ビッグマーメイド_5章_王様とハサミちゃん1

陸上で呼吸出来る期間は1ヶ月。
当事者の少年以外の陸上人には姿は見えない。

そんな条件を引っさげて、海底の王、ギルベルト・バイルシュミットが当座の留守の準備などを終えて陸上にあがったのは、エリザと話をした翌日だった。

陸地まで泳ぎ切り、陸にあがると渡された二枚貝の器を開け、中身を飲み干す。
さして何か変化したようには思えなかったが、飲み干した途端にストンと呼吸が楽になったので、どうやら効果はあったようだ。

見かけた時の服装からすると少年はおそらく城の人間の中でも身分のある立場の人間だろう。
ということで、目指すは陸上人の王城。
誰の目にも映らないというのもエリザの言った通りらしく、ギルベルトが城門をくぐり抜けても咎める者は誰もいない。
こうしてギルベルトは初めて陸上人の城に足を踏み入れた。

多少の造りの差異はあれ、陸上人の城も海底の城とそれほど構造上の違いはないように思われる。
ギルベルトはまるで自分の城を歩くようにごくごく普通に城中を歩いて回った。

行き交う人間も男は海底とさして変わらないように見えるが、女の格好はなかなか興味深い。
男のように足がある。

あと特筆すべき点としては、海底よりは当たり前だが水を通さない分、太陽の光が明るい事か。

キラキラと眩しい光の中、人々は忙しく城の中を右往左往している。
その陽射の強さのせいだろうか。
海底の城よりはせわしない印象を受けた。

そんな城や人物の観察をサッと済ませると、ギルベルトは
「さあて、俺のハサミちゃんはどこだろうな」
と、一人ごちて頭をかく。

途中、先日の少年ほどの歳の頃の少年がいるのも何回か見かけたが、それぞれ家臣らしい人物と何やら仕事をしているようだったので、少年もそんな立場で、おそらくどこかで仕事をしているのだろう。

一応姿は見えないとはいえ、いや、姿が見えないからこそ逆に、不用意にドアを開けて回る事は出来ない。
陸上人からしてみれば誰もいないのに勝手にドアが開いていく事になるのだから、ちょっとした怪奇現象になってしまう。

そこでギルベルトはとりあえず城の中央部の中庭から窓を通して部屋の中を覗いていこうと廊下から庭へと足を踏み出した。



国王の城というだけあって、庭には隅々まで綺麗に手入れされた花々が咲き誇っている。
これだけは海底では見られない光景だ。
綺麗な物好きのエリザが見たら狂喜乱舞しそうな光景に、ギルベルトは帰りには一輪土産にもらって帰れないだろうか…と、そんな事を思う。

海底には無いものだから種類とか名前とかはわからないが、とりあえず少し見せてもらおうか…と、また思い立って、ギルベルトはゆっくりと花のアーチやら蔓がまきついた花の棚などを見て回り、さあそろそろ戻ろうか…と、また建物に足を向きかけたところで、ふと気づく。

足元に飛んできた羊皮紙。
拾い上げてみると、どうやら何かの書類らしい。
さて、これが飛んで来た先は…と思い、あたりを見回すと、花の棚の下にテーブルとベンチ。
ベンチに座ったままテーブルに突っ伏して、目的の相手がうたた寝をしていた。

(お~、ちょうど良かった。)
テーブルの下に転がる羽ペン。
どうやらここで何か書きものをしていて、眠ってしまったらしい。
それを拾い上げてテーブルに置いたついでに、組んだ両腕に頭を乗せて寝る少年の顔をまじまじと覗きこむ。

(まつげなげ~)
と、子猫のような瞳を覆い隠す瞼の下を彩る長い睫毛にまず見惚れた。
目だけは大きいものの、鼻も口も、顔のパーツ全体が小さいのが、子どもらしさを際立たせる。
確かに眠っているはずなのに、少し悲しそうな顔がどうにも気にかかる。

(ガキにとって睡眠てもっと幸せなもんじゃねえの?)

と、もうほとんど無意識にそのサラサラの金色の髪をソっと撫でた瞬間、ビクっと全身を震わせて、少年は飛び起きた。


「よお、初めまして?ハサミちゃん」
ヘラリと笑って軽く手をあげると、最初はビックリまなこで口をパクパクしていた少年は、瞬時に表情を消した。

「…お前は…誰だ?」
表情を殺しながらも警戒の色がちらほら見える少年に、ギルベルトは苦笑する。
どういうものであれ素直に感情を表に出すという習慣がないのだろうか。

確かに身分のある人間としては、相手に警戒を悟らせないというのは正しいのだろうが、子どものうちから何でもかんでも感情を抑えるのが習慣になっているというのは、頂けないと思う。

「あのなぁ…ガキはもうちょっと思ってる事素直に表に出しても良いと思うぜ?」
と、とりあえず質問の答えは置いておいて、感じた事をそのまま口にしてみると、少年は一瞬キョトンとして、それからまたハッとしたように表情を抑えた。

元々何も考えないわけでも平静なわけでもないらしい。
本人は一生懸命大人ぶっているのだろうか…と思うと、妙にツボにはまってしまって、どうにも抑えきれずに、ギルベルトはプ~っと吹き出した。

(いや、マジ可愛い、こいつっ!!!)
目の前でケラケラ笑い転げるギルベルトに、少年はやっぱり一瞬目を丸くして、しかし今度はポコポコ怒りだした。

「なんなんだっ!!名乗りもせずいきなり人の事を笑うって失礼じゃないかっ!!」
少年が両の拳を握りしめていうと、ギルベルトはようやくなんとか笑いをこらえて、少年の頭に手を伸ばした。
するとビクっと少年が身をすくめるが、それにも構わずクシャクシャとその頭を撫で回す。

「お~、ようやくガキらしい反応になってきたじゃねえかっ。
ガキの頃からあんまり良い子してっと、大人になる前に息切れすっぞ、ハサミちゃん。」
ギルベルトが笑ってそう言うと、少年は一瞬硬直したあと、パッと俯いてフルフルと震えだした。

「お~い、大丈夫かぁ?」
と、覗きこんで見ると、顔が真っ赤だ。
困ったような照れたような…とにかく混乱した様子で涙目で
――な…あたま……なんで……
と小さな小さな呟き。
どうしていいかわからない…そう顔に書いてある気がして、ギルベルトはまた頭を撫でた。

「ま、難しく考えんな。ガキが頭撫でられるなんて挨拶みたいなもんだろ。」
ギルベルトが言うと、少年は俯いたままボソボソっと呟いた。
「ん?なんだ?」
「…さみちゃんて……なんなんだ、それ…」
「あ~、ハサミちゃん?だってお前いつでもハサミで紙切ってたから。
なんでかしんねえけどさ、たまには切るんじゃなくて折ってもいいんじゃね?
壊すんじゃなくて形を変えて作ってみればどうだ?」
そう言った途端、少年はガバっと顔を上げた。

「も、もしかしてっ!!あれ、お前がっ?!!」
「お~、魚か?あれ俺だ。
紙吹雪も綺麗かもしれねえけどな、なんか散るばかりっつ~のも寂しい気しねえ?」

ギルベルトの言葉に少年は今度こそ硬直した。
ワタワタしながら何度も言葉を紡ごうと口をパクパクするその様子に、ギルベルトはまた笑って、今度は宥めるように背中をポンポンと叩いてやる。

「ま、落ち着け。
今日来たのはなんつ~か…アフターフォローってやつ?
いつも暗い顔で紙切ってっから、まあなんつ~か気になってな。
どういう事情かわかんねえけど、泣きたい時くらい思い切り悲しい顔で泣きわめいていいんじゃね?ガキなんだから。」

「……ガキって………」
「あ、言葉わりいか?ん~、じゃ、お子様?」
「いや、言葉はいいんだけど……」
少し静かになって落ち着いたかとおもいきや、目が思いっきり揺れている。
色々ぐるぐる回っているらしい。
とりあえず落ち着くまでこちらから情報を流してやるか…と、ギルベルトはおそらく少年が気になっているだろうあたりで明かせる部分を明かす事にした。

「ま、自己紹介な。
俺はギルベルト・バイルシュミット。信じるか信じねえかは勝手だが、普段は海ん中に住んでいる。
で、たまたま海上に顔を出した時に、ハサミちゃんが泣きながらチョキチョキやってるところに出くわしたわけだ。
で、まあなんつ~か…ガキらしくねえ顔でぽろぽろ涙零しながら紙切ってんのが気になってな、何度か紙吹雪が舞ってる時は見にいったりしてたんだが…。
一昨日?ハサミ海に落としてそれ追って飛び込んだろ。
で、ハサミは拾ってハサミちゃん救出して城の裏門まで運んだわけなんだが…」

「…信じる。」
「そうか?」
「嘘なのか?」
「いや、ホントだけど、結構変わった話じゃね?あっさり信じるなと思って」
「だって…」
と、まだ混乱したように小さく首を横に振りながらも、少年は言った。

「船の上の出来事をそこまで詳しく知ってる人間いないだろ?」
「あ~、まあそうだな。」
「それで…お前は一体何をしに?
あ、もちろん礼ならするが…」
その言葉に今度はギルベルトがピンと指先で少年の額を弾いた。

「…ったっ!!何をするんだっ?!」
慌てて額を押さえて涙目になる少年に、ギルベルトは少し表情を険しくした。
「お前なっ!言っただろっ!!アフターフォローに来たってっ。
別に礼なんてされにきたわけじゃねえっ!!」
少し強くなる口調に、いきなり少年の大きな目からポロっと涙がこぼれ落ちた。

「お、おいっ!!わりっ!泣くほど痛かったか?!!」
そんな強く弾いたつもりもなかったのだが、いきなり泣かれて、初めて動揺するギルベルト。

「…っ…ご…ごめ……さ…い…」
そのまま離れて行かないようにギルベルトの服の袖口を片手でしっかり握ったまま、嗚咽の合間にこぼす謝罪に、ため息混じりに苦笑して、
「あ~、そこまで怒ってねえよ。
なんだ、ハサミちゃん普通に泣けんじゃねえか。」
と、ギルベルトはその小さな頭を片手で自分の胸元に引き寄せると、もう片方の手でまたクシャクシャと撫で回した。


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