「なんなん?これ。」
罪人の引き渡しにしては様子が変だ…と、テーブルに置かれた金の延棒を前に目を丸くするアントーニョに、使者は顔色一つ変えずに
「身代金です。」
と、答える。
「はあ?」
引き渡しというと逃げるだろうから、一応要人として取り戻すべく身代金なのか?などと首をかしげていると、使者は要領を得てないと気づいて、あらためて言葉を足した。
「先日、エゼラ領の貴族の別宅から連れて行かれた少年をお返し頂きたい。
あの方は王の遠縁に当たるカークランド家の子息で、王もその身を案じておられます。」
思ってもみなかった要件に、アントーニョは呆然とした。
いや、普通に考えれば確実にアントーニョの元にいるかわからないフランシスやギルベルトよりは、連れ去ったのを大勢に目撃されているアーサーの方が確かに問題になりそうではあるのだが、そんな可能性は全く考えていなかった。
と同時に、一気に問題が深刻になってきた。
国に属さないとは言っても、出来ることなら国家と剣を交えるような事は避けたい。
もちろんだからといって返すつもりなど毛頭ないが…。
返せるわけはない。
あれはアントーニョの宝だ。
いまだ心を許してくれなくても、アントーニョのこの世で一番大事な宝物なのだ。
しかし、さあ、どうやって追い返す?
「貴族とかの要人連れ帰るっちゅう時は、うちかて当然相手と引き換えに身代金をと思って連れ帰るんやけどな……」
微妙に口ごもりつつアントーニョは少し俯いて切り出した。
「なのに今回、なんで身代金の要求せんかったかわかる?」
「…まさか?」
使者は言外の意味を察して顔色を悪くした。
「一応俺らかて大事な金づるやし、丁重にはしとったんやで?
けど、海があわんかったんやな。
身体壊して、俺らの医者は怪我専門やさかい、慌てて陸のちゃんとした医者呼んだんやけど、間に合わんかったんや。」
これで信じてくれればいいが…と、祈るような気持ちで顔をあげると、別の意味で深刻になっているアントーニョの表情に、どうやら使者は騙されてくれたらしい。
元々アントーニョはあまり腹芸を使わないというのは、祖父に連れられて王宮に出入りしていた頃に広まっていた。
それも幸いしたのだろう。
「堪忍な?
俺もこういうの初めてやったし、これからは少なくとも自分とこに関しては身代金目的に人連れてくんのはやめとくわ。
王さんにも謝っといて?」
そこで畳み掛けるように、今回はわざわざ選ばれたのであろう、幼い頃からの昔馴染みでもある初老の男に、古くから知っている子どもという立場を最大限に表に出して、しょぼんと殊勝に謝って見せると、使者は少し困った顔はしたものの、結局どうしようもないということで、最後は頷いて帰っていった。
「あぶな~……」
使者が船から降りるのを甲板で見送って、アントーニョはほ~っとため息をついて、その場にしゃがみこんだ。
これで騙されてくれなければ、全面戦争か、もしくは慣れ親しんだこの海域を離れて、遠くに拠点を移さなければならないところだった。
まあ7つの海を渡り歩くというのに憧れなくはないが、代替わりしてまもなく部下の統率も取りきれていない今は、まだその時ではない。
それでも…アーサーを手放すという選択はない以上、相手が引いてくれなければ、そんな選択をするところだったが、なんとか回避できたようだ。
――もう…手放せるわけないやんなぁ…。
アントーニョは寝所の中でのアーサーを想う。
無理矢理拉致して手折った事もあって普段は決して親しみを見せたりしないアーサーが、身体を重ねている瞬間だけは、あの綺麗に澄んだベリドットの目で切なげに見つめてくるのだ。
その瞬間だけは求められている…と実感できて、どこか物悲しいが幸せを実感できる。
自分がいない時、たまにふわりと浮かべる天使のような笑みを一度でいい、自分に向けてくれたら…とも、もちろん、日々思っているのだが、それもアーサーが手元にいてこその事だ。
しかしこうしてアーサーを迎えにきた使者を嘘をついて追い返したと知れれば、また好意からはひどく遠のくだろう…。
アントーニョがそんな事を思いながら溜息をつくと、手下の一人が慌ててアントーニョを呼びに来た。
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