腹が減った。
しかし父母と兄3人とアーサーの6人家族では全員が満足するほどの食べ物を確保できる事は少なく、働き手としては一番力がなく戦力にならないアーサーに食べ物が回ってくるのは、いつも最後の最後だ。
だから腹が減っている時は眠ってごまかしてしまうのが正しい。
仕事をしなければならない時は嫌でも叩き起こされるのだからそれまでは…と、ギュッと固く目を瞑るアーサーのすぐ横に何かがドサッと落ちて来た。
驚いて目を開けると目の前には美味しそうな林檎。
…と、林檎色の目をした青年。
…家じゃない?!
と、そこで半分寝ぼけていたアーサーの頭は一気に覚醒した。
半身を起してあらためて見回すと、アーサーの自宅よりは小さいがしっかりした造りの木の家のベッドに寝かされている事に気づく。
「…ここは……」と、思わず出た言葉に
「俺ん家」と、短く答えるのは綺麗な銀髪の青年で、さきほど枕元に落とされた林檎に視線を落とせば、
「食えよ」と、やはり短くそう促された。
「…ありがとう……」
と、どこか気まずく、しかし腹は減っているのでおそるおそるそれを手にして一口齧ると、甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がった。
「…美味しい……」
普段はこんなみずみずしい林檎は手に入ったとしても上の兄弟の間で食べられてしまってアーサーの口に入る事はなかったので、思わず口をついて出た言葉
すると青年は目を丸くして、それから少し嬉しそうに
「まだいっぱいあるし、足りなきゃとってくるからな」
と、アーサーを見下ろして言う。
どこかで聞いた事ある声…と思って記憶を探れば、昨日の出来事が脳裏によみがえった。
銀色の狼の声…あの声と同じだ…と思うものの、まさか…アレはない絶対に夢だ…と、自分の考えを否定する。
…が、それも青年の言葉であっさり覆された。
「いっぱい食ってたくさん子ども作ろうな」
とどこか嬉しそうに言われて、林檎を口に運んでいたアーサーの手が止まる。
…子どもって言った?
こいつ子ども作るって言った??
そう言えば…昨日の狼もそんな事を言っていたような……
――やっと見つけた…俺様の子を産む、俺様のメス…
うん、ありえない。
俺に言っているなんてありえないな…。
と思いつつ、スルーしてシャクリとまた林檎を一口齧ると、青年は顔を近づけてきて、スンスンと首元や耳の裏などの匂いを嗅いだかと思うと、なんといきなりペロリと頬を舐めた。
「ひゃっ!!」
びっくりした。
そりゃあびっくりする。
驚きのあまり小さく悲鳴をあげたアーサーの手から林檎が零れ落ちた。
それに対して
「落ちたぞ?」
と、青年は何事もなかったようにその林檎を拾うと差し出して来る。
え?変だろ?こいつ絶対に変!!
――お~い?
茫然とするアーサーの顔を覗き込んでくる青年。
「大丈夫か?一応手当はしといたけど、どこか痛むのか?」
と、少し眉を寄せて気遣わしげに尋ねてくる様子からすると悪意はなさそうだ。
そう言えば…これまで気づかなかったが、そう思って意識をすると足首に何か巻かれているのがわかる。
そろりと布団の中で動かしてみると、ズキリと痛んでアーサーは少し顔をしかめた。
それに気づいて青年も足のあたりに視線をやる。
そして眉を逆立てて牙を剥いた。
そう、前歯の横の歯が、まるで犬の牙のように少し尖っている。
「あいつ…人間のくせに俺のメスに手を出そうとした挙句に怪我なんてさせやがって!
ふてえ輩だっ!これだから人間はっ!!」
と、青年は怒りをあらわに言ったあと、またアーサーに顔を近づけては匂いを嗅いで、頬を舐めまわし始めた。
おかしい…本人ふざけているようには見えないのだが、絶対に行動性がおかしい。
「…あの……」
もう現実逃避をしても無駄なようだ。
色々はっきりさせるしかない。
飽くまで繰り返される青年の奇行にアーサーは諦めて現実を受け入れる事にして、確認をする事にした。
アーサーの言葉に、ん?というように青年は視線だけをアーサーの視線に合わせる。
もうなんというか、本当に居たたまれない。
なまじきりっと整った眉も涼やかな切れ長の紅い目も、どちらかというとクール系な印象を受ける美青年で、それにペロペロと舐めまわされている異常さにアーサーはぷるぷる震えながら、ぎゅっとブランケットを握り締めた。
「その…俺のメスって…もしかして俺の事なのか?」
もうそこからである。
否定して欲しい。
本当にわけがわからないと思うものの、青年は青年で何故そんな事を聞かれるのかわからないと言った風に
「当たり前だろ?他に誰がいるんだ?」
と答える。
当たり前じゃない。
ぜんっぜん当たり前じゃないと思うのだが…
「当たり前じゃないだろっ?!俺男なんだけどっ!」
どこから見ても…とアーサーは思うわけなのだが、もしかしたらまだミドルティーンで体格も良くないため、すごく変わった見方をすれば女に見える奴もいるのかもしれない…これで誤解が解けるだろう…と、そんな一縷の可能性をかけて青年の言葉を否定してみた。
「…へ?」
青年の整った顔がポカンと呆ける。
アーサーの頬を舐めまわしていた舌が止まり、こくんとかしげられる首。
それから青年は再度アーサーの耳裏やうなじに鼻を近づけてスンスンと匂いを嗅ぎまわっていたが、きっぱり
「うん、メスの匂いだ」
と、断言した。
ダメだ…これは……
言葉が通じないのか…と、がっくりと肩を落としながら、アーサーは仕方がないのでとうとうおそらく昨日山賊に破かれてボロボロになったのであろうアーサーのシャツの代わりに着せられていた大きめのシャツをバサッと脱いで言う。
「ほら!男だろ?!
確かにまだ14で体格は良くないけど…」
と、青年に言うと、青年は
「確かに…本当に細いな。
丈夫な子を産むためにももう少し食った方がいい」
と、肝心な部分をスルーして斜め上の返答を返してきた。
「そうじゃなくてっ!!」
「ああ?」
「男なんだから子どもは産めないだろっ!」
そう、そこだっ!
そこの認識を変えてくれとアーサーは思うのだが、返ってきた答えは
「なんで?」
で、そう言われると、アーサーも動揺する。
当たり前の事すぎて、どう説明すれば良いかわからない。
「人間体的に男なのと、一族のメスであるのは別だろ?」
などとさらにわけのわからない理論を展開されて、アーサーは頭を抱えた。
「えっと……」
「…………」
「…………」
「あーー!!もしかしてっ…」
しばらくお互い俯いて考え込んでいたが、青年がいきなりパッと顔をあげた。
「お前、人間の中で生きてて一族を知らないとかか?」
端正な顔がグッと近づいて来て、アーサーは思わず視線をそらすように俯いた。
「そうか。
じゃあ獣化とかもしたことないのか?」
「獣…化?」
「おう、こういう奴」
と、言う声に顔をあげると、青年の頭にはぴょこんと銀色の毛に覆われた狼の耳が現れる。
そして、尻にはふさふさの銀色の尻尾。
「もちろん完全に狼にもなるけど…日中は人型の方がなりやすいな」
そう言う青年の尻尾がアーサーの手にじゃれついてくる。
ああ…もふもふ…気持ち良いな…などとすでにまた現実逃避をしかける頭。
しかしいくら逃避しようとしても、現実の方が押しかけて来すぎて、逃避できない
「そっか。子どもの頃に人間に保護されたか、もしくは人間に融け込み過ぎて一族の習性を忘れちまった一族なのか…
どっちにしろ運が良かったな」
よしよしというように頭を撫でてくる手。
「まあ俺様が全面的に面倒見てやるから安心しろ」
「いや…人違いじゃ……」
「ねえよ。狼の嗅覚は人間よりずっと鋭いんだぜ?
久々に同族の匂い嗅いだんだ。間違いねえ」
きっぱり言い切られて、アーサーは混乱する。
そうじゃない…と言えるほどの知識がない。
そんなアーサーの困惑に気付いたのだろう。
青年はズルズルと小さな木の椅子を引きずって来てベッド脇に座ると、
「まあ今まで全然聞いた事もなければ動揺もするよな。
説明してやるよ」
と、話し始めた。
「俺らは人が存在するずっと前から存在してる獣人。
月が色々作用する事もあるから、月獣の一族って呼ばれてる。
一族の間で育ってれば普通に狼にも半獣人にも人間体にも自由に慣れるんだけどな。
まあ…だいたいは狼か人間の姿とってた方が揉めないってのもあって外では半獣人の状態にはならねえから同族以外は気づかねえな。
狼の性質を多く持つ種族だから、まあ雑食ではあるけど肉が主食だし、狩りをする事多いし、人間が増えてからは敵も多いしな。
いつのまにやら生まれてくる子は皆人間体の時は男の姿を取る事が多くなってきたんだ。
でも半数くらいは潜在的にはメスだ。
獣体になるとわかりやすいんだけどな。
耳がさ、俺はピンと立ってるだろ?
メスは普段はペタって垂れてんだ。可愛いんだぜ?
もっとも…俺様も最後にメスをみたのは随分昔だけどな」
「…今は?他の仲間とかはいないのか?」
そう言えば窓から見える範囲には畑らしきものはあっても他の家は見えない。
家の中にも他に誰かいる気配はないのでそう聞いてみると、それまで淡々と…または嬉しそうな様子だった青年は初めてしゅん…と肩を落とした。
「以前は山奥に村があってそこで一族が住んでたんだけどな、人間の討伐隊とやらにみんな殺された。
あいつら卑怯だからな、まず村の外で遊んでた子ども攫って人質にして……子ども盾にされたら大人達は手ぇだせねぇ。
俺らの一族…というか、狼の習性だな。
子どもは何より大事。
家族は自分よりずっと大事だから…。
正面切って戦えば相手が10倍いたって負けやしねえのに、子どもの命と引き換えにって騙されて大人はみんな殺された。
で、そのあとに子どももな。
俺様は好奇心強いガキだったから、その時、大人には禁じられてた遠くの川まで遊びに行ってたんだよな。
帰ってきたら最後のガキが殺されたとこで……その場にいた人間全員噛み殺してやった。
それからはずっと1人だ。
討伐隊とやらが戻らなければ村にいたらまた人間が来るだろうから、持てるだけの種やら服やら色々を荷車に積んで、村を出てさすらって、ここに家建てて住み着いたってわけだ。
で、たまに同族探しがてら街に降りてた」
………で、やっと見つけたんだ……
と、言う言葉はどこか切実さを含んでいて、それ以上、違う、人違いだ…とは言えなくなってしまった。
どちらにしても足の怪我が治るまでは動けないし、青年が教えてくれなければ帰り道すらわからない。
メス…とかもうそのあたりの発言に目をつぶれば、どうせ家に帰っても4男で力もなく、しばしば穀潰し扱いをされる上、父親が殺されたのに自分だけ助かってと責められかねないし、もう誰にも必要とされていないのだろうし、ここで寂しい青年と暮らすのも悪くはないかと思い始めた。
「とりあえず…事情はわかった。
俺がその種族かどうかは別にして…」
「間違いねえよっ!」
「ああ、わかった。もうそうだと仮定して…」
そこは譲れないところらしい。
まあ事情を聞けば確かにそう思いたいのは分かる気はする。
だから、もう違っていたとしても青年の自己責任としてそのあたりは流す事にして、アーサーは続けた。
「俺…アーサーだ。
今は怪我してるって言うのもあるけど、治ったとしても見ての通りあまり力とか体力とかは自信なくて…たぶん力仕事とかだと戦力にならないと思うけど…」
そう、家族にすらごく潰しと言われていたのだ。
同じ種族(…と信じている)らしいというだけで、役立たずを置くのを潔しとするのだろうか…と、そこは先にハッキリさせておこうと思って言うと、いきなりぎゅうっと抱きしめられた。
え?ええ??
抱きしめられたまま目をぱちくりしていると、頭の上から怒ったような声が降ってくる。
「大事なメスに力仕事なんてさせるわけねえだろっ!
危ねえ事とかは全部俺様がするから、むしろすんなっ!
オスは家族守んのが仕事なんだからなっ」
…危ない事も危ない場所も全部禁止だっ
そういう声は少し震えていて、確かにアーサーなんかでは敵わない山賊を一瞬で倒すくらい強い相手のはずなのに、なんだか慰めてやりたい気分になった。
アーサーのように家族の中で疎んじられて生きるのと、彼のように一人ぼっちで生きるのと、どちらがマシな生活だったんだろうか…
そんな事を思いながら、自分を抱きしめ続ける相手をアーサーもぎゅっと抱きしめ返して、
「怪我…治ったら家の中の事くらいはするな?
で?お前の事はなんて呼べばいい?」
と聞くと、アーサーがここに留まる意志表示をした事に少しホッとしたように、若干穏やかな声が返ってきた。
――ギルベルト…。ギルでいい
それが孤独な狼獣人ギルと厄介者として生きて来たアーサーの共同生活の始まりだった。
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