本人のたっての希望で船上パーティ。
「このお馬鹿っ!!何やっているんですっ!!!」
と、貴族のうち外交を主な仕事とするエーデルバッハ家の当主の甥ロヴィーノが盛大に後頭部をどつかれていた。
どついている相手はエーデルバッハ家の当主のローデリヒ。
子のない彼はこのロヴィーノを跡取り候補として手元に置いて育てていたため、容赦がない。
「イテテ。ちょっとこぼしただけじゃねえかっ。」
と、ドリンクをこぼした袖口をハンカチで拭くロヴィーノに、ローデリヒは
「ちょっとなら良いというものではありません!
あなたは、外交の家継ぐ自覚あるんですかっ?!
他国との交流の席で飲食物が出るなんて珍しくありませんのに、その場で服汚したら、その汚した服で他国の代表と接する事になるんですよっ?!
何度言ったら理解するんですっ!このお馬鹿っ!!」
と、説教を垂れ、ロヴィーノは口を尖らせる。
まあ…ごもっともな意見で、そんな光景を見慣れている周りはまた始まったか、厳しくて気の毒に、と、生暖かい目で笑ってみている。
そこで誰も止めないのは、ローデリヒが本当にロヴィーノの将来を案じて立派な当主に育て上げなければと思っているのを知っているからだ。
そんな2人を遠目に見ていて、アーサーはガシャン…と、グラスを落としてみた。
中に入っていた赤い液体が絨毯と服の裾を赤く染めていく。
誰か…怒るだろうか…足元の染みからアーサーが顔を上げると、召使達が慌てて走り寄ってきた。
「王子様、何か飲み物でお気に召さない事が?」
と、足元を慌てて拭いていくメイドに混じって、侍従がおそるおそる聞いてくる。
「…怒らないのか?」
「…は??」
小さな呟きに返されたのは、不思議そうな顔。
「いや、いい。なんでもない。少し手が滑ったんだ、すまない。」
落胆するのは自分の勝手だが、それを相手に押し付けてはならない。
アーサーはそう考えて、小さく苦笑を浮かべながら謝罪した。
「いえ、お怪我がなくて何よりでございました。別室に着替えが用意されておりますので、お召変えを。」
といわれるまま、アーサーは着替えてまた会場へ戻った。
怒られない…それを嘆くのは多分自分がおかしいのだろう。
それを気にかけてもらえないと思うのは、おかしい。
心配なら…してもらえるだろうか…。
そんな事を考えながら会場へと戻ったアーサーの目に止まったのは、軍事のジョーンズの跡取りのアルフレッド。
他をそっちのけで盛大に料理をぱくついていて、側近の従兄弟に注意されている。
あちらはあちらで楽しそうだ…と、アーサーは自分の手元の皿に視線を落とした。
そこにはアーサーの好物が山と積まれている。
もし…普段なら喜んで口にするそれらを全く口にしなかったら?
アーサーはアルフレッドに近づいていった。
そして
「アル、良ければ食べないか?まだ口もつけてないし。」
と皿を差し出すと、アルフレッドは全く気にすることなく、
「そうかい?じゃあ、頂くよ」
と、当たり前に皿を受け取って、ガツガツ食べ始める。
「うん、美味しいんだぞっ!」
とあっという間に平らげて満足気な笑みを浮かべるアルフレッドの背中を従兄弟は思い切りひっぱたく。
「アルっ!いやしいよっ!!王子様の分までとってるんじゃないよっ!!」
と言ったあとに、アーサーに対して慌てて自分が手にした皿を差し出した。
「申し訳ありません、ホントにアルはいやしんぼうでっ。
良ければこちらをお召し上がり下さい。」
そう言う少年に
「いやしんぼうってなんなんだいっ、いやしんぼうってっ!
要らないっていうから食べてあげただけだぞっ?!」
とアルは口をとがらせる。
「アルがこの辺りの料理全部空にしちゃってるから、王子が見かねてご自身の下さったんだろっ!!
もうっ!シェフが料理を追加するくらいまで待てないのっ?!この欠食児童っ!!」
「欠食児童って君ねぇっ!主筋に向かっての礼儀ってものがないのかいっ!!」
「なら礼を払いたくなるくらいの気品身に着けてよっ!」
と、そこで始まる(乳)兄弟喧嘩に、アーサーは慌てて言葉を添える。
「すまない。ただ俺が食欲なかっただけなんだ。気にしないでくれ。」
と、その言葉にアルが胸を張ったその瞬間…
「なんですってっ!!!」
と、いきなり真後ろから大声が聞こえて、アーサーは驚きのあまり飛び上がった。
「王子の口にあわない様な微妙な味のモノばかりを揃えるなんて、シェフは怠惰すぎですっ!!申し訳ありませんっ」
と、気配もなくその場に現れたのは宮廷内部の衣食住を受け持つ使用人達の管理が主なホンダ家の跡取りのキク。
「いや…別に…」
「キク、そんなんじゃないんだぞ!料理は十分美味しいからっ!」
と、アーサーの言葉はアルがかぶせるようにして代弁するが、キクはビシっと
「欠食児童の舌にかかれば大抵のモノは美味しいんですよっ!それじゃあ意味がないんですっ!!」
と、同列の貴族に言うにはあまりな言葉を吐きながら憤る。
「欠食児童って…、君までそういうこと言わないでくれるかいっ!!」
というアルの苦情は当然無視で
「ああ、これだから私はもっと塩鮭を大量に用意するように言ったのに…」
と、え?突っ込みどころそこ?と誰もが思うが、あまりの斜め上さに誰も突っ込めない発言をする。
…いや、誰も…ではなかった。
そこで突っ込む猛者が一人。
「いや、キク。それはお前の好みだろう。
塩鮭だけ大量にあっても困る。
そもそもお前は少々塩分というものを……」
と、始まるルートの説教にキクは耳を塞いで逃げて行った。
…食欲がない…というところには誰も突っ込んでくれない。
アーサーはしょぼ~んとうなだれてその場を離れたが、すでにお互いの連れと盛り上がっている面々はそれにすら気づいていないようだった。
結局…誰も自分の事など本気で気にしてはくれないのだ…と、大勢の人間が集まった自らの誕生日祝いの席で、アーサーは大きくため息をついた。
志を同じくするはずの他の貴族の跡取り達にはそれぞれに自分を見てくれる相手がいる。
本当に一人ぼっちなのは自分だけなのだ…。
皆の尊敬する唯一の跡取り…優れた人物…。
皆が聡い王子と讃えてくれるが、アーサーというただの12歳の子どもである自分を好いてくれる相手なんていやしない。
普通の愚痴やわがままですら、何か深い意味のあることとして祭り上げられてしまう。
そうじゃない、ただ拗ねたいだけなんだ…と、その一言さえ言えない。
ああ…もうダメだ…。
アーサーはそっと会場を抜けだして、ハサミと紙を手に、甲板へとかけ出した。
いつものようにチョキチョキと紙を切っても心の悲しみは小さくなってはくれない。
寂しい…寂しいだけなんだ……誰か助けて…。
小さな呟きはいつものように紙と共に風に舞い、海へ向かって消えていく。
とうとう手元の紙が尽きた。
そして手からポトンと滑り落ちるハサミ。
「……あ……」
ポチャンと波の間に消えたハサミを見て、アーサーは大きく目を見開いた。
唯一の自分の心の拠り所…それをなくしてしまったら……
後先など考えられなかった。
あれだけは無くしたくない…。
そう思った瞬間、アーサーは迷うことなく船の上から身を投げ出していた。
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