狂愛――ラプンツェルの反乱前編_6

塔の上のラプンツェル


大きなキングサイズのベッドと小テーブルに椅子二脚。
ベッドが置かれているのと反対側の壁際には大きなクローゼットがあって、頭の側にはバルコニーにつながる大きなガラス戸がある。

そんな寝室を出ると左側がリビングで、その隣にアントーニョの書斎。ここはいつも施錠してあり、家で唯一の立ち入り禁止区域だ。

そして書斎の隣には図書室があり様々な本が置かれていて、その隣はダイニング、さらにその隣がキッチン。キッチンのさらに隣はバス&トイレ&化粧台など。
そのままさらに左側に行くと寝室へ戻る。

そう、これらは建物の中心をぐるっと囲むように存在しているのだ。
そしてこのループする世界がアーサーの世界そのものである。


窓から外を見ると、この建物が広大な森の中、ぽつねんと建っている事がわかる。
そしてアーサーが暮らすエリアがかなり高い位置にある事も…。

まるで童話のラプンツェルの塔のように、この建物には出入り口がない。

アーサーが幼い頃、時折血にまみれた若い男女の姿を夢に見て、怖い人間がくるのではと怯えて泣く事があって、それなら誰も来れないようにとアントーニョが連れて来てくれたのがここだ。

眠っているうちに連れて来られて、気づけば塔の上だったので、どのようにして入ったのかは謎である。

部屋のどこを探しても階段がない。
だから、もしかして唯一入れないあの場所に何か?と思って、まだ幼い頃にアントーニョの書斎を見せてもらった事があるが、普通に本棚やPCの乗ったデスク、飲み物を保管しているミニ冷蔵庫があるだけで、変わった所はない。

「鍵をかけとるのは、仕事中は集中したいし、その他の時間は万が一なくしたり破損したりしたらあかんもんが仰山あるからや。」
と、説明してくれたアントーニョの言葉に、なるほど、と、納得して、それ以来その部屋へは入ってないが、その後特に何か工事をしたりした様子はなかったので、そのままだろう。

それでも食べ物も水も、望めば今のアーサーの一番の趣味である刺繍の道具だってなんでも出てくるし、どこかから運んでいるはずだ。
ときおりそんな好奇心が頭をもたげる事は確かだが、実際のところそう不自由はしていないし、大抵はどうでも良くなって忘れてしまうのである。

だってここには必要な物はなんだって揃っているし、何よりアントーニョがいる。
ねだれば外の話だってしてくれるし、勉強だって教えてくれる。

ただ、今でも時折アントーニョは夜中にベッドを抜け出してどこかに行っているようなのは気になる。
行っている…ではなく、行っているようだ…なのは、その時はアーサーは大抵目をつぶっていて、おまじない後なので目を開けられないからだ。
ただ気配でアントーニョが離れて部屋を出て行くのを感じる。
小さい頃はおまじない後はすぐ眠くなって寝てしまっていたのだが、最近はその気配を感じてしまうくらいの時間までは眠れなくて、しかし引き留める事どころか起きていることを主張する事すらできなくて、ただ寝たふりをしたまま送りだすしかない。
まあ…翌朝になったら当たり前に隣にいるので、その寂しさも一瞬のものではあるのだが…。

今日も当たり前に瞼に振ってくるキスで目を覚ます。

「おはようさん。ご飯やで。」
と、眩しいばかりの笑顔。

小さい頃はそんな意識も全くなかったが、今ならわかる。
アントーニョはかなり整った顔立ちをしている。
甘い笑み、優しい言葉。
料理だってとても上手だし、身体を鍛えていてスタイルだって完璧だ。

そんな男が何故自分と一緒にいるのだろう。

幼い頃の記憶はあまりはっきりはしていないが、アントーニョに聞いたところによると、アントーニョとアーサーは親子とか兄弟とかではなく、アーサーの両親が亡くなった時に居合わせたアントーニョが、まだ幼かったアーサーを引き取る事にしたのだそうだ。

赤の他人なのにどうして?と聞くと、アントーニョはいつも笑顔で――この世の誰より愛おしいて思うたからやで?――などと答えて来るので、気恥しくなってそれ以上踏み込めなくなってしまう。

アーサーは自分がアントーニョのものだ…というのは、幼い頃から疑いもなくそう思っていて、アントーニョ自身もそれを知っていて、その証なのだと唇と唇を合わせる事も日常なのだが、逆ではないのだ…と、アントーニョが夜に出かけるたび、アーサーは思ってしまうのだ。
アントーニョにはアーサーの知らない生活がある。

「…?どないしたん?」

そんな事を考えて、知らず知らずのうちに凝視していたのだろう。
アントーニョが不思議そうにアーサーの顔を覗き込んできた。

近寄るといつもより強い香水の香り。
昨日もそうやって夜消えて朝帰ってきたのだが、そういう日は必ずいつもより強い香水の香りが鼻につく。

「香水くさい…」
と、それが示すのであろう事実に目を背けながら眉間にしわを寄せて言うと、アントーニョはきょとんとして、それから自分の腕などの匂いをクンクンと嗅いでみて、
「そうか?堪忍。すぐシャワー浴びるわ。」
と言うと、アーティが着替えてる間に急いで浴びるから、そのあとご飯にしよ、と、また笑いかけた。

こうしてアントーニョが部屋から出ていったあと、アーサーは小さくため息をついて、床の上にしゃがみ込む。

考えたくないが…夜出て行って香水の匂いを強くして帰ってくるような仕事…と言えば、アレだろう。
アントーニョはきっと売れっ子のホストなのだ。
そう考えれば全て合点が行く気がする。

以前見たテレビでは売れっ子はかなりの額を貢がれたりすると言っていた。
アントーニョはあれだけのイケメンだ。
一晩でもかなりの額が稼げるため、時折仕事に出れば生活が出来るのだろう。

もちろんそれはアーサーの生活費にもなっているわけだが、アントーニョが女性にベタベタと絡みつかれている図を想像すると吐き気がする。

嫌だ…絶対に嫌だ…と、それだけでも思うのに、もしアントーニョがアーサーより女性の方を好きになってしまったら…。

アーサーはアントーニョのモノだからアントーニョはいつだって自由にアーサーを捨てる事が出来るのだ。
そう考えると怖くて悲しくて涙が止まらない。

そうしてしばらく泣いていると、やがて

「アーティ?どないしたんっ?!どこか痛いんっ?!」
と、寝室のドアが開いて、バスローブのままのアントーニョが驚いたように駆け寄ってきた。

ギュッと抱きつくと、先ほどまでと違ってボディーソープの匂いがする。
小さい頃から入浴もずっと一緒だったため、それは安心するアントーニョの匂いだ。
厚い胸板に頭をこすりつけるようにして泣きじゃくっていると、頭上から小さく息を吐き出す気配がして、それから大きな手がゆっくりと頭をなでてくれる。

「ほんまもう…どないしたん?」

よいしょっとそのままアーサーを横抱きにすると、アントーニョはベッドに座って自分の膝上にアーサーを降ろした。


「親分の可愛えアーティは、何がそんなに悲しいん?」

子どもにするようにちゅっちゅっと鼻先に口づけを落としながら困ったように微笑むアントーニョの声は本当に昔と変わらず優しい。

そろそろ思春期に差し掛かるアーサーは普段ならそろそろそんな子ども扱いにも抵抗してみたくなるところなのだが、今はその優しさが心地よかった。
安心したい…そんな思いが先に立つ。

「…お金…あったら、仕事行かないか?」
と、口をついて出た問いに、アントーニョは目を丸くして、それから破顔すると、ぎゅうぎゅうとアーサーを抱きしめた。

「あ~、もうっ!ほんまちっちゃい頃と言う事変わらんなぁ。可愛えっ!
せやな、可愛え可愛えアーティがそこまで言うなら、少し方法を考えてみよかっ。」

と、その口から思いがけない言葉が出てきて、今度はアーサーの方が驚く番だ。

「ホントかっ?!」
「おん。そろそろ仕事も自宅で出来る範囲にしよかと思うとったんや。
今日にでもちょお交渉するから、待っといてな。」

「交渉?知らない女の方が家に来るのか?」

アントーニョがどこかへ行かないのは嬉しい。
でも自宅で出来る範囲でホストと言うのは……つまりそういう事か?
それは嫌だ。
この二人だけの家に知らない女が来るのも、目の前でアントーニョが知らない女とベタベタするのも、すごく嫌だ。
そんな事を考えると思わず眉間にしわがより、弱いと自覚のある涙腺が決壊して、零れ落ちた涙が頬を伝う。

「アーティ~、なんでそこで女が出てくるんや?
ていうか、泣かんといて。泣き顔も可愛えけど、こんなに可愛えアーティが悲しそうな顔しとると、親分も悲しい気分になってまうわ」

わけがわからない…という風にそう言いながら、アントーニョは顔中に口づけを落として行き、最後にちゅっと唇に口づけを落とすと、困ったような顔で視線をしっかりとアーサーに合わせた。

甘やかされてる…と思う。
アントーニョはいつだってアーサーの事を甘やかしてくれるし、たいていの希望は聞いてくれる。

――知らない女がここに来んの…やだ。

昔からアントーニョがそれに弱いと知っていて、わざとぎゅうっとその逞しい首にしがみついて耳元でそう言うと、やっぱり少しデレっと甘い声で

――アーティが嫌な事はせえへんけど…。でもなんで女が来るとかいう話になったん?
と、聞いてくる。

――だって…お前ホストなんだろ?
――へ????
珍しく本気で驚いたようなすっとんきょうな声を出して、アントーニョは視線を合わせるために、少しアーサーをひきはがした。


「ちょ、アーティ、なんでそういう話になっとるん??」
心底驚いた顔で聞いてくるところを見ると、もしかして……

「えっと、夜の仕事…だろ?
で、お前容姿はまあ良い方だし、仕事の翌日って香水くさいから……」
と、驚かれた事にアーサーの方も少し驚いて、おずおずと言うと、
「なんでやねんっ!」
と、アントーニョはくしゃくしゃっと頭を掻いて叫んだ。

「…違うのか?」
「ちゃうわっ!」
即答するアントーニョ。

「あのな…別に夜やなくてもええねんけど、昼間は自分起きとるやん?
一緒にいてやりたいやん?
せやからどうしても外に行かんとあかん仕事は夜に回しとったんや。」
「…そう…だったのか……」
自分と一緒にいてくれるため…そう言われて嬉しくもホッとする。

「おん。香水は…大急ぎで行って戻ってくるし、場所によっては色々匂いついたりするけど、シャワー浴びとる時間も惜しいから、とりあえず匂い消しにって思うとったんや。」

…こんなに大事にしとるのに、そんな事考えとったなんて、困った子ぉやな。

と、少し眉を寄せて笑う顔も過分な甘さを含んでいて、自分がしていたとんでもない勘違いが恥ずかしくなったアーサーは、

――トーニョが言わないからだろ。
と、口を尖らせると顔を隠すようにまたアントーニョの首にしがみついた。







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