自室に戻るとアーサーは我が物顔で自分のデスクにふんぞり返っている謎の人物に向かって少し眉を寄せてみせる。
「おう、なんだ?」
「なんだじゃない。書類返してくれ。」
「これはお前がやるモンじゃねえよ」
「何がだっ」
別に隠すつもりもなかったのか、懐から羊皮紙を取り出すと、ギルベルトはそれをまとめてコンコンとアーサー頭を軽く叩いてみせた。
「あのな、上に立つ人間なら全部自分で処理すんな。
これは外務のやる仕事だ」
というその書類は確かに外務関係のものなのだが…
「でもロヴィがやるより俺がやったほうが早い」
そう、ロヴィに説明するより自分でやったほうが手間も省けて効率的だ。
それを言うと、ギルベルトはまたコン!とさっきよりは若干強く羊皮紙をアーサーの頭に落とした。
「教える手間を省くな」
「でもっ」
「いいか?人間一人がやれる量なんざ限られてんだよ。
だから見てやんなきゃなんねえ奴がたくさんいる上のモンに必要なのは実務能力じゃねえ。
必要なのはたくさんある仕事をその大勢に上手に降る能力だ。
人を見て、そいつに必要な物を見極め、それを与え、仕事をさせる。
その手間を惜しんでたら上に立つ人間にはなれねえぞ」
返す言葉がない。
言われてみれば確かにそうだ。
「わかった。ロヴィがある程度仕事を覚えるまでは、指示書を書いてそれを添えて仕事をふることにする」
「ん、そうしろ」
ギルベルトはクシャクシャっとまたいつものようにアーサーの頭を撫でると、立ち上がって椅子を譲った。
ギルベルトは不思議な男だった。
突然現れて、いつのまにかアーサーの生活に入り込んできた。
彼は何故だか自分以外の人間には見えないようだ。
アフターフォローをしにきたというが、具体的に何をしにきたのかもわからない。
ただ、害をなすつもりなら海に落ちた自分をわざわざ助けないだろうし、なにより恩人であるわけだから、無碍に追い返すわけにもいかない…。
……いや、嘘だ。
自分が返したくないのだ。
本心を晒すな、弱みを見せるな、完璧な人間であれ。隙を見せれば追い落とされる。
自身もそういう人間で、アーサーにもそうあるようにと育てた父王とは対照的に、ギルベルトは自身もよく笑いよく怒り…アーサーにも人間らしく生きた方が良いと言った。
怒る時は本気で怒り、褒める時は本気で褒める。
子どもは大人になる練習をする時期なのだから、思い切り失敗もしてみろといい、チャレンジして失敗することに失望の色を見せない。
適度に手を貸し適度に手を離し、そうやって試行錯誤の上で成功すると手放しで褒めてくれた。
海の中に住んでいた…ということ以外は何も知らない。
でも何故かまるで父王と同じかそれ以上に上に立つものに必要な事というのを知っていた。
それは対照的ではあるものの、一つの上に立つ人間の図で、アーサーはいつしか父王よりはギルベルトのようになりたい…いや、ギルベルトと一緒にいたいと思うようになっていた。
褒めてくれる時に頭を撫でる大きな手が好きだ。
慰めてくれる時の広い胸が好きだ。
子どもは子どもらしく甘えろと言って見せてくれる笑顔が大好きだ。
最初の頃は上手く自分を出せなくて、ただただ絶句して硬直していると、
「急がなくてもいいからな。」
と、笑って、何を聞くこともせず、ただ頭をなでてくれていた。
そんな事を繰り返し、やがてポツリポツリとおおやけ用ではない、ただの12歳のアーサーとしての言葉がでるようになり、今では心からの笑みが浮かべられるようになった。
――アーサー、最近親しみやすくなったっす。
良くも悪くも思った事しか言わない、建設物関係を一手に仕切る王耀の跡取りの香に言われたように、自分でも他者との距離が近くなったような気がする。
以前は感じていたような孤独感ももうない。
紙を切るために船を出すことも全くなくなった。
――ギルベルト…寂しい。
そう言うと、ギルベルトは
――もう、甘えたなハサミちゃんはしゃあねえな。
と、当たり前に抱きしめて頭を撫でてくれる。
とても満たされて…とても幸せだと思った。
だから…この優しい時間が有限なものであるとは、アーサーは思っても見なかったのだ。
しかし一日一日と確実に時は進み、幸せは砂時計の砂と共に次第に滑り落ちていたのだった。
「こいつはな、自分らのモンやないで。俺らの王やっ。
いい加減返してもらうわっ!!」
その残酷な事実を告げたのは、茶色の髪の少年だった。
身に突きつけられた刃より、その言葉はアーサーの心に深く突き刺さることになる。
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