4時間ほど眠ってすっきりしたところで、アントーニョは毎日いったんは船長室に運ばれる自分とアーサーの昼食を前にアントーニョはため息をついた。
「なあに?まだ嫌われたままなの?お前にしてはホント珍しいよねぇ」
と頭の上から降ってくる声は、この船の料理人、フランシスだ。
元は貴族のおぼっちゃまだったフランシスとは、幼い頃に祖父に連れて行かれた社交界で知り合ってそれからなんとなく交友があったのだが、ある日いきなりアントーニョの船に転がりこんできた。
どうやら…手を出してはいけない女性に手を出して、上の不興を買って身を隠さざるを得なくなったらしい。
誰に…とは聞かないが、年頃の可愛らしい王女のいる王から、反逆罪の名目でフランシスの手配書が回ってきたということは、そういうことなのだろう。
まあしかし昔馴染みだから匿うのはいいとしても、ただぼ~っとされても困る。
かといって戦いには著しく向いていないフランシスが何をできるかと考えた時に、器用な手先と無駄に肥えている舌があるので、料理の基礎を料理長から叩きこまれて、そこそこ使える料理人の出来上がりだ。
ということで、それまでは普通に料理長の下で働いていたのだが、アーサーを攫ってきてからは、“貴族風”の料理を知っている彼がその食事を任されている。
「ね、お兄さんに会わせてみてよ。どんな感じかわかったらアドバイスしてあげるからさぁ」
「あかんっ!自分みたいに節操のない輩にあんな無垢な子を会わせられへんわ。」
「ん~、でも無垢じゃなくしちゃったんでしょ?」
暗に夜の事に触れられると、これまでお互いに遊ぶだけ遊んで爛れきった生活をしてきて、それを隠す事もしてこなかったのに、カッと頭に血がのぼる。
それはアーサーに対する罪悪感なのか、自分が何をしても全く変わらず綺麗なままのあの子を貶められた気がする苛立ちなのか、それとも少しでも自分の宝に興味を持つ者へ対する独占欲なのか、自分でもよくわからない。
「…別に親分が何したって、あの子はあの子やで。
全然染まらへん。」
腹は立つものの、それでもフランシスには今後もアーサーが少しでも多く口にしてくれるような物を作ってもらわなければならない。
苛立ちを押さえてそう言うと、フランシスは別に気を悪くする風でもなく、
「散々遊びまくってたお前があの子連れてきて1ヶ月、全く外に遊びに行かなくなったもんねぇ。」
とシミジミと言う。
「うっさいわ。」
「はいはい。大事な大事なお宝ちゃんの事に口出して悪かったよ。
ほら、お昼。冷めないうちに持って行きな。」
と、フランシスが差し出すトレイには美味しそうな昼食が湯気を立てている。
「今日は食べたら城からお客さんらしいよ。」
祖父の代ならとにかく、その頃からの付き合いがあるとは言っても王から直々に使いがくるなどタダ事ではない。
「城からの使者…。
やっぱり自分の事やんな?」
と、他人ごとのように言いながらトレイを手にするアントーニョにフランシスは
「お兄さんの事ならすっとぼけてねっ!
お兄さん、今めっちゃこの船に必要な人材でしょっ?!」
と、こちらは青ざめた顔で必死に訴える。
「そうして欲しいなら、せいぜいアーサーが気に入るメシ作ったってや。」
と、アントーニョは言い残して部屋を出た。
「アーティ、今日な少し陸に寄るんやけど、なんか欲しいもんあるなら用意したるで?」
こうして昼食を手に私室へ戻ると、アーサーが刺繍をしている。
そこで手早く昼食をテーブルに並べ、食事の準備を終え、二人して向かい合わせに座ると、アントーニョはそう切り出した。
笑って欲しい…好きとまで行かなくても嫌わないで欲しい…。
我ながら自分にしてはあり得ないほど弱気だとは思うものの、恋愛は落ちてしまえばもう負けているようなものなのだ。
せめて情けなく聞こえないように…と思いつつ、なるべくさりげなさを装って聞くと、アーサーの関心は物よりも状況に向けられたようだ。
「陸に?何故?」
と小首をかしげる。
ああ、もうそんな仕草一つ一つが可愛らしすぎて、すぐに襲ってしまいたくなるが、一応国に所属していないとはいえ、一国の国王の使者との約束をすっぽかすのは、さすがにまずい。
「この船は物資もほとんど輸送船で運んでいるから滅多に陸にはあがらないって言ってなかったか?」
というアーサーの言葉は、彼を最初にこの船に連れ込んだ時にアントーニョ自身が言った言葉だ。
だからもう戻れると思うなと…。
「なに?陸にあがるって言うのが気になるん?」
心から否定してくれるはずもない…と思いつつ、敢えて内心を押し隠して平静を装って聞くと、アーサーは無言できまり悪げにプイッとそっぽを向いた。
その無言が強い肯定な気がして、アントーニョの胸はズキっと痛む。
――当たり前やんな…無理矢理連れて来てんから。
わかってはいてもひどく落ち込む。
しかしそんな気持ちを振り切るように、アントーニョはことさら明るい口調で
「あのな、王様の使者に会うんや。」
と、言った後に続けてフランシスの話をしようとしたが、その後の言葉は目の前の光景に凍りついたまま飲み込まれた。
「アーティっ?!!!」
目の前で血の気が失せて真っ青な顔をしたアーサーが崩れ落ち、椅子から落ちそうになるのを、アントーニョはガタっと立ち上がって飛び寄って支えた。
「誰かっ!!!ギルちゃん呼んだってっ!!!!」
自身も真っ青な顔でアントーニョは船医を呼ぶように叫ぶ。
「アーティ、アーティっ…しっかりしぃ!!」
アーサーを抱きしめたままオロオロとしていると、部屋のドアをバン!と音をたててあけてギルベルトが入ってくる。
ギルベルト・バイルシュミット…彼もまた逃亡者だ。
元は王国軍の軍医であったのだが、戦闘中、軽傷の王族よりも重症の一般兵の手当を優先して行なって反逆罪に問われて追われていたところを、旧知の仲であったフランシスに誘われてエルドラド号へ逃げ込んだのだ。
普段のふざけたキャラクタとは裏腹に真面目な仕事ぶりは船の中でも高く評価され、今では連れてきたフランシスよりも重用されている。
「どうしたんだ?状況は?…ああ、先にとりあえずベッドに寝かせろ。」
医療用の手袋を手早くはめながらそう指示をするギルベルトに、アントーニョは若干ホッとしたように従う。
「いきなり倒れてん。体調悪かったの全然気づかへんかった…」
アーサーをベッドに寝かせると、ギルベルトが脈をはかったり色々調べ始め、その淡々とした様子にようやく落ち込む余裕も出てきてアントーニョが肩を落とす。
「あー…ただの貧血っぽいな。熱もねえし。
しっかしこいつ細えなぁ…。ちゃんと食わせてんのかよ?」
これで毎晩のように体力お化けのお前に付き合わされてたら、そりゃ倒れるわ…と、苦笑するギルベルトに、アントーニョは
「食もともと細いねん。食わせてはおるわっ。」
と口を尖らせる。
――親分の一番の宝モンや。食いたい言うたら世界中の珍味でも集めたるわ。
少しすねたようにつぶやく言葉は、しかし本気の色が見えて、こちらも知り合ってからは数年でも貴族に随行して顔を出していた社交界でアントーニョの夜の方の武勇伝は色々耳にしていた事もあって、少し意外な気持ちで遊び人の海賊を本気にさせてしまったらしい少年に目を落とした。
「まあ…すぐどうこうなるもんじゃねえから、支度しろよ。
お前今日は国王の使者に会うんだろ?」
そう言うとアントーニョは苛立ちを顕に言う。
「それどころじゃないやろ。
この子こんな状態で放っておけるわけないわ。」
「いやいや、国王怒らせて追い回される方がアレだろ。
こいつ心配なら名医の俺様がついてるし?」
「…自分……」
「あ~の~な~、心配しねえでも俺様は普通に女しか興味がなくて、さらに言うなら国に惚れた女がいんだよっ!
…まあ……もう会う事ねえけどな……」
確かにフランシスと違ってギルベルトはあまりベタベタとする方ではないし、大丈夫だろう…。
「起きてもあんま構わんといてな。医者として必要最低限の事で頼むわ。
親分、国王の使者追い返したらちゃっちゃと戻ってくるから。」
「……追い返すな。ちゃんと話聞け。」
「ええん?フランの事かもしれへんけど、自分の事かもしれへんで?」
「追い返して下さい、お願いします。」
なんのかんの言っても、身のうちに受け入れた者にはアントーニョは甘いし、親分を名乗るだけあって最後まで面倒は見るタイプだ。
そのあたりは信頼はしているので、そんなふざけたやりとりをしつつ、ギルベルトは支度をしに船長室へ戻るアントーニョを見送った。
「まあ…良い奴ではあるんだよな。」
クシャクシャと頭をかきながら、それではボスが戻るまでお宝ちゃんをお守りするか…と、ギルベルトはベッドのそばの椅子に腰をおろした。
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