Seal-封印・番外_1

混乱


極々普通の二国間会議のはずだった。
なんの問題もなくお互いサインをして書類を交換し、さあ帰るか…と立ち上がる。
今から帰宅すれば夕食時には自宅につけるか…そんな事を考えていたら、事態は起こった。

突然、金色の光が目の前を横切り、くるくると手元を回ったかと思うと、急に頭の中がまばゆい光で埋め尽くされた。

一瞬何も考えられずに頭が真っ白になり、ものすごい速さで見慣れた…だが、何故だか今まで全く頭の中から消え失せていた光景が脳内を駆け巡る。

おそらく最初の上司の婚姻の頃のスペインの王城…王の執務室…自分を見下すスペイン国王の視線…そして…陽の光を背に佇む黒衣の青年…。
本当に二人きりの…神父さえいない小さな小さな教会で永遠の愛を誓い、静かな城で寄り添うように暮らした…
失うのが死ぬほど怖かった小さな…でも当時のイングランドにとって初めてにして唯一の幸せ……

――何故、忘れてたんだ?
ありえない…と自分でも思う。
国に戻って帰ってこない自分を迎えに来てくれたスペインの絶望に満ちた目を思い出した瞬間、イギリスは目の前が真っ暗になった。

忘れてたどころじゃない。
あれだけ愛し合っていた相手に自分は何をした?
体中から血の気が引いていく。

無くしたくなかった…大事だったのに、自分自身が壊してしまった…もう戻れない…。


――イングラテラ?
当時のように呼ぶスペインの声で、ハッと我に返った。
そのひどく真剣な目に追い詰められる。

嫌だ…その口から拒絶の言葉を吐かないでくれっ!!
誰に言われても当たり前に受け止められた嫌悪と否定の言葉だが、スペインの口からだけは聞きたくなかった。
あの優しい想い出を取り上げられるくらいなら、いっそ消えてしまいたい…。

心臓が締め付けられるように痛み、吐き気さえ感じる中、イギリスはそれを実行に移そうと、自分を支えるスペインの腕から逃げ出した。

国体というのがそんな簡単に死ねるのかとか、そんな当たり前の事も思い浮かばず、ただ人間のようにこの5階の建物の窓から身を投げ出す事しか脳裏になかった。

開いた窓に飛びついてその窓枠に手をかけた瞬間、

「何しとるんっっ!!!!!」

と、争いもあまりなく平和になった最近にしては珍しく声を荒げたスペインによって窓から引き剥がされた。

嫌だ、嫌だ、嫌だっ!!!
駄々をこねる子どものように泣き喚きながら拘束するスペインの腕を振りほどこうとするが、単純な力比べになると、スペインには全くかなわない。

――大丈夫…大丈夫やで?イングラテラ、大丈夫や。

大好きな…独特のイントネーションの耳に心地よい声…。

当時は大国だったのに、辺境の島国にすぎないイギリスをとてもとても大切にしてくれた。
心配される心地よさ…愛される幸せ…全て初めて与えてくれたのは、この男だった。

子どもにするようにポンポンと背中を一定のリズムで叩かれ、力が抜けていく。

――ごめん…死ぬから…それまでは責めないでくれ……

保護し、慈しんでくれた手で、拒絶されるのはつらい…。
でも許してくれなんて言えない…。
だから死ぬから…終わりにするから。
意識がなくなるまでは拒絶しないで……

昔はそうすると頭を撫でて笑ってくれたように、スペインのシャツの胸元を掴んでそう言うと、スペインは少し困ったような、つらそうな顔をした。

――…アホ…ようやっと取り戻せたのに、目の前で死なれなんてしたら親分ショックで発狂するで?
切なそうにそう言う目はまるで昔イングランドが熱を出すたび見せた心配そうな光を放っていて、そんな目を見ていると、許されるはずがないのに、まだ愛されていると勘違いしてしまいそうになる。


――でも…ひどいこと…いっぱいした…。

――そんなん、どこの国もやっとった程度のことやで?
――だって、忘れて騙して落としいれっ…

勘違いして期待してしまって絶望するのが嫌で言い募る言葉を、唇で塞がれた。

昔はほんの一瞬でいつも離れた唇は、今は押し当てられたまま一向に離れる気配がない。
これまでは一瞬だけだったので意識する事もなかった唇の熱さや感触を感じて、こんな時だというのに羞恥が沸き起こる。

あの頃より大人っぽく…でもやはり精悍で甘い綺麗な顔。
濃い色のまつげ。
健康的な顔色。
ああ…何故こんなにも愛おしい配偶者を忘れていられたのだろうか…。

あの時…国に帰れと言われた時、帰らずに死んでしまえば良かった…と思う。
そうしたらスペインを傷つけることなく、今になってこんなに切ない思いをすることもなかった。

ああ…もうこのまま死んでも良い…というか死にたい……


そんな事を考えていると、やがて唇が離れ

「あの時な…帰さへんでくれって泣く自分を無理やり帰したのは親分や。
言うなれば…親分の判断ミスやからな?
イングラテラはなぁんも気にせんでええんや。」

という柔らかな声が耳をくすぐり、綺麗なエメラルドがイギリスの視線を捕まえた。


――おかえり…

視線を捉えたまま、片手でイギリスの手を取り唇に押し当ててそう言うスペイン。
動く唇のくすぐったさと羞恥に、イギリスは手を引っ込めようと思うが、しっかり握られた手は外せない。

それどころか強い力で引き寄せられた。

ふわりと香る香水はあの頃とは当然違うが、そこにかすかにまじる数百年変わらない太陽の匂い…スペイン自身の匂いに胸がいっぱいになる。

懐かしさと恋しさと色々混じってもういっぱいいっぱいになって固まっていると、耳元に落とされる

――…もう二度と離さへん……

という低く…甘い声に力が抜けた。
体中に力が入らず、意識を保っているのがやっとなところに、さらにキラキラしたエメラルドの瞳が逃げられないイギリスの瞳を捉え、そのまま一度軽く口付けたあと、

――…大人のキス…しよか…
と、再び近づく唇に熱い吐息を送り込まれる。

――大人のキス?…なんだ?どうすればいいんだ?
脳内パニックを起こしながら愛しい花婿を見上げると、スペインは少し眉を寄せて男っぽい色気のある笑みを浮かべた。


…まだ…愛されてるんだろうか?
不安と期待が入り混じった気持ちでイギリスはスペインの次の言葉を待ったが、やがてその口からこぼれた言葉は…

「あかんわぁ。やめとこ。」

ショック死するかと思った。


もう諦めたつもりだったが、こんなふうに優しく甘く囁かれたら、イギリスでなくても期待してしまうんじゃないだろうか…。

人間は本当に絶望すると涙も出ないらしい。
体中が乾ききって冷たくなっていく…。

しかし、そのまま意識を失いかけたイギリスの身体を慌てて支え直しながら、スペインは、ちゃうちゃう、と、笑いながら首を横に振る。

「ここでこれ以上すると、ほんま理性なくなって襲ってまいそうやから。
ここから車でちょっと行ったとこに別宅があんねん。
花でも買うてご馳走作れる買い物して…それからやないと…」

襲う?何?殴るの間違いか?
そこで何故花?ご馳走?
混乱した頭をくるくる回る疑問に終止符を打ったのは、唇を寄せられた耳に吐息のように流し込まれた甘い声だった。

――かわええ花嫁さん初めて抱くのに、無粋な会議室はないやんなぁ?

え?ええっ??何っ??抱くってなんだ?!!!!
驚きと混乱が限界を超えた。

呆然としている間に抱き上げられ、そのままエレベータへ。

一般人が入れないエリアなので他に人がいないのは幸いだったのか不幸だったのか…待ってる間もエレベータの中でもずっと何度も口付けられて、駐車場へついた頃にはイギリスは色々限界を超えてグッタリしていた。



私物の小型車の助手席を開けてイギリスを座らせ、自らは運転席へ座ったスペインは、涙目で真っ赤になって力が抜けているイギリスに目を細めて笑う。

人慣れないところは全く変わらない。

もうこの手に取り戻すのは無理かもしれない…そう諦めかけて…それでも他に触れられるのは我慢できず、可能な限り影でイングランドに手を出しそうな輩を遠ざける努力をしてきたわけだが、この様子だとその甲斐はあったようだ。


愛しい愛しい花嫁に触れてしまえば加減など出来るはずもなく、きっと幼く弱い身体に負担をかけてしまう…そう思って、もう少し育って丈夫になるまでと耐えに耐えた600年前…。

触れるだけの口付けしか教えなかったその身体は、離れて500年たった今でも舌さえ入れないただ唇をはむ程度の長いだけの口付けにすら、いっぱいいっぱいになってしまうところをみると、そういう意味ではあの頃のままらしい。

助手席でグッタリとしている花嫁を横目に、スペインは上機嫌で車を発進させた。



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