したら怒られるで~」
と、もうその場で始めかけている兄に一応声だけかけて、アントーニョは執務室を出ると、自室に戻った。
そしてバルコニーで赤々とした実をつけるトマトを前にため息をつく。
美味しそうなトマト…でも、こんな物望まれてはいないのだ。
トマトなんて作っている暇があるなら、印鑑の一つでも押せと言われるのが現実だ。
力仕事も栽培も腕っ節の強さも…自分が楽しいと思うことは全て自分には望まれてない。
今日だってそんな自分のデスクワーク能力のなさを補う補佐を見つけるためのパーティーだという。
そんな楽しくなさそうな相手をわざわざ見つけなければならない身の不運にため息しか出ない。
まあ、どうせ誰でも同じだろうし、その人選は兄にまかせて、せめてパーティーは楽しもうと、アントーニョは熟れた赤い実をいくつか収穫すると、小さな金の籠に放り込む。
これがルビーなら喜んで受け取ってくれる令嬢はたくさんいるのだろうが、いくら丹精こめて美味しい美味しい食べ物を作ったところで、愛想笑いと共に社交辞令がかえってくるだけだ……虚しい。
「まあ、ええか。楽しい夜提供してくれる子でもおれば」
と、もうそのあたりは開き直って、アントーニョは夜会の衣装のチェックを始めた。
0 件のコメント :
コメントを投稿