ローズ・プリンス・オペラ・スクール第七章_4

アントーニョ・ヘルナンデス・カリエドの愛情


完全に嫌われる前に荷物をまとめて出て行こう……。
アーサーはそう考えて2階への階段をあがる。

そんな暗い気持ちは足取りを重くし、階段がひどく長く感じた。

そしてたどり着いた寝室で、出て行くために荷造りをしようと思ってふと気づく。

そう言えばここにアーサーの荷物を運んでくれたのも、その荷解きをしてくれたのもアントーニョで、その後は着替えも起きた時、風呂にはいる時、眠る時など必要に応じてアントーニョが出していてくれたために、自分の着替えがどこにあるのかさえ、今のアーサーにはわからなかった。

どれだけダメ人間なんだ<自分…と、またじわりと涙がこぼれ落ちてくる。

泣きすぎて頭がクラクラする。

そのうち自力で立っていられなくなって、クローゼットにもたれかかるようになんとか立っていると、バタバタバタっと言う足音が近づいてきて、部屋のドアがバンっ!と開いた。

ああ…ほらまた迷惑かけた。

なまじ石がリンクしているため精神状態が隠せない。
どんなに自分が馬鹿な事で気分が沈んでも石のせいでアントーニョはそれを無視するという事ができないのだ。

「アーティ、どないしたん?どっか苦しいんっ?!
それともさっきのでどっか痛くしたか?」

自宅に戻ってキッチンがあんな惨状になっていたら、さぞや腹も立つだろうに、アントーニョは絶対に自分にそれをぶつけない。

対だから…上手くやって行かなければならないから…もしかしたら自分の方が先輩だから譲ってやらないとダメだとか思っている?
フルフルと頭を横に振りながら、力なくクローゼットを背に崩れ落ちかける身体を、慌てて駆け寄ってきたアントーニョに支えられた。

――嫌わないで…

それは実兄、同級生、皆から疎まれてきたアーサーの切実な願いだった。
自分の理想を体現したような人物…そんな相手にまで嫌われたらさすがに生きていけない。

こんな相手が拒絶できない状態で泣きながらそれを言うのは本当にずるいと自分でも思っていると、自分の身体を支えてくれているアントーニョの手に力がこもって、強く抱きしめられた。

ひどく…恐ろしいほどの怒りを感じる。
やはり言わなければ良かった…。
最後のトドメを刺してしまったのだろうか……。

思わず怯えるアーサーに気づいて、アントーニョは少し力を抜いて、それでも真剣な表情でアーサーの顔をのぞき込んだ。

「また誰かに…アホな事言われたん?」
静かに問いかける言葉の意味を取りかねて、アーサーはキョトンと首をかしげた。

「親分がアーティ嫌うなんて事あるわけないやろ?
なんでそんな事思うたん?
誰かに言われたのとちゃうん?」
そこでアントーニョがさらに噛み砕いてそう説明してくれる。

「…言われてない…けど……わかる。」
「なんで?!」
心外という気持ちを思い切り顔に浮かべて問うアントーニョにアーサーは言った。

「料理…失敗した…。」
「は?」
「ゆでたまご…作ろうとしたんだけど……爆発した。」
「うん?そんなに食べたかったんなら言うてや。親分作ったるよ?」
「……そうじゃなくて……いつもやってもらってばかりだから……。
やってもらうばかりで何にもしてなくて……。」
「……親分に色々されるん嫌なん?」
何故か少ししょぼん眉尻をさげるアントーニョに、アーサーは首を横にふる。
「…じゃなくて……トーニョがそのうち俺の事嫌になるから……」
「…?ならへんよ?なんで?」
あ~、もう泣かんといて…と苦笑するアントーニョ。

アーサーを抱き上げて、アントーニョはそのままベッドに腰を降ろす。

「親分な、ありえんほどアーティのこと好きすぎるんやて。」
クスリと笑って膝の上に乗せたアーサーを見上げて、アントーニョはその金色の頭をなでる。

「おっちゃん言うてたやん?
パートナーの事めっちゃ好きになって気にしてると相手の事わかるって。
あれな、普通数年単位かかるほどめちゃくちゃ好きにならんとあかんのやて。
親分みたいに数日間でここまで好きになってまう人間稀なんやって教師に言われたわ。

親分な~ほんま毎日朝起きてまずアーティの寝顔見てかわええなぁって幸せな気分になって、それからアーティが美味しく食べてくれればええなぁって思って楽しい気分で朝飯作るねん。
学校で別行動ん時も大抵アーティどないしてるかなぁって考えてて…。

昼休み、アレってジョーンズあたりの嫌がらせなん?
2年の教室からめっちゃ遠い庭選んでメシ食うとるの。
親分チャイム鳴ったら即効で教室飛び出て1年の教室の前走り抜けて2年の教室と正反対側の中庭まで行ってアーティの顔見て、即また帰らな午後の授業に間に合わんのやけど…。

それでも一瞬でもアーティの顔見たいから昼飯食いながら走っとるんやけどな。

午後の授業中ももちろんアーティの事考えとって、放課後はアーティの事考えながら迎えに走る。
うん、この時間はめっちゃ幸せやな。

その後はもちろんずっと一緒やしずっとアーティの事考えて過ごしとる。
そんなんでアーティに何かあったら親分の心ん中穴があくどころやない、
砂粒くらいの欠片も残らんでなくなってまう。

ほんまは石の力でどっかくっついてもうてずっと離れられんようになるとか、親分以外でアーティの視界に映ってアーティの気を惹く存在を全て消し去るとか、それが無理なら逃げられんようにこの離れに閉じ込めておきたいくらいなんやけど…」

ニコニコといっそ無邪気なくらいの笑顔で語られる言葉は――のちに悪友二人に語ったら怯えられた――普通の人間なら引くレベルの重さの愛だったりするのだが、このがんじがらめくらいのドロドロと濃く重く独占欲に満ちた愛情を語られてアーサーは少しホッとしたように、おずおずとアントーニョの首に腕を回した。

「…俺……何も満足に出来てないし、実際にしてないけど……側にいていいのか?」
不安げに揺れる大きな緑の瞳に、アントーニョは
「側にいとうないって言っても離さへんよ?」
と嬉しそうに笑う。

「アーティの事は親分がなんでもしたるさかい、他に行かんといて?
親分だけの側におって、親分だけをみとってな?」

くるりんと体勢を変えてポフっとベッドに沈み込むアーサーに覆いかぶさると、アントーニョはそう言って深く深く口付けた。




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