イングラテラ
スペインの可愛い可愛い花嫁は、あまり自分を大切にしない子だった。
――俺が消えても喜ぶ奴はいても悲しむ奴はいないし…。
吸い込まれそうに大きな澄んだペリドットに少し寂しそうな色を浮かべて、消え入りそうな笑みを浮かべる。
真っ白な肌…全体的に色素が薄い中で、紅をさしたわけでもないのにほんのりと薔薇色に色づく小さな唇からそんな言葉が漏れるたび、スペインは胸が締め付けられるような気持ちになって、即それを一所懸命否定した。
例えそれで消えたとしても別に構わないのだ…そんな風に言って無理を重ねる大事な大事な花嫁は、そうしなければ本当に空気に溶けて光となって消えてしまいそうだったのだ。
抱え込んで、引き止めて…この世に繋ぎとめようと必死だった。
なのに何故、あの時自分は会いに行かなかったのか…嫌われたかもしれないのが怖い…そんな馬鹿げた自分の感情を優先してしまったのか…。
あれほど自分にはお前が必要で、いなくなったらもう自分も生きていくなんて事はできないのだ…と、その細い身体を抱きしめながら繰り返したのに、いざ消えるかも…と言う時に…しかも自分の国のせいでそんな羽目に陥った時に…何故会いに行かなかったのか…。
裏切り者…嘘つき…そう思われても弁解のしようがない。
もしあの頃の自分に会えたなら、殴り倒して罵ってやりたい。
いつもそう思っていたのに……
もう500年も前の事をまるでついこの前の事のように思い出してスペインは大きくため息をついた。
何故自分はいつの時代もこうなのだろうか……。
体調が悪いらしいのに一人ホールを出て部屋に戻ったというイギリスを追って、スペインは廊下をひた走った。
遠くで閉まるエレベータのドア。
チラリと中でしゃがみこんでいるイギリスが目に入った。
やはりかなり体調が悪かったのだろう。
他のエレベータもなかなか来そうにないのを確認して、スペインは舌打ちをするが、そこは考える前に走るスペイン人だ。
迷うことなく非常階段を駆け上がった。
普通に考えれば12階分を駆け上がるなど正気の沙汰ではない。
しかしそんな当たり前のことすら思い浮かばないほど必死だった。
昔から本当に過労死しないのが不思議なくらい無理ばかりする子だった。
大抵はそんな風に無理をしている事も上手に隠してしまっていたが、それだけにそれを隠し切れないほどの疲労をためているとなれば、かなり危ない気がする。
『自分は嫌な思いしたくねえからって静観しといて、他の奴に言わせるってのは卑怯だ。
どうしても休んで欲しいなら、自分で言え。
例え嫌な顔されても、土下座して頼み込んででも、まず自分が動けよ。』
普憫に言われるのはシャクだが、プロイセンのいうことはもっともだ。
あの時と同じ過ちを繰り返したらダメだ。
例え罵られてもそれがどうだというのだ。
あの子に苦しい思いをさせるよりは自分が辛いほうがよほどいい…そう思ったのではなかったのか…。
とにかく休ませなければ…。
倒れてなければ良いが……。
そんな事だけを胸に、ひたすら階段を駆け上る。
そして着いた15F。
イギリスの部屋のある要人専用の階。
幸いにして会議などに使われるホールから直通のエレベータで、他の国々は各々帰国したり観光に出たり先に部屋に戻ったりで、他に使う者がいなかったらしい。
エレベータはその階で止まっていた。
「イギリスっ!」
息を切らせながら中を覗き込むスペイン。
…………イングラテラ…?……
エレベータの壁を背に座り込むように気を失っている少年は、まるで大人の服を着込んだようにブカブカの背広を身につけている。
もちろん言うまでもなくそれは今日会議でイギリスが身につけていたもので……
一瞬迷ったものの、ヒョイっとスペインが抱き上げた身体はひどく軽く、成人のものではないが、その少年は紛れも無くイギリス…いや、スペインがイングラテラと呼んで慈しんでいた頃の、少年時代のイングランドだ。
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