可哀想にな……と、もう一度こぼれ落ちたスペインの言葉に、天使の目から少し怯えが薄れたような気がした。
そこで、『一口でもええから』と、少し匙をまた口元に近づけると、少年は小さく口を開けてパクンと匙をくわえた。
流し込まれたシチューが咀嚼されてコクンと飲み込まれていく。
その様子にほわ~っとスペインは心の中に希望が広がった気がした。
そう安堵して匙を運んでいると、天使の目から水晶のような涙のつぶがこぼれ落ちた。
悲しみからか喜びからか…どちらにしても恐ろしかったと声の出ぬ口の代わりに目で訴えられているようで、可哀想で可哀想でスペインの目からも涙がこぼれた。
「たんと食べて早く元気になりや?元気になったら楽しい事いっぱい教えたるからな」
食事を終えた子どもに薬を飲ませ、冷えないように肩までブランケットをかけてやる。
――や~め~てぇ!!この眉毛元気になりすぎたらお兄さん死んじゃうっ!!
と、すでにどつかれ、さらに今後もどつかれ続ける某悪友がいたら、悲鳴をあげるに違いない言葉をかけながら、スペインは腹が膨れて眠そうな子どもの頭を優しくなでた。
実際スペイン自身、この子が体現する国にどつかれて大変な目にあったりするのだが、そんなことは夢にも思ってもいない。
わかっていたら………
ああ、それでも国家としてはとにかくとして、個人としては
――こんな可愛え天使放っておけるかいっ!どうしてもどつき返したかったらフランスでもどついとったらええねんっ!
などと、言いかねない。
いや、言うだろう。これよりはるか未来で、そんな事を言っている男の図が……
ともあれ、未来に起こりうる災厄を避けるために、目の前の可愛い子どもに手を差し伸べないなどという選択はこの男にはない。
「自分…名前は?なんて呼んだらええかな?」
もう、うとうとと眠ってしまいそうな少年に、スペインはハッと気づく。
名前を聞いていない。
なんと呼びかければいいかわからない。
そこで目をシバシバさせている少年にそう声をかけると、少年は小さく口を動かす。
声は当然でないものの、口は
イ・ン・グ・ラ・ン・ド
と、ついこの前まで上司同士が婚姻関係を結んでいた国、そして少年を拉致していた海賊達の所属する国の名を形作る。
なるほど、少年は英国人だったのか。
まあ、英国人である海賊が誘拐してきたのだから、それも不思議なことではないだろう。
そう納得したが、質問の答えとしては意味をなさない。
少し悩んで、すぐ気づいて、ああ、と笑うと、スペインはおそらく外国語であるスペイン語が得意ではないのであろう少年にわかりやすいように、ジェスチャーを加えていう。
「自分、英国人なんやね。スペイン語あんまわからんのかな。
名前…わかる?俺はスペ…いや、それやったらわからんか…。
えっと…俺はアントーニョ、トーニョや」
自分の名前を言ったら、何を聞かれているかわかるのではないだろうか…そう思って、自分を指さしながら、普段使われているスペインという国名を言いかけたのを便宜上与えられている人名に言い直したのだが、少年はやっぱりイングランドというのみで、聞かれていることが理解できていないらしい。
さて、困った…と思ったのは一瞬だ。
もうこの子は神が自分に保護を求めて遣わせた天使という事でいいんじゃないだろうか。
と、すぐにスペインは変な方向に開き直った。
そうやね、親分が名前つけたって、親分が面倒見たればええやん。
名前わからんかったら身元わからんし、返そうにも返せへんし…などと、
――なに?そのジャイアニズムっ!!ちょ、お前こわっ!マジ怖いよっ!!
と、某悪友が両手を頬に当てて青くなって絶叫しそうな事を思いながら、少年に名前をつけることにした。
英国人らしい…でも自分の元にいる子らしい名前…。
Aがつく名前がええやんな。アントーニョもAやし天使(Angel)もAやしな…。
A…A…アーサーとかどないやろ?
お~、ええやん、そう呼ぼか。
「通じんかぁ…困ったなぁ。とりあえず呼び名がないと不便やんな。
なんか英国人らしい名前…アーサーなんかどうやろ。
な、これから自分の事アーサーって呼ぶな?」
スペインがそう言うと、スペインの天使は眠そうに小さくあくびをして、目をつぶった。
そう呼ばれる事を拒まんかった…と思ってええよな。
ってことは…親分んちの子ぉになるって納得したって事でええよな。
――え?そうなる?なんでそれでそこまでいっちゃうの?!!
と、のちにその話を聞いた悪友は呆れ返るが、スペインの中ではそれは当たり前の決定事項だ。
しかもこの先、
国同士が完全に決裂しても、
少年が体現する小国が大国となって七つの海を支配するようになっても、
もっと時がすぎて少年が青年となって、秘かに世界一可愛い23歳と称されるようになっても……
この時スペインがおおいなる?野望の元につけたこの名前は、その後追加した姓、古語で教会を示すカークからつけたカークランドと共に、生涯国名以外で少年を現す唯一の人名として定着するのである。
アーサー・カークランド…その名が、国同士の過去のいざこざで有名なこの男の執着からつけられたものであるということを知る者は意外に少ない。
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