ギルベルトの憂鬱
時はここから少し遡り、1日半ばかり前の鋼の国の王の執務室でのことである。「あー…またかぁ?もういいじゃねえか、やめようぜ?」
腹心エリザが非常に機嫌良く持って来た話にギルベルトは小さく首を横に振ってため息をついた。
鋼の国は国民皆兵を基本とする軍事国家で、ギルベルトはその頂点に立つ王である。
別に実子を跡取りとしても良いのだが、フリードリッヒはあまり女を好まず主に男児を寵愛していたし、ギルベルトは色事に費やす暇があれば国土の拡大や得たばかりで落ち付かぬ領土の平定に時間を費やしていて、その過程で生まれたばかりの子を遺して戦死した実姉の子にそれなりの地位を保証してやりたいのもあり、早々に跡取りに定めたのだ。
つまりは、代々の王は跡取りをつくる事に固執せず、自らの意志を引き継ぐにふさわしい血縁者を跡取りにする事もままある国と言う事だ。
そういうわけで特に妻も恋人も必要とはしていない。
が、以前は多少の夢はあった。
縁遠い=興味が全くないわけではなく、縁遠い分、意外に夢はあったりしたのである。
いや、むしろ現実にない分、その理想は遥かに高い。
清く優しく美しく…
こんな国民皆兵な国で望むのは愚かとしか言いようがないが、儚げで守ってやりたいタイプが好みだ。
もちろん周りにはいない。
一番近い位置にいる幼馴染で腹心の女はたまたま砦で剣を置いて料理中に敵襲があった時、その時料理に使っていたフライパンで並みいる敵兵十数人をなぎ倒したという猛者だ。
その腹心…エリザほどではないにしろ国の女達は強く逞しい者が多いので、元々性に対しては淡泊と言うのもあり、ギルベルトのそんな庇護欲はもっぱら小動物に対して向けられていた。
城では小鳥を、外ではヒナから育てた鷲をよく肩に乗せているし、同じく城でも外でもよく子犬の頃から育てた猟犬を連れ歩いている。
きつく見える顔立ちのせいでクールな性格に思われがちな王のそんな面を知っているのは極々身近に仕える一部の人間だけである。
まあきちんとした跡取りがすでにいる以上、王が人間を相手にしないのか人間に相手にされないのかはわからないが、1人楽しすぎる状況で暮らしていようが、動物達と野生の王国をしていようが問題はない。
むしろ遊び回ってあちこちに王家の血をばらまかれる事を考えたらよほど無害だ。
…が、幼馴染のエリザだけはあまりに王に近いところに居たせいでそれを不憫に感じたのか…もしくはどうせ人間に興味がないなら自分の趣味に協力してもらおうと思ったのか、王のその状況を潔しとせずに変えてみようと思ったらしい。
それは3カ月ほど前の事だった。
彼女が持って来たのは隣の小国草原の国との同盟の話で、草原の国の方は友好の証として鋼の国に第3王子を送ってきた。
小国が大国の王の元に子を産まない愛人として王子を送ってくるのは良くあることなので、同性という事はそれほど皆気にしない…というか、むしろエリザなどはその手の話が大好きである。
ギルベルトはその話が来た時は面倒くせえな…とは思ったものの、友好のためとエリザにせっつかれて、相手が到着して早々にその王子の部屋へと放り込まれた。
もちろん、夜、房事のためと言う事が前提である。
王子の方もそのつもりで準備万端で艶やかな衣を纏い香を焚き、ベッドの上で待っていた。
しかしながら…だ、
確かに戦闘国家の自国と違い外交を駆使して生き残ってきた草原の国の人間はなよやかな印象でおそらく魅力的なのだとは思うのだが、ギルベルトはどこか違和感を拭えない。
何かはわからないが漠然とした不快感を感じ、
「…陛下?」
と、ふわりと香の匂いをさせながら艶やかに誘う白い手を思わず払いのけると、それまでは艶っぽくうっとりとしていた王子の目が急に鋭い光を帯びた。
そうなると感じるのはもうどことない違和感ではない。
危機感に夜着でも身に付けている護身用の短剣に手を伸ばして、反射的にその唇から飛んでくる物を避けると、それはギルベルトのすぐ横を通り抜けて壁に突き刺さった。
もちろん伊達に戦闘国家の頂点に立ってなどいない。
避けた拍子に第二陣の攻撃が飛んでくる時間を与えず、手にした短剣で相手の喉をかき斬った。
衛兵を呼び、壁に突き刺さった針を調べさせると案の定毒が塗ってある。
その上で全てを極秘にしたまま今一度草原の国の身辺を調べさせると、宿敵の一つである風の国と通じている事がわかった。
当然その後即草原の国に出兵。
踏みつぶして終わり、落ち付いたのが1カ月前。
こんな風に痛い目にあったのは本当につい最近じゃないか…と思うのに、エリザはもう次の愛人候補を見つけて来たらしい。
それに対してギルベルトは心底やめてくれと思う。
戦略の天才、無敵の戦闘国家の帝王と言われていても、そのあたりの事に関するメンタルは本当に弱いのだ。
遊びたいならいくらでもその辺の奴で遊んでくれ、俺様を巻き込むな…と切実に訴えると、彼女はあっけらかんと
「あんたこのままだと一生愛人の1人も作らずに1人楽しすぎる一生送っちゃいそうだし、前回失敗だったからこそ、成功するまで頑張らないとっ!」
などと言ってくれるではないか。
誰のせいだ、誰のっ!!と、ギルベルト的には声を大にして言いたい。
……目の前でエリザがフライパンで素振りをしていなければ…だが……
まあ…それをべつにしても…だ、
結局自分の範囲で済む事に関しては、ギルベルトは身内に弱いのだ。
そして幼い頃から一緒にいてそれを熟知しているエリザにかなうわけがない。
それにエリザがギルベルトをよく知るように、ギルベルトだってエリザをよく知っている。
だからこそ、例え自分の趣味が多々入っているとしても、彼女だって本当にギルベルトのためにならないと思わなければ勧めないし、ギルベルトにだって王として以外の人生がもう少しあっても良いはずだと気にしてくれているのは知っている。
順調な時だけではない。
例え国が傾きかける事があったとしても、彼女は最期まで側で一緒に国を支えてくれるだろうと思える数少ない人材なのだ。
だからこそその彼女の想いを無碍にはできない。
こうして苦い思いを胸に残しつつも、ギルベルトは再度同盟のための人質と言う名の愛人候補を迎え入れる事になったのである。
「今度はね、城の外どころかほとんど人前にも出た事がないらしい箱入りちゃんよ」
と、さすがに前回の、《友好の使者となるべく礼儀作法、芸事、その他諸々しっかり躾けました》という謳い文句の鳴り物入りで鋼の国入りした人質で懲りたのだろう。
エリザも違うパターンで攻める事にしたらしい。
「…ようは…暗殺に走る技量はないが礼儀知らずのコミュ障って事でいいか?」
と、それに突っ込みを入れると、
「なんでよっ!!」
と、王に対してだと言うのに、容赦なくフライパンを振り回して来る。
そうして振り回しながらエリザがする説明を、それを避けながらギルベルトが聞く…というのは、もはや王の執務室の日常と化している。
「確かに…何でもかんでも踏みつぶすって言うのも楽なんだが敵作りすぎるっつ~か……自国対全世界になりかねないからなぁ……」
今度はやはり近隣の森の国の第4王子らしい。
鋼、風、大地とこのあたり一帯では最も大きな強国3国囲まれていて生き残りに必死な小国の一つだ。
ここは1対1なら簡単に踏みつぶせるわけなのだが、他の2強国ともどこかが動けば他も動くと言う三つ巴状態の場所なので、実際に攻めるとなったら易くはないし、逆にここが他の強国と組んでくるとなかなか面倒なので、政治的にも同盟を組んでおくのは悪くはない。
まあ…人質は別に嫌なら愛人にしなくても、尊重しているように思えるように適度に丁重にお預かりしていれば良い話だ。
「んで?いつこっち来るって?」
と、どちらにしてももう話は進めてしまっていて自分に拒否権なんてないのだろうと思って聞くと案の定で、
「話を決めてからあまり間があくと他の2国が動きかねないしね。
この話が内々にかわされたのが半月前。
正式に決めたのがその2日後。
で、もうその1週間後には国を出ていて、明後日には国境、さらにその10日後くらいには王城につくと思うわ」
と返ってきてため息だ。
「お前…せめて俺様に声くらいかけろよ。
で?警備は?
たぶん1週間もテロテロ行列作って移動してたら、大地はとにかく風が気づくぞ?」
「え?…気づくかしら?一応あまり目立って気付かれたらと思って1個分隊10人を護衛につけてるけど…」
「ああっ?!それで足りるわけねえだろっ!!
森の第4王子だろ?!
昔から風の色狂いの馬鹿王が目ぇつけてるって話じゃねえかっ。
絶対にチェック入れてんぞっ!」
「え?なに、それ知らないっ!!
先に言ってよっ!!!」
「あー、そのくらい知っとけよっ!」
「じゃ、これから2個中隊くらい送る?」
「いいっ!間に合わねえから稲妻隊召集して俺様が出るっ!
集まろうと集まるまいと20分後には出るからなっ!!」
通常なら王自ら動くなどとんでもないことだが、鋼の国ではしばしば王自身が国一番の猛者で、先陣を切って兵を鼓舞するなども珍しい事ではなく、それゆえに鋼の国の王は代々恐れられてきた。
ギルベルト自身は前中後でいえば中間にいて、自らも剣を握りながらも前後の部隊に指示を出している事が多いが、単に軍全体の指揮を重視するタイプなだけで腕に覚えがないわけではない。
元々能力を買われて跡取りとして選ばれて、さらに国で一番の教育を受けて育ったのだ。
実際に勝負をしてみれば、武闘派国家として名高い鋼の国の中でも1,2位を争う剣の腕の持ち主である。
だからエリザもそのあたりは心配する事もなく、逆にその絶対的守護者である王が不在になる城の方をしっかりと守る準備に余念がない。
常に非常時に備えられた役割分担の元、ギルは首から下げた小さな銀の笛を鳴らす。
すると普段は決まった部屋で大人しく過ごしている犬達が人には聞こえぬその音を聞いて一斉に自らが担当する兵へと非常時を伝えに走った。
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