病
館に着くと使用人が用意していた湯にイングランドを浸からせて、自分はそのまま服だけ着替えてタオルでグシャグシャと髪を拭く。
正直…今日王城で会うまではもてなすなどという気がさらさらなかったため、イングランドに用意した部屋は館の端のごくごく簡素な部屋だった。
まずそれをなんとかしなければならない。
「俺の隣の部屋な。
急いで上等なベッドや家具用意したってっ。
ああ、ゴツいもんやなくて、可愛らしい感じのモンな。
大急ぎやでっ!」
と、使用人を急かせて、手配に走らせる。
部屋の準備ができるまでは来賓用の客室でも使わせようか…。
着替えの類はイングランドから送られてきてはいるが、小さな島国のことだ、それほどの物でもあるまい。
ついでだから服の類も手配させる。
どんな小さな不快感も与えたくない。
自分といられて良かったと心から思って欲しい…。
――ああ…料理も考えんと……
スペイン自身は自分だけの時は美味ければ良いと言う主義でそれほど見栄えにこだわらないのだが、イングランドには味はもちろん見目麗しい料理を用意したい。
シェフにもそう命じてメニューを変えさせる。
イングランドが風呂から出るまで、スペインはそんな風に急遽張りたくなった見栄をはるため、忙しく立ち動いた。
そんな風に相手に気に入られようと色々気遣うのは初めてだった。
覇権国家として名を馳せてこのかた、自分の方があれこれ動くまでもなく黙っていても相手は寄ってきていた。
しかし花嫁…イングランドは自分といる時は泣き顔と緊張にこわばった顔がほとんどだったのに、妖精といる時は本当に嬉しそうな楽しそうな顔をしていたのだ。
自分といる時が一番になってほしい…。
そんなスペイン自らの指示のもと、全ては大急ぎで行われた。
「口にあわへんかった?」
イングランドが風呂から上がって着替えた頃にはすでに日も落ちていて、夕食の時間になっていた。
風呂あがりのせいか昼間は青白かった頬は紅潮して、ペリドットの瞳は潤んだように揺れている。
10代半ばくらいの外見はまだ少女とも少年ともつかぬ中性的な雰囲気で、ドレスを着ていてもこれといって不自然さを感じさせない。
むしろ胸がない分、若干幼く見えるくらいだ。
ひどく細く頼りないその様子に庇護欲が刺激され、今までなら用意した物にほとんど手をつけない相手に腹をたてていたであろうスペインだったのに、むしろ慣れた自国の物以外喉を通らないのかと心配になる。
「すぐには間に合わへんけど、イングランドから料理人と食材取り寄せよか?」
と、その顔をのぞき込むが、イングランドは困ったように眉を寄せて、小さく首を横に振る。
「少し…疲れただけで…ごめん…ご馳走様」
そう言って立ち上がり、ダイニングを出て行く後ろ姿を見送って、スペインはため息をついた。
どうしたら良いのかわからない…。
今まで当たり前だった好かれるということが、ひどく難しい事に感じた。
途方にくれたまま自分もぼ~っと手をつけないままの料理を前に呆けているスペインを我に返らせたのは、皿を片づけに来たメイドの言葉だった。
「サンドイッチか何か…部屋で召し上がれる物を作りましょか?
今はお腹すいてへんでも、あとですきはるんやありませんか?」
それだっ!!
「そやなっ。そうしたって!」
途端に元気になって顔をあげるスペインにクスクスと笑みを向けながら、
「政略結婚言うても相手の方を気にいりはったんなら、よろしゅうございましたな。」
と、もうスペインに仕えて20年にもなるベテランのメイドは、そう言ってお辞儀をして下がっていった。
こうしてメイドが作ってくれたサンドイッチのトレイを手に、スペインはイギリスの部屋が整うまで使わせることにした来賓用の客室へと足を運ぶ。
もしかして…国を恋しがって泣いていたりするのだろうか…と思うと、一瞬ノックをしようとした手が止まる。
が、もし泣いているなら自らの手で涙を拭いてやり、国より自分を恋しくなるように慈しんでやればいいのだ…と思いなおし、スペインはトントントンと三回ノックをした。
待つこと数秒…返事はない。
「イングラテラ?」
悪いとは思いつつ、返事のないままのドアを開けたスペインの目に入ってきたのは、暗い室内、ソファにもたれかかったまま気をうしなっている花嫁。
「どないしたんやっ?!!」
駆け寄って抱き起こした身体が燃えるように熱い事に気付いて、スペインは青くなった。
「誰かっ!!誰かはよ医者をっ!!!」
イングランドを横抱きに抱きかかえたまま、スペインは叫んで廊下へと飛び出した。
そのまま自室の自分のベッドに運び込んで医者にみせると、イングランドは肺炎を起こしているとの事だった。
国内事情が変わったわけではないはずだから、これは化身のまだ幼さの抜けない弱い肉体の問題だ。
それでなくてもまだ成長しきってない弱い少年をスペインについたその日で疲れているであろうに調子に乗って花畑に連れて行った挙句に雨に濡れさせたのが悪かったのだろう。
スペインは自分の軽率な行動を後悔した。
ゼイゼイと苦しげな呼吸に胸がズキズキ痛む。
暢気に風呂あがりのせいかと思っていた赤い顔は熱があったためなのだろう。
気づかずにいた自分に腹が立った。
医者いわく国を出た頃からおそらく体調が良くなかったのだろうということだ。
そんな状態であまり良い環境とは言えない船旅、そして雨に濡れたところで限界が訪れたらしい。
シーツを握りしめる細い細い指先をソっと開かせ、自らの手を握らせる。
すぐ休ませてやるべきだったのだ…。
自分の落ち度だ。
泣きそうな気持ちでそんな事を考えていると、白い瞼が開き、ぼんやりとしたペリドットが現れた。
――堪忍な…そんなに弱っとるって知らへんかってん……
汗で額に張り付いた髪をソっと指先でかきあげて、ぬるくなったタオルを変えてやると、イングランドは小さく首を振って、かすかに微笑んだ。
――きっと…俺はここで消える運命だったのかも……
その消え入りそうな声にスペインは自分の耳を疑った。
「自分……何言うてるん?」
問う声が震える。
心が言葉の意味を理解するのを思い切り拒絶した。
――王家も…国民も…世界中皆がそれを望んでいるから…いいんだ…
胸の痛みが限界を超え…涙が止まらない。
悲しいのはきっと、そんな事を感じているイングランドの方であるはずなのに、イングランドは泣かず、スペインがポロポロ涙をこぼした。
「俺は…望んでへんよ?」
――俺が消えれば…イングランドの領土はスペイン王国のものになって…フランスに備える最前線基地になる…。
「そんなんどうでもええわっ。
まだ結婚して一日や…たった一日やでっ?!!」
――便宜上…結婚という名前を使っただけだ…
「とびきりの指輪用意したるっ!
式やって二人きりでもええやんっ、自分が元気になったらちゃんとあげたるわっ!
何があっても…国の状況が変わっても、自分は一生ちゃんと親分の嫁で、親分は一生ちゃんと自分の婿やっ!
消えてええなんて言うたらあかんっ!
たった一日やん…まだなんも一緒にしとらんやんっ…また森の花畑に妖精さんに会いに行く約束したやんっ!次は弁当持って暖かい格好して一日過ごしたらええやんっ!
嫌やっ!消えたらアカンっ!死んだらあかんっ!!」
――何故…?…どうして悲しむんだ?
涙をポロポロ流しながら言葉を発し続けるスペインをイングランドは不思議そうな目で見上げた。
不思議そうに言われる方が不思議だった。
こんな愛おしい存在を手に入れて、たった一日で失う悲しさに胸が張り裂けそうな思いがしているというのに……
「何故か…やて?そんなんもわからんの?」
アントーニョは涙が止まらぬまま、それでも白く小さな顔に自分の顔を近づけて、その小さな唇に触れるだけの口づけを送った。
「世界と引き換えにしてもええくらい…自分の事愛しとるからに決まっとるやん…」
心から沸き起こる感情のままそう告げると、零れ落ちそうなくらい大きなペリドットが、驚きにさらに大きく見開かれた。
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