ローズ・プリンス・オペラ・スクール第四章_3

二人の日


「好きや…愛してる…」

エメラルドに瞳が優しく微笑む。
それだけで体温があがって頭が沸騰する。
何も考えられず、ただただ恥ずかしさにうつむいてしまってからハッとした。

「ご、ごめんっ!」
もう何回目だろう。
いい加減呆れられたかも…と涙目になるアーサーに

「アーティはホンマ照れ屋さんやなぁ。」
と、アントーニョはクスクスと甘く笑う。

「ごめん…もう一度たのむ。」
と言いつつ、もう一度やっても上手く出来る自信がない。
ダメだ…この顔にこの声で愛を囁かれた時点で、セリフが一気に脳内から吹っ飛ぶ。



対の意味の説明を受けてから、交流を深めるために3日間二人きりで過ごすように言われた。

そこで初日、何をするかとなった時に、まだアーサーの引越し疲れも取れないだろうということで、台本の読み合わせをすることになったのだが、これが思いのほか疲れる…主に精神的に……。


何しろ1年間もの長い間あこがれて、劇場に通いつめたスターを相手に演じるなど、まったくもって無茶な話しである。

愛を語られた瞬間、赤くなってうつむくことしか出来ない。
もうこれで同じシーンが5回目だ。
ありえない…じわりと滲んだ涙を隠すように俯くと、アントーニョが優しく

「それで…私も…言うてみて?」
と、少し身を屈めて顔を覗き込みつつそう促す。

「…わたくしも……」

それだけ言うのがやっとでまたホロっと涙をこぼすと、アントーニョはうっとりするような甘いマスクで囁いた。

「愛に手慣れた人間のように戯れに千の言葉は紡げへんけど、その美しいペリドットの瞳から溢れ出る水晶のような涙で愛を雄弁に語ってはる初心なお姫さん。
俺はこれまで誠実に美しく純粋に生きてきたわけやないけど、これからはその透き通った水晶の涙のように純粋にあなただけに心にある全ての美しい気持ち、優しい気持ち、愛する気持ちを捧げることを誓うから……信じたって?」

にこりと微笑まれたらもう頷くことしか出来ない…。

コクリとうなづくと、ふわりと抱き寄せられ、ソっと…鳥の羽が撫でるような触れるか触れないかくらいのキスが降ってきて、自分の頬が赤くなるのを感じる。

羞恥に思わず俯くと、

――ああ…なんて可愛らし…

と、うっとりと吐息とともに綺麗な微笑みが降ってきた。

うああぁぁ~~…と、思わず両手で顔を覆うと、

「よし!これで行こか。台本直してもらお。」
と、流れるような声音から一転、いつもの口調でアントーニョが言った。


「…へ?」
その豹変ぶりにぽか~んとするアーサーに、アントーニョは

「アーティ、結構泣くの得意やんな?
泣けるならダラダラ台詞言うよりその方が雰囲気出るし、ソッチのほうがええわ。」

「え?…で、でも…勝手にそんな事決めるわけには…」
「かまへん、かまへん。俺かて方言抜けへんから、俺用のは何の役でももうそのまんまやし…」
「…そう言えば……」
「やろ?」

にこりと笑うアントーニョ。

「おっちゃんも言うてたやん。
俺らが仲良うなるためのもんやさかい、俺ら風にアレンジしてもかめへんのや。」

――おいで?
差し出される手を取るとグイっと引き寄せられ、ポスンとそのまま腕の中に。

「ああ…やっぱしっくり来るなぁ…。
ずっと一緒におれるとええな。」

少し身体を離してコツンと額に額をあてると、チュッと軽く唇に口づけを落とす。

「ほんまに…親分も今まであんま感心出来る生き方してきてへんとこもあるから、色々な噂とか聞くかもしれへんし、中にはうわぁ~思うモンもあるかもしれへんけど…これからはホンマにアーティだけやから…信じたってな?」

努力してくれているのだ…と思う。
皆が憧れている大スターに自分の方に合わさせる努力をさせているなんて、申し訳なさすぎて居た堪れない。

情けなさと申し訳無さにまたポロポロ泣き出すと、アントーニョは俯いて

――あかんわぁ…

とつぶやいた。

「アーティ、可愛えんやけど、親分我慢できんくなるから、あんま泣かんといて?」

困ったように笑うアントーニョに、アーサーはヒクリと嗚咽を飲み込む。

やっぱり我慢させていた?
自分ではそうだろうと思ってはいたが、それを改めて本人から言われるとあまりに衝撃的すぎて一瞬言葉が出ない。

涙が一瞬驚きに止まって、それから止まっていた分も一気に溢れるようにまた流れ出る。

「ご…ごめっ……我慢…しないで…い……」

ヒックヒックとシャクリをあげながらそう言うアーサーに、アントーニョは少し驚いて、それから

「ほんまに?ええん?」
とやっぱり困ったように言う。

こんなスターに丸3日も迷惑をかけて良いも悪いもないじゃないか。

やっぱり無理だったんだ…理事長に言って石を返そう……

果たしてそれで石が別の適応者を選んでくれるのかは謎だが、憧れていた相手に我慢して一緒にいてもらうのはつらい。

そういえばアントーニョの離れに来てから食事だって一度として作った事がないし、朝も当たり前に起こしてもらっている。

緊張しすぎてされるがままだった自分が今考えてみるとあまりに図々しすぎて本当にありえない。
優しいアントーニョでもさすがに呆れ果てて我慢の限界にさせてしまったのか…。


「ちゃんと……できな……ごめ…ん…」

慣れないにしても、こんなチンチクリンで魅力的じゃない人間だとしても、もう少しきちんとした態度というモノがあった気がする。

せめて最後に少しでも嫌われたくなくて、嗚咽の合間にたどたどしくそう言うと、アントーニョはほわっと微笑んで

「別にちゃんと出来ひんでも全然かまへんで?
ていうか…全部親分に任せたってくれればええから…」

と、何故か嬉しそうに言うと、そのままアーサーの顎に手をかけて顔をあげさせようとするので、アーサーはふるふる首を横に振った。

「なんで?」
と聞くほうが何故?と思う。

「いま…ひどい顔…してる…から」
泣きすぎて目も頬も鼻の頭まできっと真っ赤だ。
元々見られた顔ではないのに、そんな状態で見せられるわけがない。

なのにアントーニョは強引に顔をあげさせた。

「ウサギさんみたいにめっちゃかわええわぁ。
笑っても怒っても泣いても…何しとってもアーティはめっちゃかわええ。」

ちゅっちゅっと顔中に口づけを降らせてそんな事を言ったかと思うと、いきなり抱き上げられる。

もしかして…このまま追い出されるのか……。

そう思ったらもういい加減枯れてもおかしくないくらい泣いているのにまだ涙が溢れてくる。

すると
「アーティ、泣かんといて?」
と、またくちづけが降ってきて、追いだそうとしているのにそんな風に未練が残るように優しくするアントーニョをひどい…と思った。

「…だって……」
と口にした瞬間、唇に唇が押し当てられる。

チュッとリップ音をたてて離れていく唇の感触。

「大丈夫やで?」
優しい声。

「親分、めっちゃ優しくしたるから。怖ないで?」
と言いながら、玄関を通り過ぎた。

あれ??
話している間に気づかず通りすぎてしまったんだろうか?
もう1年も住んでいるはずなのに、そんなことが?
目をぱちくりしていると、何故かそのまま階段をあがって2階に…。
いくらなんでも…玄関が2階にあるなんて勘違いはないのでは??
そんな事を思っているうちに寝室前。

ああ、そうか…荷物あるもんな…。
アーサーは納得した。

結局初日、他にベッドがないからということで一緒のベッドに寝たのだが、その後もまだ運ぶ時間が取れなかったのか、ずっと同じベッドに寝ていて、着替えなども当然同じ寝室のクローゼットの中だ。

アントーニョはドアノブを回すとアーサーを抱えたまま寝室の中へ。

ソっとアーサーをベッドに下ろすと

「ちょっと待っといてな。支度してくるさかい。」
と、備え付けのタンスに向かう。

支度?いや、自分の服の荷造りくらい自分でするのに…と思うアーサー。
一緒に暮らし始めてまだ3日だったが、何もかもやってくれてしまうのは、追い出す時ですら変わらないということか…。

そんなことを思いながら、泣きすぎてボ~っとした頭でアントーニョの背中を眺めていたアーサーは、戻ってきたアントーニョを見てキョトンと首をかしげた。

「それは?」

可愛らしい色合いの液体のような物の入った瓶ひとつを手に戻ってきたアントーニョを見上げて聞くと、アーティは知らんでもええよ、ずっと親分が支度するからな、と、アントーニョが笑って額に口付ける。

いやいや、だって着替えは?荷造りは?と頭の中ではてなマークがクルクル回っている間に、いつのまにか座っていたはずなのにベッドに寝かされていた。

え?え?ええ???
「アーティ、好きや…親分のモンになったって?」
腰にズクリと響くような甘い声で耳元に囁かれてボ~っとしているうちに、さきほどまで泣いていたアーサーは、初めての経験に思い切り啼かされる事になった。






0 件のコメント :

コメントを投稿