輿入れ
「遠路はるばるようきはった」
謁見室ですらない、王の執務室。
スペイン国王は椅子から立ち上がる事もなく、極々普通に声をかけた。
いや、普通の使者ですら趣向を凝らした来客用の謁見室で謁見することを考えたら、普通以下なのかもしれない。
しかし白衣の花嫁は気遣いの言葉に対する礼を述べ、ただ国を出る時に申し付けられた通りの口上を述べて膝を折る。
かすかに震えて見えるのは怒りか恐怖か緊張か…どの感情からくるものによるものなのだろうか…。
どの感情からのものにせよ、おそらく隠さなければならぬと言い含められているであろうその感情は、顔をおおった薄いヴェールによって守られていた。
しかしその小さな尊厳すらも、スペイン王は気遣う様子はない。
「失礼やけど…一応うちも大事な娘を嫁に出してそれと交換にもろうた花嫁やさかい、顔を見知ったモノに本物かどうかの確認させてもらうな?」
と、暗にヴェールを上げる事を要求する。
――やれやれ、王も人が悪いわ。
その隣に佇んだこの国の化身、そして花嫁の配偶者の花婿でもあるスペインは内心苦笑した。
正直…国の化身であるスペインには、相手が国の化身であるかどうかは感じ取れる。
それを王も知っている。
そのスペインが特に指摘しないということは、イコール花嫁は本物であるということである。
それでも敢えて花嫁の心を守っている唯一の盾であるそれを取れというのは、ただただこの婚姻、この同盟の上下関係をハッキリと知らしめるための詭弁にすぎない。
花嫁は一瞬躊躇するが、
「なんや、取ったら都合悪い事でもあるん?」
と、王がそこで意地悪く追い打ちをかけると、かすかに震える白い手がヴェールにかけられ、ゆっくりとまくりあげられていく。
白い小さな顎から紅をさしているらしい小さな形の良い唇。
おそらく本来はバラ色をしているであろうまだふっくらと幼さを残した頬は、今は血の気を失って青白くなっている。
顔の中心には形の良い小さな鼻。
何かに耐えるように降ろされたままの瞼を彩るクルンとカーブを描いた驚くほど長いまつげが震えて、その奥に光るものが見えかけたところで、自身も今の立場も状況も忘れて食い入るように花嫁に魅入っていたスペインはストップをかけた。
「やめとき。」
この数々の逆境を跳ね返して来た百戦錬磨の男にしては、案外余裕のない声が出た。
自分でもそれを自覚して、意識して余裕を思わせる笑顔を貼り付ける。
「自分も油断ならんなぁ。」
と、じゃれるような、からかうような笑みを王に向けつつ花嫁の方へと歩み寄ると、スペインは花嫁の肩を抱き寄せて、途中までヴェールを上げたまま硬直している手を取って降ろさせる。
「親分、同じ化身なんやから相手が国かどうか判別つくことわかっとるやろ?
あかんわ~。他人の嫁に興味もってもうたら。」
そんな風に親しみをこめたからかいを全面に出せば、内心不満だろうと王もそれを表に出すような余裕のない態度は取れない。
「なんや、自分余裕ないなぁ、けちくさい。」
と、その軽口に乗ると、王もニヤリと笑う。
「当たり前や~ん。ラテン男はほんま信用ならんのは自分自身でわかっとるし?
嫁は他人に見せんと仕舞いこんどかな。」
そんなやり取りをしている間も触れた肩から震えを感じる。
すぐ横にいるスペインにだけ聞こえる、一所懸命に押さえても漏れだすシャクリをあげる声。
あの長いまつ毛から溢れでた涙が、まだ幼気なふっくらした頬をハラハラと伝っているのだろうか…
スペインはさきほどチラリと垣間見た花嫁の愛らしい顔立ちを思い出す。
正直、それまでは国としての責務でなんの感慨も抱いていなかった結婚だが、まあ悪くはないのではないだろうか…。
顔立ちは好みだ。
「じゃ、そういうことで親分ちに連れてくで?
ええんやろ?」
一応質問の形をとってはいるが、拒否させる気はないとばかりに、ひょいっと抱き上げると、花嫁は一瞬ビクっと硬直したが、抗いはしない。
「しゃあないなぁ。でも大事な同盟の使者でもあるんやから、城からは出さんといてや?」
という王に
「言われへんでも、自分を含めて他の男の目につくような場所には行かせへんわ。」
と、笑いながら、スペインは王の執務室を跡にした。
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