崩壊
1週間弱だ…。
それは長かったのか短かったのか…イギリスにもよくわからない。
ここまで幸せが凝縮した時間など持った事がなかったのだから。
始めからわかってたはずの結果を避けようと努力出来たのはたった3日。
そこで流された自分が愚かだっただけだ。
愛されるどころか他意もなく自分に近づいてくる人間などいるはずがないことなど、わかっていたはずなのに…目先の心地よさに惑わされて、来るべき終焉に目をつむった。
そんなイギリスの唯一の救いは、幼い頃から秘かに抱いていた初恋を口にしなかった事だ。
どれだけ甘い蜜月を過ごしてもなんとなくそれを口にするのは躊躇われた。
何百年も心の奥底に大事に閉まっていたその想いだけは汚すことなく、まだ心のうちにある。
でもそれもこれ以上動揺している状態でここに留まっていれば何かの拍子に口にしてしまうかもしれない。
それは唯一誰にも冒されないイギリスの大切な聖域で、それを踏みにじられるのだけは嫌だった。
騙された挙句に…と、弁明の機会も持てないまま嘲笑されても構わない。
その大地な聖域さえ守れれば…。
ただそれを守るためだけに、イギリスはフランスの家を飛び出して、車の波に身を投げ出した。
イギリスの家に居候して8日目のこと、チクチクと刺繍をさしていたイギリスが、出来たっ!とそのハンカチを目の前にかざす。
それは綺麗に白い糸でエッフェル塔の刺繍がなされたハンカチで、誰のためのものかなどまるわかりなところが面白く無いスペインは、
「なんでフランスのためのモンなんか作っとるん?」
と、少し拗ねてみせた。
「なんでって…明日はクソ髭の誕生日だろ?」
「あ~、そんなんすっかり忘れとったわ」
イギリスに指摘されて初めて悪友の誕生日を思い出すなんて、自分も大概薄情だとは思うが、体調を崩している世界で一番大切な恋人と過ごしていたのだから、仕方ない。
男の友情より恋人との愛情だ。
「国としては上司がなんか用意しとるやろうし、どうせ悪友や。菓子と花でええわ。」
と、スペインは最愛の恋人のための夕飯作りに戻っていった。
滞在3日目、想いを受け入れてくれてからのイギリスは本当にありえないくらい可愛い。
一所懸命愛情を示そうとして羞恥のあまり半分涙目で真っ赤な顔になって、それでも自分的に上手く表せないらしくて最終的に泣いてしまう…そんな不器用さがスペインの心のどまんなかを射抜く。
そこでスペインが宥めて宥めて愛情を語ってようやく、ふわっと涙が残る顔に浮かべる笑みの可愛らしいこと!
こんなに可愛らしい恋人は世界中を探しても他にはいないと思うし、自分は世界で一番の幸せものだとスペインは断言できる。
いつもいつも少し不安げなところも、めっちゃ守ったりたくなる感じだし、これを辛気臭いなどという輩は絶対に情緒という文字が辞書にないのだとスペインは強く思う。
花と刺繍が好きで紅茶を淹れるのが上手くて…料理はできないけれど自分が作った料理はほわほわと可愛らしい笑顔で美味しそうに食べてくれる…もう完璧ではないかっ!
こんな可愛い恋人を世間の目に晒したくない。
自分の家で大事に大事にしまいこんでおきたい。
UKは4人兄弟なのだから、いっそのこと仕事は兄達が分担して、イギリスは自分の家で暮らせばいいと思う。
おはようからおやすみまで、こんな可愛い恋人が側にいれば楽園だ。
というか…明日のフランスの誕生日、やっぱり行かないとダメだろうか…。
半月取った休みもあと残り6日。
そんなことに費やすのはすごくもったいない気がする。
それでも当の恋人が行く気満々でプレゼントまで用意しているのだから、1人で行かせるよりは自分が付いていったほうがマシだ。
こうしてスペインも本当に適当にプレゼントを見繕って、翌日、今年は国家としては上司たち同士で祝うとのことなので、フランスの私宅を二人で訪ねたのだった。
国として何かはやらないといっても一応ヨーロッパでも古参のフランスの事だ、遠くの国はお祝いだけ届けているが、地元の国は集まっている。
フランス宅のチャイムを鳴らした時も、出てきたのはイタリアだ。
「あれ?スペイン兄ちゃん、イギリスと一緒なんだ、珍しいね~。」
不仲と思われている二人が揃って出向いても、それで流すあたりがさすがイタリアだ。
スペインが来たと知って出てきかけた兄のロマーノの方は、その隣にイギリスがいることで何かとんでもない事態が起こったのかと、慌てて弟の腕を掴んで逃げていった。
「坊ちゃん来たんだって?」
と、今度はフランスが自ら、イギリスの来訪を知って廊下へと迎えに出てくる。
しかしこちらはその隣にいるスペインの方に驚いたようで、目を丸くした。
「あれ?スペイン、なんで坊ちゃんと一緒に?」
言外に“お前ら仲悪いでしょ?”という言葉を感じ取って、スペインが口を開こうとした瞬間、フランスはハッとしたように、プスリと小さく吹き出した。
「あ~、もしかして、この前の罰ゲーム?
お前まだ頑張ってたんだっ?!」
ケラケラ笑うフランスに、スペインとイギリスがそれぞれ別の意味でハッとする。
「…いったい…どういう意味だ?」
硬質なイギリスの声に、フランスは柔らかく微笑んだ。
「いや、この前俺ら3人でカードしてて、ビリがスペインだったんだけど、罰ゲームでね、仲悪い坊ちゃんにお付き合い申し込んでOKもらってくるっていう無茶ぶりを…。まあ絶対に無理なのわかっててちょっと遊んでみただけなんだけどね。」
「ちょ、待ったっ!!ちゃうっ!!!」
スペインが慌てて口を挟んだが、イギリスはクルリと反転した。
そのままイタリアも真っ青な速さでフランス宅を飛び出す。
「ちょっと待ったってっ!!!誤解やっ!!!!」
本当に…今のいままでそんなものは忘れていた。
渡英したきっかけはそれだったかもしれないが、初日にすでにそんなモノは忘れていたのだ。
どないしよ…傷つけてもうたっ!!
あんなに愛を裏切られる事に怯えてたあの子、傷つけてもうたっ!!!
全身から血の気の引く思いで、スペインも慌ててその後を追った。
何事かとざわめく周りも、呆然と立ち尽くすフランスも、廊下の飾りもドアも何も見えない。
その目はただ前方の細い背中だけを追いかける。
「待ってっ!!待ったってっ!!!アーティっ!!!!」
叫ぶ声も届いたか届かないかわからず、ただイギリスの足は止まらない。
そして…目の前には広い車道…そこに行き交う車…
あかん…っ!!!
「止まったってっ!!!やめたってっ!!!!アーティっ!止まってー!!!!」
伸ばした手も叫んだ声も届かない…
ためらいもなく車の前に飛び出す小さな身体がスローモーションのように…まるで人形のように跳ね飛ばされた。
「ちょ、救急車っ!!!急いでっ!!!!!」
追ってきたフランスが真っ青になって叫ぶのも慌てて逃げ去る車もざわめく通行人も何も目に入らない。
「アーティ、アーティっ!しっかりしぃ!!嫌やっ!!嫌やーーー!!!!」
血の気の失せた顔。
頭と口の端から赤い血が流れ、固く閉じられた瞼の端には涙の跡。
「堪忍…こんな思いさせて堪忍…親分の事どんだけ罵っても殴っても刺してもええから、死なんといて…お願いや…なあ、アーティ…」
世界で一番大事な…絶対に守ってやるはずだった恋人を自らが傷つけた…。
目の前が真っ暗になる。
イギリスをしっかり抱きしめたまま離さないスペインごと病院に運ばれたイギリスは、そのまま意識をなくしたままだ。
通常の人間なら即死だったところだが、丈夫な国という身体がものをいったらしい。
それでも意識を取り戻すまではどう転ぶかわからない。
そう言われてスペインは気が狂いそうな自責の念に苛まれた。
いや…実際に狂いかけていたかもしれない。
どういう方向にでもひどく燃え上がる情熱の国は抑えきれない怒りを自分自身に向けた。
自傷という実にわかりやすい形で…。
付き添ってきたフランスとプロイセンがそれぞれイギリスの上司に連絡を入れ、医師の診断を聞いていて、部屋にスペインとイギリスだけを残していた時だった。
それぞれやるべきことを終えて病室に戻った2人の目の前には血の海が広がっていた。
その中心にはナイフを持って、自分の血で血まみれになった手で、まだ自分を指し続けているスペイン。
「おまっ!!!何してんだっ!!!!」
叫んで慌ててその手からナイフを取り上げるプロイセンを、スペインは狂気をはらんだ緑の目で見上げた。
「それ…返したって。アーティを傷つけたアホを懲らしめたらな…」
「馬鹿なこと言ってんなっ!!!意味ねえだろっ、こんなことっ!!!」
正直怖かった。
元覇権国家の底知れぬ闇…。
そんなものがこの空間に充満している錯覚さえ覚えて、プロイセンのほうが目眩を覚える。
そんな自分を奮い立たせるようにプロイセンはスペインを怒鳴りつけるが、スペインの方はそんなプロイセンに興味無さげに、今度は血まみれの手でイギリスの頬を優しく撫でた。
「…アーティ…自分を傷つけるモンは親分が許さへんからな…。
守ったるから…。」
普段のスペインからは考えられないような静かな…柔らかい声音でそう言って愛おしげにまた頬に手を滑らせる。
イギリスの白い頬がスペインの血で赤く染まった。
その狂気じみた様子が恐ろしくてプロイセンは視線を逸らした。
しかし次の瞬間…
――…堪忍な……堪忍……
小さなすすり泣きが聞こえる。
まるでこの世の終わりのように悲しそうな……
――傷つけるつもりなんてなかったんや…嘘やない……愛しとる……
その声に今度は猛烈な罪悪感が湧いた。
かつて残酷な支配者であった時代でも、良くも悪くも感情を弄ぶ器用さは持ち合わせない、憎む時も愛する時も思い切りまっすぐな武闘派国家。
――坊ちゃんはね、ずっとスペインが好きなんだ。だから上手く行けば幸せになれるし、上手く行かなかった場合はお兄さんがちゃんとフォロー入れて引き取るから…
あの時そう言われて引き下がった自分が馬鹿だったと思う。
いや、せめて経過を見るべきだった。
愛に不器用なイギリスと根回しベタなスペインのことだ。
こういう事が起きる可能性は十分に考えられたはずだ。
フランスが医師を呼んできた時にはすでにスペインの心は怒りから今度は沈み込む方に行っていて、自分の身に施される手当も何もかも興味無さげにただイギリスを凝視している。
それから3日…イギリスは目を覚まさなかった…。
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