狂愛――ラプンツェルの反乱前編_7

「正直…お前が裏に引っ込む日が来るとは、お兄さん思わなかったわ。
すごく意外…。」

古いが磨き抜かれて光る木のカウンターの向こうには年老いたバーテンが1人。
そのさらに後方には色とりどりの酒瓶の並ぶ、静かなバー。
そこに並んで座る、タイプこそ違うがいずれも美麗な3人の男達。

通常の店であれば女性側から声がかかりそうなところではあるが、そこは身内だけしか来る事のないいわくつきのバーで、客は3人きり。

真ん中に座る組織のボスの甥で跡取りと噂される男の、――ちょお静かに飲みたいねん――の鶴の一声で、そこは男に同席を許された二人の悪友と男の、3人のみの貸し切りになった。

「こいつも当分訓練のみになるな…」
と、左に座る優男の言葉には答えず、もうずいぶんと使いこんでるリボルバーをカタリとカウンターに置き、小さく息を吐き出してテーブルの上のブラッディメアリのグラスを手に取る。

女性の身体のラインのように滑らかなカーブを描くタンブラーに入った赤い液体を口にしながらも、男、アントーニョの視線は長年の相棒であるカウンター上の銃へ。

別れを惜しむようなその視線に、最初に口を開いた長めのハニーブロンドの男は、
「まだ現役に未練ありそうじゃない?」
と、旧友の気持ちをくみ取るように、そう続ける。

「…おん……でもまあ、しゃあないわ。
人生の中で一番大事なモンはやっぱ一つやしな。
どっちにしろ、ずっと現役ではいられへんし、今がそのタイミングなんやろ。」

その大事なモン…と言うのを左に座るフランシスは知らないが、右に座るギルベルトは知っている。

「あ~、もしかして、あのちっこいのか?
もうだいぶ大きくなったのか?」
と、記憶を手繰ると、脳裏には小さな小さな幼児の姿が未だに浮かんでくる。

それまで…いや、それからもずっと、驚くほど鮮やかな殺しの腕とは裏腹に、殺気の一つも放つ事無く無感動なアントーニョにギルベルトが初めてその殺気というものを向けられた時に関わった幼児。

どういう事情でアントーニョの手元にいたのかはわからないが、真っ白な肌と大きくまるいグリーンアイが印象的な、子猫のように可愛らしい子どもだった。

その辺に普通に落ちていたならば、ギルベルト自身拾って帰ってしまいそうなくらいの愛らしさだったが、そんな事を口にしたなら殺気どころか、銃弾をぶつけられること間違いなしなので、そのあたりは空気を読んで黙っておく。

案の定、子どもの事を口にした途端、アントーニョのまなじりが目に見えて下がる。
ああ…可愛がっているんだな…とだけわかってギルベルトもホッとしたのだが、その後続くアントーニョの言葉に、ピキリとグラスを持ったまま固まる事になった。

「ああ、アーティな、昔から1人にされるの嫌がってたんや。
ただ、ちっちゃいうちはなんのかんの言うてもすぐ寝てまうしな。
可愛え寝顔見てすごすんもええけど、まあ…仕事終わってからでもええやん?
せやけど、そろそろな、夜色々しとかなあかん年頃やし、夜に抜けだしたら時間ないなぁ思うしなぁ……」

……色々しとかなあかん事??
嫌な想像がギルベルトの脳内でクルクル回る。
たら~りと額から流れる汗。

一方で、フランシスは興味津々と言った様子で

「なに?ヒカルゲンジ計画とか?なんならお兄さん協力しちゃうよ?!」
と身を乗り出して
「あの子に近づいたら殺すで?」
と、アントーニョに絶対零度の笑顔で返されている。

「あのな…犯罪だからな?あんな年の子におかしな真似したら犯罪だぞ?」
と、そんな様子に、距離感を大事にするギルベルトにしては珍しく一歩踏み出してみたら、即

「そういう事言いだしたら、殺人の方がもっと犯罪やで?」
と、これも良い笑顔で返された。
もうそれを言われるとぐうの音も出ない。

「…あまり傷つくような形の事してやんなよ?」
と、言うのが精いっぱいだ。

「ギルちゃんは子どもには優しいなぁ」
と、まったく欠片も悪意のないギルベルトの忠告にそう曖昧に返すと、アントーニョはグラスの中身をグイっと一気に飲み干して、カウンターの上のリボルバーをすばやく手に取りホルダーにしまい、

「ほな、親分、そろそろ帰るわ。今日はこの時間やし、あの子に夕食作らなあかんから。」
と、立ち上がった。



そう、今日は前々から伯父に打診されていた跡目を継ぐという話を了承するため、昼から組織の本部に顔を出していたのだ。
おそらくアーサーを引き取ってから昼に外出するのは初めてではないだろうか…。
起きている時間に1人残すというのは気にはなったが、組織を継ぐ、つまりその全てを掌握できるとなったら、今更ながら知りたい事も多少あったので、悩んだ末、出かける事にした。

久々に悪友達と杯を交わして、やるべきこと、やりたい事も全て終わったので、あとは帰路を急ぐだけだ。

こうして悪友達と別れると、愛車に飛び乗り、都市近郊にある広大な自宅に。
指紋認証の門を通り過ぎると、同じく指紋認証の車庫に入り、そのまま地下道を通って塔下へ。
そこで車を止めると、同じく指紋認証のエレベータに乗り、一気に居住エリアの下にある倉庫まで。
そこには大きな冷蔵庫、冷凍庫に各種食料が詰め込まれ、棚には大量の缶詰、瓶詰め、ミネラルウォータに酒まで積んであった。
そこからは階段で上の階へ。
隠し戸を開けると書斎に出る。

時間ぎりぎりになるのを見越して夕食は下ごしらえまでは済ませてあったので、急いで書斎を出てキッチンへ。
最後に味を整えたり温めたりを終えてダイニングに料理を並べると、いつものようにリビングにいるであろうアーサーを呼びに行った。

「アーティ、ご飯やで~」
リビングのドアを開けて声をかけると、ソファに座っていたアーサーは刺繍の手を止めて顔をあげる。

今日は仕事が忙しく書斎にこもるからと、食事を作り置いて、自由に食べるようにと言ってあったので、こちらで食べたのだろうか、サンドウィッチを乗せていた皿がテーブルの上に残っていた。

「もう仕事大丈夫なのか?」
と、少し気遣うように見あげてくる表情は、幼児の頃のような無邪気さはないものの、まだどことなくあどけなさを残している。

それでもそういう目で見てみれば、思春期特有の危うさを含んだ透明感のある白さに、どことなく色気のようなものを感じた。

アントーニョの心のうちなど全く気付かず、普通に食事を運んで行く薄桃色の唇。
時折見える濡れた小さなピンク色の舌。
食べ物を嚥下するたび動く折れそうに細く真っ白な喉元。

その下でふんわりとしたブラウスの中に隠された白い裸身の全てだって、幼い頃から一緒に入浴し、洗ってやっていたアントーニョは全て知っている。

なのに、いざそういう目で見始めると、今更ながらズクリと熱を持つ腰に、我ながらまだ枯れてへんなぁと、内心苦笑した。
いつも仕事のついでに女を抱いたりもしていたのだが、溜めないための処理と割り切ってしていた行為と違って、とてつもない高揚感があり、ひどく興奮する。

もちろん、アーサーに気取らせないのが前提なため、表面上はいつもと変わらないわけなのだが……。

いつもと同じ食事。
その後、いつものように一緒に入浴。
もう幼い頃の習慣のまま、普通に身体と頭を洗ってやる間も、理性で平常を装う。

入浴後、身体と髪を軽く拭き、ドライヤーで髪を乾かす前に、水分補給にレモン水を一杯。
これも変わらぬ習慣で、アーサーは当たり前にグラスの中の液体を飲みほした。

そう…いつもとは違い、遅行性の睡眠薬の入ったその水を…。

白い喉を薬が通過していく様子を見ながら、アントーニョは妖しい笑みを浮かべるが、アーサーがそれに気づく事はない。



丁寧に丁寧に、髪を傷めないようにゆっくりとドライヤーを当てた髪が乾いた頃、ふわぁぁ~とアーサーが小さくあくびをした。

「なんや、アーティ、眠いん?まあずいぶん集中して刺繍しとったから、目が疲れたんかいな?」

黄金色の髪に絡ませていた指を止め、ドライヤーの電源を切ってしまいながら、アントーニョがいつものように笑って言うと、

「あ~、そうかも。
今日はトーニョが忙しくて1人の時間多かったから。」
と、アーサーはあくびをくり返す。

「ん~、堪忍な。今日は例の交渉しとったから。
でも話はついたで。
これからは仕事はほぼ自宅や。」
「そっか。」

疑いもなく嬉しそうな顔で微笑むアーサーは可愛らしい。
ずっと汚れた世間から引き離して育てたため、本当に純粋で真っ白だと思う。

そう……ぐちゃぐちゃに汚してしまいたくなるほど………



「ほな、今日はそろそろ寝よか~。」

アントーニョは内心の思いなどおくびにも出さずに、いつものようにアーサーの手を取って立たせてやると、アーサーもなんの躊躇もなくその手を取り、一緒に寝室へ向かった。

いつもの寝室…。
いつものように一緒にベッドにもぐりこみ、アントーニョの腕を枕に横たわるアーサー。
その背を静かにぽんぽんと一定のリズムで叩いてやるのも、出会った日から全く変わらない。
しかしいつもではありえないほど早く聞こえてくる寝息。

――アーティ?寝てもうたん?
背を叩く手を止め、小さな声で聞くも、返事はない。

「アーティ?………寝てもうたんやね?」
むくりと半身を起して頭の下から腕を抜いても、アーサーは目を覚ます気配はなく、暗闇の中、アントーニョの深いグリーンの瞳が妖しく光る。

アントーニョは横向きに眠っているアーサーを仰向けにし、そろりとブランケットをめくると、まるでアーサー自身の純潔を守るがごとくゆるやかに結ばれている首元の真っ白なリボンをしゅるりとほどいた。

「ほな、始めよか…。
身も心も…全て余さず親分のモンになる第一歩やで?」

静かな中に響く声…。
その声が…自らの身にこれから起こる事など全く知らずに眠り続けるアーサーの耳に入る事はなかった。







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