愛国者
こうしてイングランドは使者とともに自国へと戻された。
実に60年ぶりの自国である。
スペインに嫁いだ当時の王は当然他界、その長女が王位についた時には戻る事がなかったから、彼の子ども達に会うのは初めてだった。
「初めまして、祖国イングランド。
わたくしエリザベスはあなたの帰国を歓迎します。
共に歩み、この国を他国の干渉を受けないくらいの強国にして行きましょう!」
誇りと希望と親愛に溢れたその視線は、今まで見たどの視線とも違っていた。
前向きで真摯で…そして、イングランド自身がそれを望んでいないということを夢にも思っていないような眼だった。
「ティン、力を貸して頂戴っ。私たちは過去の過ちと決別しなければならないわ。」
帰国した祖国との謁見を終えて早々、女王エリザベスは自室へ戻ってドアを閉めると、見事なバラの鉢植えに向かって言葉をかけた。
『だから言ったでしょう?イングランドはあの傲慢な帝国に毒されてしまっている。
あなたの姉と一緒よ。』
妖精の国イングランドでは王族の中にも稀に妖精と心を通わせる者がいる。
彼女エリザベスは幼い頃に幽閉されて世俗と隔絶した生活を送っていたのが幸いしたのだろうか…妖精を友とし、会話をすることが出来た。
エリザベスが鉢植えにして部屋まで持ち込んだバラの精ティンは、そんな彼女の寂しい幽閉生活時代を支えてくれた友であった。
妖精の中でも若いティンはともすれば革新的すぎて、古参の妖精達からしばしばたしなめられる。
それでもこの若くやる気に満ちた新支配者とはとても気があう親友同士だった。
「ええ、あなたの言った通りだったわ。
このままではこの美しい国が誇りを失い、最終的に消えてしまう。
わたくしはそうなる前に手を打たないといけないのね?」
『ええ、懸命な女王エリザベス。あなたは姉と同じ轍を踏んではダメ。』
「そうね…姉は愚かで可哀想な人だった……」
エリザベスは遠く過去を思い起こした。
仲が良いとは言えない姉妹だった。
それは本人達の性格と言うよりは、親の関係であり、エリザベスは姉にとっては彼女の母と彼女を不遇な立場に追いやった女の娘だったのだ。
そして不遇な立場に追いやられた姉と同様、エリザベスの母も跡取りの男児を産まないという理由から正当な妻としての権利を剥奪され、エリザベスも庶子へと落とされ、最終的に幽閉生活をおくることになった。
姉はエリザベスを恨んで憎んで、自分の死後、王位を彼女に譲るのを最後まで拒み続けたという。
それでもエリザベスの方は彼女を嫌いではなかった。
しかし男の都合で離縁に追いやられ、不遇なうちに世を去った母親を見ながら、自分自身も男に幸せを求めたその姿は愚かで哀れだと思った。
男に限らない。
幸せというものは与えられるものではなく、つかみとるものだ…。
姉の母を捨て、自分の母を捨て、最後の王妃と男児を設けた父王と、それに翻弄された2人の元王妃を見て育ったエリザベスは強くそう思っていた。
他人の顔色を伺いながら幸せを得るなど出来るわけがない…それが彼女に持論だった。
こうして新女王として権力を得た彼女がまず目指したのは富国強兵である。
自分個人だけではない。
国として他国の顔色を伺って他国に幸せを与えられようと立ち振る舞う事をまずやめるのだ…。
それにはまず、同盟国と言いつつ、嫁いだ王女もその血筋の王族もすでに亡くなったにも関わらず、いまだ王女の輿入れと引き換えにと連れて行った祖国イングランドを取り戻さねばならない。
そう思ってスペイン側と交渉。
見事祖国を奪還してみせた。
他国で不遇な生活を送っていたであろう祖国はさぞや喜んでくれるだろうと思いきや、彼もまた姉と同じ、他者に自身を依存して幸せを得ようとしていた。
正直最初は失望した。
これが自分がいつか共に戦おうと夢見ていた相手なのだろうか…。
いや、そんなはずはない。
彼ははるか昔、大国フランス相手に支配を拒んで100年戦争に勝利し、自由を勝ち取った英雄だ。
国の化身は国情と国民の意志の影響を強く受けるというから、彼がこんな状態なのはおそらく政略結婚で姉とこのイングランドの国を利用する気満々で、実際に利用し尽くした男に心底依存し、国を傾けかけた姉の影響を受けているからなのだろう。
本当は姉の影響がなくなるのをゆっくり待つのが良いのかもしれないが、大国スペインを相手に立ちまわるには、有限の時間しかない人間であるエリザベスに残された時間はあまりに短い。
今すぐ…本当に一刻もはやく行動に移したいのだ。
それには祖国にはすぐにでも自分に慣れてもらわねば困る。
「ティン、決めたわ。
あなたの言うとおりにする。
例の封術を使いましょう。」
【それは心をしまう術。金の小箱に思いを詰めて。鍵をかければ出来上がり】
まるで少女達のごっこ遊びのようにキャラキャラと歌いながら、2人は小箱を準備した。
「これ…わたくしの事も忘れてしまったりしないのかしら?」
『大丈夫。仕上げに小箱に入れるのは、消したい記憶の欠片だから。』
サラサラと眠り粉で眠らせたイングランドを前に、二人がコソコソ話し合う。
『リズ、その指輪にしましょう。
私達からイングランドを引き離した嫌な男の結婚の贈り物。
それが消したい記憶の欠片。
それを小箱に封じれば、イングランドの記憶からあの男との結婚の記憶だけが消えてくれるわ』
えいっ!とティンが小さな手に持った月の飾りのついたステッキを一振りすると、イングランドの薬指の指輪が金色の光となって小箱へと飛び込んだ。
『さ、リズ、鍵をかけて?』
妖精に促されるまま、女王はペリドットの飾りのついた金のカギを鍵穴に差し込んだ。
カチャリ…と軽い音をたてて鍵がかかる。
その音に眠っているはずのイングランドの目尻から、一筋涙が零れ落ちた。
「ねえ、ティン、でもこれは誰かが鍵を開けてしまえばお終いよね?
人だけなら海にでも投げ捨ててしまえば終わりだけど、あなたのお姉様達ならどんな所に隠しても見つけ出してしまわない?」
ティンも他の妖精達もイングランドの事が大好きだった。
違うのは…まだ幼いティンはイングランドが自分の側を離れてしまうのは嫌だったし、引き離す要因は消してしまいたがったが、年嵩の妖精達はイングランドの気持ちを大事にしたがった。
イングランドの心からイングランドにとって幸せだったのであろう結婚の記憶を消すことには当然反対だ。
「大丈夫、この箱は別の次元に飛ばしてしまうから。」
ティンはまたステッキを振る。
その一振りで箱はキラキラと光を放ちながら透けてどこかへ消えていった。
「これでよし!さ、次の支度をしないとね。」
パタン…と二人がイングランドの寝室を出てパタンと扉が閉まる。
そして静けさを取り戻した寝室に、キラキラと二筋の光がその上を飛び回った。
『止められへんかったね…』
光の一つが言うのに、
『うん。無理やった…せやけど…』
と、もう一つの光が応える。
ティンと同じくらいの大きさの…しかし全体的に色素が薄く金色の髪の彼女と違い、綺麗なブルネットの髪の妖精達。
故国へ戻されるイングランドを心配して付いてきた、スペインの花畑の妖精達だ。
他国である上に、他の妖精の魔法に干渉して相殺するというのは難しい。
それでも幸せそうに自分達の花畑を訪れていた若い夫婦のために、妖精の一人は最善は尽くしてみたらしい。
『せやけど?』
『一つだけ…空間を時間に変えられた…』
『時間に…?』
『そう…時間。次元やったらもうしまいやけど、時間やったらまだ、箱は時間を超えて、数年後か数百年後か数千年後かはわからへんけど…イングランドの地に現れる。』
そんな言葉を残して、2人の妖精は光となって南東の方角へと消えていった。
いつか未来にまた、2人の幸せな時間が取り戻される事を祈って…
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