ビッグマーメイド_7章_亀裂

「アーサー…この地方の…」
「それはルートの家の仕事だろう?結果を出してそれだけ伝えてくれ。」

ギルベルトが去って早一ヶ月の月日が経とうとしていた。
怪我自体は傷の範囲の広さの割に大したものではなく、1週間もすればほぼ治ったが、別の場所…心に負った傷は誰に気づかれることもなく、アーサーの心身を蝕んでいった。

結果を出せ…そしてそれだけを報告しろ。

それまでは一緒に考え、相手によっては時には仕事をする事をうながし、色々な意味で共に考え共に仕事をしてきたアーサーの態度が怪我からの復帰以降一変した。

最初にそれに気づいたのはルートだった。

アル、香など、元々必ずしも仕事に熱心ではなかったあたりとは違い、常にアーサーと二人三脚のような状態で仕事をこなしてきたのだ。
気づかないわけもない。

「もちろん最終的には俺がやるのだが、最良の結果を出すためには他者の意見も必要だ」
そのために王子の意見が欲しい…そういうルートをもアーサーはあっさり切り捨てる。

「そのための腹心だろう?経過についてはフェリシアーノにでも相談すればいい。
俺は結果だけが欲しい。
それが出来ないなら、こちらへ全部寄越してくれ。
もうルートは要らない、俺がその分を全て取り仕切る。」

そんなやり取りを何度したことだろう。
次第にルートはアーサーから離れていった。


――ここ1ヶ月ほど随分とたるんだ様子だったが、自分で気づいて立ち直ったようだから、不問に付してやる。家臣は家臣であって対等ではない。上に立つ者としての自覚を持って毅然と治めろ。

そう言う父王の言葉を頭を垂れて聞きながら、ギルベルトのいうことと対極だな…と他人ごとのように思う。

しかし父王が正しいのだ。その言う事に従うしか無い。
だってギルベルトは行ってしまった…。
喜怒哀楽を一度強く意識してしまえば、客観的な判断は難しくなる。
でも心を殺してしまえば、物理的な政務は行えるのだ。
揺れる心を抱えたまま公務を行う事は、少なくとも自分には出来ないとアーサーは感じた。


しかしその壁を作った事による亀裂は広がり、ルートのみならず、他にも波及する。

飢饉、国防のための徴兵など、様々な事情で規定の税を払うことが困難になった地方の税の調整も、王子からの説明や仲介なしには父王は認めない。

当然国民に不満は出る。

「この国の国民である以上、税を払うのは当たり前だろう。」
と日々減税の要望をはねのけられた地方では、反乱が起こり始めた。
それを武力で鎮圧するようにという父王の命を告げると、アルがキレた。

「はあ?!国防のために家族から離されて日々励んでくれてる俺の兵達に、自分達の家族を攻撃させろって言うのかいっ?!冗談じゃないんだぞっ!!!
税が払えなくなったのは誰のせいだと思ってるんだいっ?!かれらだって好きで田畑放り出して来てるわけじゃないんだぞっ!!!」

彼は必ずしも仕事熱心ではなかったが、それでも配下には深い愛情を注いでいたし、近隣で無敵と言われる若き将軍のモチベーションは、可愛い部下達を少しでも傷つけたり死なせたりしないように、勝利を勝ち取る事にあった。
国の軍の強さはまさに、下を思いやる将軍と、その気持に応えようとする兵士たちの心のつながりにあったのだ。

結果、断固として自国民に刃を向けるということを拒否したため、将軍は拘束、しばらく更迭され、その後無期限謹慎を申し渡された。


その影響はさらに波及する。

「アーサー。アルがいないから国境沿いの工事危なくてマジ出来ないんだけど?」
と、ダルそうに訴える香。

挙句に、
「アルが家でダラダラしてて良いんだったら俺もそうする的な?
老子も危ない中で工事して怪我するくらいならそうしろって言うし?」
と、仕事をボイコットし始めた。


慣れない軍事に建設を抱え込み、寝る間もない。
まだ財務のルートが登城はしなくなったものの、仕事自体は真面目にこなしているのが救いと言えば救いか。


「最近、ジョーンズと王耀の所が機能していないな。
……降格して他を据える事も検討せねばなるまい。」
疲労で働かない頭に、父王の言葉が回る。

違うんです…彼らは働かないわけではなく、働けない状況で……

――結果が全てだ。
何が正しいのかもうわからない。
何が悪くてこんなに色々が狂ってしまったのか、どうやったら元に戻るのかも、もう…。

『ルート…頼む、話がしたい…』
送った書状は今更だったのか…一日待っても返事は来なかった。
もう自分では何もわからない…ただひとつわかるのは、アルと香を廃させるべきではないということだ。

それはすなわち父王の意志に反するということで……

怖かった。
生まれてこのかた、父王に異を唱えたことはない。
父は常に正しい絶対者だった。
それを否定するということは、すなわち自らの存在の否定するのにも等しい。

それでも……

「父上、失礼します。」
初めて訪れる父王の私室。

普段は親子と言えどもきちんとアポイントを取った上での謁見室での対面だったので、場所しか知らないその部屋を訪ねるのはひどく緊張した。

「何用か?親子であってもお前は臣下だ。
きちんとアポイントを取れと私は言っていなかったか?」

幸いまだ眠ってはいなかったものの、すでに寝間着の上にガウンを羽織った状態の父王は休む準備をしていたらしく、ひどく不機嫌だった。
それでも火急の用だと伝えると、使用人達に下がるように命じる。

そして二人きりになると、アーサーは口を開いた。

「ジョーンズと王香の降格の件ですが…彼らが機能していない要因は俺にあります。
なので、今一度お考え直し頂けないでしょうか。」

降格するならむしろ自分の方をと申し出たアーサーの言葉に、父王はさらに不快感をあらわにした。

「何を馬鹿な。
国王家の人間に不完全な者など存在しない。
よって、奴らの排除されるべき不手際の要因は奴ら自身にあるのだ。
奴らの件はもう明日申し渡す事になっている。
この件については以上だ。いいな。」

「でもっ!!」
「感情に流されるな、愚か者!
同じ王族と言えど、奴らは家臣だ。
替えの効かない頂点に立つべき者である我々とは違う。
動けなくなれば別のものと取り替えるべきなのだ。」
「違うっ!違います、父上!!
人を見て、その者に必要な物を見極め、それを与え、仕事をさせる。
それが我々の仕事ですっ!
必要な物を見極められなかったっ、与えられなかった、そのせいで彼らは仕事が出来なかったんですっ!
それは彼らじゃない、俺の責任なんですっ!」
「黙れっ!!
国王家の人間のすることに間違いなどあるはずはないっ!!
お前は未熟な上、疲れている。
明日から3日の休養を命じる。
その間は自室から出るな。」

父王はそれだけ言うと、もうこれ以上その話を聞く気はないとばかりにクルリとアーサーから背を向けた。
父王の命に従えば、取り返しの付かない事になる気がする。

――ギルベルト…ギルベルト、ギルベルト……
どうして良いかわからなくなり、アーサーはぎゅっと胸元に手をやり、服の下にお守り代わりに下げていたハサミを握り締める。

ギルベルトが拾ってくれた…今となっては想い出の品。
そして…置いていかれた自分に唯一残された物…。
頭が真っ白になった。
止めるんだ…止めないと……
頭にあったのはそれだけだった。

……え……?
気づいた時には目の前が赤く染まっていた。
手についた赤い液体…ヌルリとした感触…そして…目の前で倒れる初老の男……
つい先ごろまで自分にとって神にも等しかった存在……
まるで現実感がなく、しかし夢ではない確かな感触。

うあ……あ……あっ……
カクンと崩れる膝。

「王子っ…」
と、その時部屋のドアが開いた。
そしてヒッと息を飲む音。
逃げないととか隠さないととか、そんな考えも浮かばず、ただ後ろに誰か居るらしい事に気づいてぼんやり振り返ると、青い顔をした世話人が立っている。

「…トー…リス……」
意味もなく何も考えずにその名を呼ぶと、弱々しく見えて実は意外に芯が強い男だったらしいトーリスは、我に返って、すぐドアをパタンと閉めた。
そしてアーサーの前に膝まづく。

「大丈夫ですからね。落ち着いて下さいね」
アーサーの手からソっとハサミを取り上げると、トーリスはそれを丁寧に拭いて血を拭い、ポンポンと、なだめるようにアーサーの背中を軽く叩いた。

「…っ…アルっ…香も……はっ…排除…するって……」
ヒックヒックとシャクリをあげながらアーサーが言うのにも、トーリスは、はいはい、と、背中を叩き続ける。

「大丈夫…。とりあえず手を拭いて。」
と、アーサーの手を拭くと、今度は自分の手に血をつけた。

「さあ、これで大丈夫。
あなたは外に出て人を呼ぶんです。
陛下は俺が錯乱して刺したんです。
あなたはそれを止めようとした。
いいですね?止めようとしただけなんです」
「なっ…何を言ってるんだっ!そんなの駄目だっ!!」
当たり前に言うトーリスに、アーサーはようやく我に返って首を横に振った。

「いいんですよ。」
「良くないっ!」
「いいんです。俺は元々あなたの身代わりにもなれるように側にお仕えする事になったんですから。それは周りの意志でもありましたけど、俺自身の意志でもあるんです。
あなたは皆にとって必要な人で…こんなことでつまずいてちゃいけない。
大丈夫。皆それをわかってるから、多少の不自然さには目をつぶってくれます。」
その言葉は嬉しくて…しかし同時にどうしようもなく悲しかった。

皆にとって必要な未来の王……だからただのアーサーでいてはいけないのか…。

――あなたのために死ねるなら幸せです。
最後にそう言って止めるまもなくトーリスはドアを開いた。

が、
「……っ?!!!」
開いたドアが何かにあたり、ドアの向こうから
「痛いな…」
と言う声と共に見慣れた顔がのぞく。
「…ルート……どうして……」
書状は無視されたのではなかったのか…?
その言外の問いに、ルートはドアにぶつけた顔を押さえながら、少し眉を寄せた。

「昨今、城の方は色々不穏な空気が流れていたからな。
俺が巻込まれないようにとフェリシアーノが勝手に気を利かせたらしい。
あいつの部屋で書状を見つけて、慌てて飛んできたのだが……」
そう言ってルートは難しい顔で室内に目をやった。

「これは俺が……」
「俺がやったんですっ!!」
説明しようとするアーサーの言葉を遮って、トーリスが前に出た。
ルートはその二人と共にもう一度部屋の奥に目をやった。
「別に俺は断罪するつもりはないし、本当の事を言え。
でないとかばいようがない」
ルートの言葉に黙りこむトーリス。
代わりにアーサーが全てを説明すると、ルートは少しうつむいて小さくため息をついた。

「お前たちは単細胞すぎる。
だから言っただろう」
という声に、きまり悪げにルートの後ろから姿を表したのは、アルと香だ。

「何故……」
呆然とするアーサーにルートが言う。
「書状に気づいてここに来る途中で引きずって来た。
俺と話をするのもいいが、どうせなら関係者全員いたほうが良いと思ったのだ」

そういうルートの後ろから、
「…なんか…ごめんよ。俺達のために…」
と、アルが、
「ごめん、悪かった的な?」
と、香が、それぞれ気まずそうに顔を見せる。

「とにかく…陛下の遺体をこのままにしておいてはまずいでしょう。
幸い先日王子を切りつけて逃げた賊の一件もありますし、同じような事が起こったとするのは可能だと思います。
ここには政務を司る5家のうち4家が揃ってますしね。
全員が証人になれば疑いようがないでしょう。」
「キク、頭がいいな」
「さすが悪知恵に関してはピカイチだね」
「……アル…あなた、犯人になりますか?」
「じょ、冗談だよっ!!!」
「俺達は共犯だ。この件だけじゃなく、これからは国政に関してもな。
だからアーサー、何でもお前一人で抱え込むのはやめることだ」
最後にルートがそう言って、アーサーの肩をポンと叩く。

こうしてこの一件は、どうやら王子を切りつけたのと同じ謎の族が今度は王に刃を向けたという事で収まりをみせ、それと同時に早急に城の警備の強化の必要性も問われたため、アルも復帰することになった。



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