狂愛――ラプンツェルの反乱中編_4

反乱


それはアーサーにとって天地がひっくり返るほどの出来事だった。
そう…事実これまで生きて来た人生の全てが虚像だったと自覚せざるをえない事になった程度には……





「アーティ、堪忍な。
親分今日はどうしても出かけなならんねん。
こんなんもう年に数回もないと思うから、ええ子で留守番したって?」

DVD事件からもかなりの月日がたったある朝、朝食の片付けを終えるとアントーニョはいつも仕事の連絡の確認をしに書斎に向かう。
そしてその後すぐノートPCを片手にリビングに来て仕事をするか――アーサーも文字の読み書きは当然アントーニョに教わったが、アントーニョが仕事で使っているのは別の言語らしくアーサーには理解できない――、もしくは数時間ほど書斎にこもるから、何かあったらノックするように言うか、もしくは本当に何もなくて一緒に何かをして過ごそうと提案するか、いつもはその三択なのだが、その日は違った。

仕事元で何か起きたのだろうか…。
少し難しい顔で若干表情を固くして、少し困った顔でそれでも笑ってそう言った。

外に頻繁に仕事にでかけてしまうのは嫌だと言った事もあるが、あればアントーニョがホストだと思っていたからこそで、アーサーだって別に子どもではないのだ。

何か不測の事態が起こってアントーニョがその対処に出かけるのを渋ったりはさすがにしない。

「わかった。気をつけて行って来いよ。」
と、自分は大丈夫だからと送りだす。

最近…アントーニョの事は相変わらず好きで一緒にいたいというのも小さな頃から変わらないのだが、一緒にいるのが少し苦しいと思う事もあって、その日、アーサーは複雑な思いを抱えて1人リビングで刺繍にいそしむことにした。

無心に針を刺しながら、でも近頃毎日見る夢の事が忘れられない。
夢の中ではアーサーはいつもアントーニョに抱かれている。
気のせいだとか夢だから…とかごまかすのはもう諦めた。
結局そういうことなのだ。
アーサーは恋人とかそういう意味合いでアントーニョの事を好きだし、そういう目で見てしまっているのだろう。

アーサーはアントーニョのものだ…だが逆はない…と、小さい頃から思い続けてきた。
それは家族的な意味で考えれば全く問題はないはずの考えだったが、こと恋愛という意味に変われば事情も変わる。

もしアントーニョに、アントーニョが言うところの神様が決めた唯一の相手が現れたとしても、家族であればそれで若干距離は出来るにしろ、まったく会えなくなるわけではない。
唯一、一番な存在じゃないだけで、持ち物の一つではあるのだから、アントーニョの側にいる事も問題はないはずだ。

でも…恋愛的な唯一を望むようになってしまったら……
全てが終わる…そんな事を考えるのが嫌で、アーサーは無理やりそれを考えるのをやめて刺繍に集中した。
いや、正確には集中できるはずもなく、集中するフリをした…というのが正しい。

…っつ……

針が布地の上を滑って人差し指を刺す。
そこからぷつっと溢れる小さな血の塊を舐めとって、アーサーは諦めて刺繍をテーブルに置いた。

その時だった……

ブルルルルーとでも言うのだろうか、すごい音が近づいてくる。

――なんだっ?!!!
アーサーはバっと立ち上がって、音のする方…窓の方へと駆け寄ると、どうやら上空をホバリングしているヘリコプターから垂れた縄梯子から、1人の男がバルコニーに飛び降りた。

コンコン…と外から窓をノックされ、アーサーは一瞬迷うが、開けなかったら割られそうな気もするので、しかたなく窓を開ける。

「Hey!俺はアルフレッドっ、君のマミーの弟。つまり君のおじさんなんだぞっ☆」

ぴょんと一筋跳ねたアホ毛を風に揺らした体格の良い金色の髪の男は、そう言って、馬鹿みたいに爽やかな笑顔でウィンクをした。




アーサーの母親の弟のアルフレッドだと名乗ったその男の事を、アーサーはどこかで見たことがあるような気がした。

叔父…というからには幼い頃にでも会っていたのだろうか…。
そう思って聞くと、アルフレッドは少し困ったように綺麗な眉を八の字にして笑う。
そして
「ん~、君が生まれた時にはもう君の母親、ローザは駆け落ちして行方知れずだったからね、俺と君が会うのは初めてなんだ。」
と、今まで全く知る機会のなかったアーサーの親の事情を話してくれた。


アーサーの母親はローザと言い、アメリカで有数の財閥の総帥の娘だったらしい。
ローザとアルフレッドの母親は早くに亡くなり、父親と3人家族。
アルフレッドとは1歳違いで姉弟仲は良く、アルフレッドは姉のローザがとても好きだったのだそうだ。

しかしいつしかローザは彼女を溺愛する父親が煩わしくなってきたのか、家族と距離を置くようになり、ある日、黙って自宅から姿を消し、行方不明に。

父親もアルフレッドも彼女の行方を捜したが見つからず、彼女が見つかったのは家を出て5年後。
なんとアメリカから遠く離れたイギリスのロンドンで、秘かに結婚をした男と共に射殺体となって発見されたのだ。
殺された理由はわからない。
が、父親もアルフレッドもひどく悲しんで、一緒に暮らしていたはずの1人息子のアーサーの行方を探していたのだそうだ。

「まあ…父は4年前に病気で他界したけどね。
俺はローザを殺した相手と君を探し続けたんだ。
で、ようやくここまでたどり着いた。
酷い事にもなってなさそうだし、元気に育ってて安心したよ。」

そう言いつつ男、アルフレッドはアーサーに手を差し出した。

「…というわけで、遅くなってごめんよ。
俺と一緒に家に帰ろう。」

「…え?」

いきなりの展開にアーサーは思わず驚きの声をあげて一歩後ずさる。
しかしアルフレッドは当たり前のように言う。

「え?じゃないよ。君の家はここじゃないだろう?
家族である俺の家に一緒に住むべきなんだ。」

「ちがうっ!!」

家族である…という言葉にアーサーは叫んだ。

違う、アーサーの家族は顔も知らなかった叔父ではなく、アントーニョだ。
そう…アーサーはアントーニョのもので…アントーニョに特別な相手が現れても一緒にいられる。
家族である…それは唯一アーサーのものではないアントーニョとアーサーが一緒にいられる証のようなものなのだ。

それを否定されたら、アーサーにはもう何も残らない。
そんなの嫌だ…。

「…俺は…トーニョの家族だ。」
心の奥底から絞り出した言葉。
しかしアルフレッドはそれに恐ろしい言葉をかぶせて来た。

「家族?アントーニョ・ヘルナンデス・カリエドが?!
君、事実をわかっていってるのかい?
彼は大規模な犯罪組織の先代のボスの甥っ子で、最近その座を継いでボスになった大悪人なんだぞ。
それだけじゃない。彼はローザを手にかけた彼女の仇でもあるんだ。」

……えっ…?
固まるアーサーに、アルフレッドは俯き加減に息を吐き出した。

「やっぱり知らなかったのか。
カリエドはつい最近まで現役で殺し屋をやってたんだ。
それで…もし君を人質に取られたら危ないからって事で、今日は裏からこっそり手を回して、大金積んで彼をぜひにと指名して仕事に出させて、そのすきに迎えに来たんだぞ。
戻ってくる前にここを出よう。」

と、もう一度差し出された手をアーサーは振り払った。
振り払われるなど想定していなかったのか、アルフレッドはポカンとしているが、アーサーにはそんな彼の様子を気にする余裕もない。

アントーニョが……親の…仇?
脳内で過去の状況が目まぐるしく回る。
あの日…両親が亡くなった日…血を流している両親の側には誰がいた…?
――なあ、赤の他人なのにどうして引き取ってくれたんだ?
幼い頃から何度も繰り返した問いに返ってくるのはいつだって

――この世の誰より愛おしいて思うたからやで?
と、優しい言葉と笑顔…。

あれは絶対に嘘じゃない。
なのに何故?
ずっとずっと、親がいない寂しさなど感じる間もないくらいに溢れるくらいの愛情を注いで育ててくれた。
なのに何故?
何故?という言葉だけが脳内でクルクル回る。このままアルフレッドとここを出て行けば、二度とアントーニョに会う事はないだろう。
そう思った瞬間、無理だ…と思う。

何もわからないまま、思いきる事もできないまま、新しい環境で生きて行くなんてできるはずがない。

「…1時間…いや、30分でもいい。トーニョと話したい。」
そう言うアーサーに、アルフレッドは正気の沙汰じゃないと反対した。

「君は奴に騙されてるんだよ。
ねえ、わかってるのかい?彼は大きな犯罪組織のボスで、名うての殺し屋でもある。
今、彼がいない時なら逃げられても、彼に知られたら君もローザみたいに殺されてしまうんだぞっ」

そう言うアルフレッドの言葉は間違ってはいないと思う。
ただし…アントーニョを知らないという前提のもとでなら…。

「トーニョは絶対に俺の事は殺しはしないし、死なせない。
俺が絶対に出て行く、止めるなら死ぬと言ったら止められやしない。
だから…話を聞いて納得したらあんたと出て行く。
それが嫌なら1人で帰ってくれ。」

このまま何も知らないままでは出て行く事はできない、断固としてそう主張して、もし無理に連れて行こうとするなら命を断つとまで言い切ったら、アルフレッドもどうやら諦めたようだ。

「お~けぃ。たぶんあと1時間もしないうちにカリエドは戻ると思う。
戻ってから丁度1時間。
そう1時間だけ待つよ。
それを超えたらボディガード達をつれて踏み込むから。
いいね?」

念を押しをしたうえ、アルフレッドは小型の銃をアーサーに渡した。
そのうえで、
「これは俺の言っている事を裏付ける資料。
ごまかされそうになったらこれを見せて?
銃は護身用…というか、無理に連れて行かれそうになった時の脅し用だから、本気でカリエドとやりあおうなんて思わない事。
相手はプロだからね?」
と、さらに念押しをして、いったん窓からヘリコプターに戻っていく。



こうして1人きりになったアーサーはアントーニョの書斎に向かう。
おそらく外からの出入りはあそこだろう。

小さい頃から絶対に触れてはいけなかった書斎のドアノブ。
なにげなくそれに触れると、驚いた事に鍵がかかっていなかった。

書類を持ったまま部屋に足を踏み入れたアーサーは、アントーニョが普段執務をしているのであろう机にその資料を置き、アントーニョが普段腰をかけているのであろう椅子に腰を下ろす。

そうしていると、いつものようにアントーニョに抱え込まれ、包まれている感じがして、こんな時なのにホッとする。

アーサーのこれまでの人生は全てアントーニョと共にあったし、これからもそうだと疑ってもいなかった。

アルフレッドの言う事は筋が通っていたし、実際渡された書類も確かにアントーニョが両親に手をかけた犯人だと言う事を示している。
なのに、まだ納得しきれない自分にアーサーは苛立った。

アントーニョがいない人生なんて想像すらした事がなかったのだ。
正直もうどうしていいかわからない。

そして手の中の銃に視線を落としたその時、

「なんや厄介なお客さんが来よったんやな。」
と、まるで何事もなかったように、クロゼットの中からアントーニョが姿を現した。

アーサーがそこにいる事もまるで想定の範囲内のように、まったく驚いた様子もない事に、逆にアーサーは動揺する。


「俺の両親を殺したのはお前だったんだなっ!!」
 と、証拠書類が示す事実を改めて口にすると、アーサーはそう叫んで育ての親に向かって銃を構えた。
アントーニョと事を構えようなどと思うな…というアルフレッドの忠告など、もうどこかへ飛んで行ってしまっている。

実際に撃ちたいとか、そんな気持ちはなく、ただどうして良いかわからず銃を構えているのを、さすがに長く育てて来たアントーニョは見抜いているようだった。

 「撃ってみ?撃てへんやろうけどな。」

そんな状況になっても、相変わらず男は余裕の笑みを絶やさずにゆったりと構えている。

その余裕はアーサーの事をわかっている…と言う事もあるが、それよりなにより、銃を向けたりむけられたりすることに慣れている人間の余裕だった。

そこで問い詰めるまでもなくアーサーは悟る。
確かに両親を射殺したのはこの男だったのだ…と。

 そもそも考えてみれば、幼少時に両親が殺された時、側には誰がいた? この男ではなかったのか?
なのに何故、子どもの頃の自分はこの男が自分を助けに来たのだと、抱きあげられて安心だと思ってしまったのか…。

 自分の平凡な幸せをまさに奪った男の手の中で、自身を非凡な幸運の持ち主だと信じて暮らしてきた事に、アーサーは一番の苛立ちを覚えた。

もう戻る事が難しいほど心を明け渡してしまっていて、今の現状に吐き気さえ覚える。

なのにそんなアーサーにアントーニョがかける声は飽くまで優しく穏やかだ。

「とりあえず…色々聞いたんやったら知っとるやろ?
親分相手に銃むけたかて無駄やし危ないからやめとき?
親分が傷おうくらいならええけど、アーティが怪我でもしたら大変や。」

まるで悪戯で危ないモノを持ちだした子どもを諭すようにそう言うと、アントーニョは銃を構えるアーサーを恐れることもなく、ゆっくりと近寄ってくるとアーサーの手から銃を取り上げて、いったん机の上に置く。

「…本当に…俺の両親を殺したの…トーニョなのか?」
結局自分はアントーニョを撃つ事などできやしないのだ。
そう思い知って打ちひしがれながら、アーサーが小さな声で問うと、
「おん。実際手を下したのは…って言う事なら、そうやな。」
と、即静かに答えが返ってくる。

しかし続いての
「…どうして…?」
の問いには、アントーニョは困ったように微笑んで
「ん~…答えたない。」
と、首を横に振った。

アーサーはアントーニョのモノでも逆ではない。
だから二人の間の主導権はアントーニョにあるし、アントーニョが答えないと言ったなら絶対に答えなんか返ってこない…それはわかっているが、アーサーはなおも
「知りたい…」
と、食い下がった。

それでもアントーニョは答えてはくれない。
そしてその代わりに…とばかりに言った。

「5年や…」
「え?」
「あと5年。もしそれだけ経って、アーティがなんも困らんと生活できてて、親の仇をうちたい言うなら、その時はちゃんと怪我せえへんように銃の扱い方教えて仇取られたる。
親分はずぅっとここにおるから、戻っておいで。
もし5年経つ前でも何か困ったことになったら、いつでもここに戻ってき?」

まるで大切な子どもを送りだすようなアントーニョの言葉に、アーサーの脳内ではやっぱり、何故?という言葉が浮かんでは消える。

「これな、キャッシュカードや。困ったらこれで金引き出してここまでの旅費にし?
あとこれは携帯。困った事があったらかけ?
両方クマん中に隠しておくから誰にも言うたらあかんよ?取り上げられてまうからな?」

と、ぬいぐるみのクマの服を脱がせると、背中の縫い目を少しほどいて綿を少し出し、カードと携帯電話をそこに押しこんで、また服を着させてそれを隠す。
それはアーサーが最初に会った時に抱えていたぬいぐるみであった。
それなら親の形見ともいえる物だし、こちらから持って行った物としても捨てられたり取り上げられたりはしないだろうとの判断だ。

そこまで細やかに心配をするくせに

「な、なあ、なんで?!!何か理由があるんだろっ?!
なら何故言わねえんだっ?!!」
と、詰め寄ってもアントーニョは困ったように笑うだけで、何も答えてはくれない。

そしてこれ以上聞かれる前に…とばかりに、

「あんま遅くなると要らん客が押し掛けてくるさかいな、送ったるわ。」
と、有無を言わさずアーサーの肩を抱くと、クローゼットの中に促した。

そこには階段があり、降りると食糧庫。
その奥にエスカレータがあり、それに乗って降りて行くと駐車場に出た。

10年以上過ごした塔で初めて知った通路。
10年ぶりに出る外。

でも…出る必要が果たしてあるのか?
「なあっ!」
と、振り向いて口を開きかけたアーサーを、アントーニョは抱きしめて胸元に押しつける事でその口をふさぐ。

そして、
「元気でな。」
と、額に口づけると、アーサーの肩に手を置いてクルリと反転させ、出口へと促すアントーニョに、アーサーは愕然とした。

「…止めて…くれないんだな…。」

どこかで期待していた。
嘘でも自分はアーサーにとって悪い事は何もしていない、だから行くなと言ってくれると思っていた。

それが見え見えの言い訳だったとしても、アントーニョが言えば自分はきっと信じてしまっていたのだろうに…。

肩を落として消える後ろ姿を見送って、アントーニョは上着のポケットから煙草を出すと、一本くわえて火をつける。
スゥ~っと大きく吸いこんでフゥ~っと一気に吐き出すと、携帯灰皿を取り出して、中で押しつぶして消した。

アーサーがいる間は吸わなかったそれを吸うのはあと何日くらいだろうか…。

「あかんなぁ…親分、我慢は苦手やわ。」
と、眉を少し寄せて誰にともなく言う独り言。

「まあ…お姫さんが塔を出るんはこれが最初で最後やから…まあ親分も短い喫煙生活でも満喫するかいな。
…どうせ吸うならお姫さんのキスの方がええけどな。」

今引き留めるのは簡単だが、それではいつまた出て行かれる危機が訪れるかわからない。
今回は…非常に不愉快ではあるが、永遠を手にいれるためにはジッと我慢である。

「ほんま…我慢は嫌いなんやけどな…」
と、またもう一度不本意そうにそう呟くと、アントーニョはクルリと反転し、愛車に乗り込んだ。

少しでも…我慢の時間を短くするために…。



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