その日の朝食の時の事であった。
前夜に泣きすぎたため目が赤くなってしまっていた事以外、アーサーは特に変わった様子もなく普通に起きて、普通に着替えて、普通に食卓に着いた。
しかしいつもと違う行動は食事中におこったのである。
普段は朝からしっかり食事を摂るアーサーが、食事を半分ほど平らげたところで、手にしたフォークを置いた。
今まで食事を残した事などなかったのだが、何か今日のプレートに嫌いな食べ物でもあったのだろうか、と、思い、
「アーティ、もう食べへんの?なんか嫌なモンでもあった?」
と聞くと、アーサーはプルプルと首を横に振る。
「ほな、どっか痛い?」
と言う質問にも首を振った。
「…じゃ、どないしてん?」
と、聞くと、子どもは至極真剣な顔でカリエドを見あげて訴える。
「ご飯…半分はあした食べる分。そしたら今日はおしごと行かないでいい?」
へ??
一瞬意味がわからず、しかし意味がわかった瞬間、カリエドは頭が真っ白になった。
昨日、ご飯代を稼ぎに行くと言ったから、ご飯が半分なら仕事に行かなければいけない回数も半分で良いと思ったのか…。
なるほど、大人からすれば不思議理論だが、言われてみればなんとなくわかる気も……。
もう可愛くて愛おしくてどう返して良いかわからない。
わかるのは、この子は自分のために存在する子どもだということ。
この子と一緒に生きていくためにこの世界は存在していたのだと言うこと。
「アーティ、親分とずぅっと一緒に居りたいん?」
返ってくる答えを確信しつつ口にするその問いに、幼児は澄みきった大きな目でカリエドを見あげて、ひどく真剣な表情でこっくりと頷く。
「そう…やね。それやったら約束や。
この先何があっても自分は親分と一緒に生きていくんやで?
そう、どんな事があってもや。」
そう言うカリエドに幼児はまた頷く。
「じゃ、ちゃんと言葉で誓うてや?
アーサーは一生親分のモンやんな?」
と、その目を覗き込んで促すと、幼児はうながされるまま
――おれは…いっしょうトーニョのもの…
と、その言葉を反復する。
――そうやで?アーサーは一生親分のもんや。誓うたからには、もう取り消しはきかへんで?
そう言いつつ、カリエドは幼児の柔らかい両頬を手で包み、そっと顔を近づけると、その小さな小さな唇に触れるだけの口づけを落とす。
「これはアーティがずっと親分だけのモンていう誓いの証や。
他には絶対にやったらあかんねんで?」
と、傍から見たら幼児を相手に何をバカバカしい事を…と思われそうな事を、しかしカリエドはこれ以上なく真剣に口にした。
――ええな?
と、自分をじっとみつめるまあるい目に視線をしっかり合わせて、強い調子で念押しすると、その意味の重大さをわかっているのかいないのか…たぶん後者だろうが、幼児はやはり素直に頷いて見せる。
それに微笑んで見せると、カリエドは、
「ほな、ご飯食べ。
ちゃんとご飯食べて大きくなったら、もっとずぅっと一緒におれるようになるよ。
それまでも可能な限りアーティ1人にせえへんつもりやけど、1人になる時にはおまじないかけていったるな。」
と、アーサーの頭を撫でて、子どもが放りだしたフォークを取って、その手に握らせた。
数日後…夜、カリエドは自分は身支度を整えて、アーサーに寝巻を着せ、歯を磨いたりトイレに行かせたりと、寝る前の準備をすると、最後にベッドに横たわらせ、覆いかぶさるように上から子どもを見下ろすと、にこりと微笑んで見せる。
「目ぇつぶってみ?」
というカリエドに、アーサーは用心深く小さな手でぎゅっとカリエドの指をつかんだ上で、ゆっくり瞼を閉じた。
絶対に離れたくない…1人にされたくない…という意思表示のようなその行動に、カリエドの顔に思わず笑みが浮かぶ。
もっともっと自分に依存すればいい…。
自分がいなければ生きていけないくらいに……。
それはまじないというよりは呪いだった。
アーサーのキラキラと長い金色の睫毛に縁取られた白い瞼に、カリエドは口づける。
「今な、アーティにまじないかけてん。
このまま目ぇつぶってたら、アーティには絶対に悪い事は起きひんし、危ない目ぇにも合わん。
せやけど、朝になって親分がまじない解くまでは絶対に目ぇ開けたらあかんよ?
目ぇ開けたらまじないが解けてまうし、危ないからな?」
そう言ってポンポンとブランケットの上から軽くアーサーの肩口を叩くと、カリエドは身を起して、自分の指をつかむ子どもの手をそっと外す。
…あっ……
と、外された手が心細げに宙をさまようのを、そっと掴んでブランケットの中に入れると、カリエドは意識して優しい声で言った。
「大丈夫…。親分がトマトの妖精さん呼んだったからな。
この部屋は妖精さんに守られとるんや。
でも目ぇ開けたら消えてまうから、開けたらあかんよ?」
……妖精しゃん……
……おん。妖精さんや。
元々おとぎ話が好きな子どもにそう言ってやれば、少し落ち着いたように力を抜く。
「すぐや。ほんますぐ戻るからな。」
それでもしばらくそばにいると、目をつぶっているうちに眠くなって寝てしまったらしい。
幼子がすやすやと寝息をたてているのを確認し、カリエドは和やかな空間を離れ、シビアな夜の闇の中に身を溶け込ませて行った。
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