天使な悪魔_2章_4

敵襲


異変に気づいたのはそれから数時間後…日が落ちかけた頃だった。

バスは人通りのない広い平原をまっすぐ進んでいた。
そこにかすかなエンジンの音。

街から街をつなぐ何もない道路で、交通が発達した現代では大抵の人間が飛行機で移動するため、バスは2日に1本しか通っていない。

もちろん乗用車などほぼ通らないこの場所で、何もないからこそ聞こえるエンジン音。

まあ…耳の良いアントーニョならではというのもあるのだが…。

そして…そのエンジン音が近づいてくると共に、バス内からも隠しているらしいが感じる殺気。

そこでアントーニョは確信した。

中立地帯でも人通りもなければ目撃者もいない場所なら攻撃をしかける事も可能で…さらに言うなら、中立が守られる事を前提で武装もしていないため絶好の仕掛け場所であるとおそらく思ったのであろう…。

敵襲!
最優先は…アーサーの身の安全だ。
絶対に巻き込むわけには行かない。

自分の身くらいなんとでもなるし、万が一があっても諦めはつくが、おそらく自分を殺しても、中立地帯で戦闘を行った事を隠すため、乗客全員殺される。

それは何があっても阻止だ。
アーサーだけは何があっても守らなければ。

おそらくまだアントーニョが気づいている事には気づかれていないので、アントーニョはソッとアーサーの肩を叩く。

「ぅん……もう…夜なのか…」
まだ幼気な様子で目をこするアーサーに、アントーニョの胸はひどく痛んだ。

巻き込んで堪忍……

それだけは避けたかったのに…と、泣きだしたいような叫びだしたいような、なんとも言えない気分で、それでも精一杯笑みを浮かべてアーサーの耳元に唇を寄せた。

(…あのな…悪い奴らが近づいとるみたいやねん。
でもアーティーの事は親分が絶対に守ったるから言う事聞いたって?
親分が合図したらその上着頭から被って、椅子の間の床に伏せて大人しゅうしとってな。
そしたら親分が悪者をちゃちゃっと退治したるから。
親分がええって言うまで絶対に起き上がったらあかんで?)

アントーニョの言葉に大きな新緑色の目がさらに大きく見開かれ、不安げに揺れた。
無意識にであろう、アントーニョのシャツを掴んだ手がひどく震えている。

瞬時に色を無くして透けるように青白くなっていく顔色に、アントーニョは不安を覚えた。


(大丈夫やで。親分めっちゃ強いんや。アーティーの事はちゃんと守ったるからな?)

身体を包む自分の上着ごとアーサーの細い身体を抱きしめると、アントーニョはそう言って白いこめかみにちゅっと軽くキスを落として、時を待った。




そしてエンジン音がいよいよ近くなってきて、落ちるこちらのバスのスピード。
いよいよだ。

社内のあちこちから押し隠した殺気を感じるが、さて、敵はどいつだろう…。

(スピードが落ちたって事は…運転手も…グルなんだな…)
アーサーの震える唇から漏れる言葉に、アントーニョは今更ながらにああ、そうか…と思う。

意外に肝が座っているのか…と思いきや、すでに死人のような顔色をしたアーサーは涙目で
(もし…逃げられるなら逃げろよ…。お前一人ならドタバタの中で逃げられるかもしれないだろ?)
と、アントーニョを見上げた。

そろそろとシャツを掴んでいた手を放す。

(何言うとるんっ!!)

小声だが、思わず語調を強めてアントーニョは言い返した。

(…だって…下手すればこのバスに他にも悪いやつ乗ってるんだろ?
俺は走れないし、どっちにしても無理だ。でもお前一人なら…)

(アホッ!)

それ以上言わせたくなくて、アントーニョはアーサーの頭を抱え込んで自分の胸に押し付けた。

(言うたやろ。親分強いんやから、アーティーの一人くらいいくらでも守ったるわ。
アホな心配せんで、隠れとき)


この子を死なせるくらいなら自分が死ぬ…他の誰を殺しても構わない。
とにかくこの子には自分が死んでも…と思うのはやめて欲しい。

(絶対や…親分すぐちゃちゃっとやっつけたるから、絶対に出てきたらあかんで?
約束したって?)

少し身体を離して、そう真剣な顔で迫ると、アーサーは少し困ったような顔で、それでもコックリと頷いた。

(ええ子や)
くしゃりとその頭を軽く撫でた時、バスが完全に停車して、一般の乗客がざわめく。

(隠れときっ)
と、アントーニョはアーサーの頭を軽く押すと、ざわめいている乗客とそうでない乗客をチェックし始めた。



バスのドアが開く。

入ってくる武装した男たち。
乱射される銃。
バスの中で上がる悲鳴。

椅子の隙間の床にアーサーが身を潜めると同時に、アントーニョは通路に飛び出していって、手近な所にいたそれまで乗客を装っていた男に飛びかかって、銃を奪った。

他の乗客は気にしない。
致命傷を追わないようにだけ気をつけて一路機関銃を持つ男の方へ。

機関銃を持つ男の手を銃で撃ちぬいて取り落としたそれを拾い、とりあえず敵しかいない前方向へとぶっ放す。

よもやそんな反撃に出られるとは思ってもみなかったのだろう…。

一人二人慌ててバスから飛び出して逃げていくが、後ろにいるアーサーを置いては深追いはできない。

むしろ後方にいる敵が味方が逃げた事で動揺しているようだ。

闇雲に銃を撃ちまくり、あたり一面一般客の遺体が転がっている。

身を起こしているのが敵だけとの認識の元、アントーニョは後方の敵を機関銃で一掃した。

そして…ひと通りあたりを見回して、万が一敵が生存していた場合に備えて床に転がっている銃を一つ一つ丁寧に回収していく。




見事に生存者のいない車内。
戦場に身をおいている時にはこれといって珍しくもない光景だが、今日は違う。

「アーティー!無事かっ?!」

自分達の座っていた座席の下、転がっている自分の上着を剥ぎとって、床に突っ伏している細い身体を抱き起こす。

見たところ怪我をしている様子はない。
そして呼吸をしているのも確認できてホッとしたのもつかの間、アントーニョは異変に気づいた。

震える身体。
細すぎる手が胸元を握り締めている。

「アーティ…心臓苦しいんっ?!」

荒い…なのに不安になるほど弱々しい呼吸。
苦しげに寄せられた眉とぎゅっとつぶられた目。

手術が成功したといっても完全に良くなったわけではなかったのかっ?!
アントーニョは舌打ちをして車内を確認する。

エンジン周りは無事なようだが、一番近くの街までどのくらいかかる?
それ以前に田舎街では碌な医療設備もない。

大きな街につくまでは絶対に持たない…。
いや…一番近くの町までさえもたぶん……。

目眩がした。

「アーティ、アーティー!しっかりしぃ!!」
刻一刻と弱まっていく呼吸と、血の気を失っていく顔色。

大切な命が失われていく感覚にアントーニョはそれを引きとめようとアーサーを強く抱きしめた。
それでもサラサラと砂をつかむように、生命がこぼれ落ちていく感覚は止まらない。

この小さな命を救えるならどんな事でも出来ると思う。
自分の命と引き換えたって構わない。

なのに現実は無情だ。

腕の中にいるのに何もしてやることができず、苦しんで苦しんで手の中でどんどん衰弱していくのをただ馬鹿みたいに見ているしかできない。


「堪忍…巻き込んでもうて堪忍……」

自分がどんなに大事に守ろうと思っても、少しのことでも簡単に摘み取られてしまう儚い命を自分を取り巻く過酷な環境から守り切る事は所詮不可能だというのはわかっていたのに…。

自分が伸ばす手は…この子の綺麗な生命を摘み取る事しかできない。
大事に思えば思うほど、この子の死期を早める事しかできないのだ。

近づいては…いけなかったのに…。

はあ、はあ、と、苦しげな呼吸を繰り返す小さな身体を抱きしめながら、気が狂いそうな悔恨に襲われる。

あの時…自分がバスを引き止めてこの子をバスに乗せなければ……。
自分さえ関わらなければ……。

ぽとりぽとりと涙が溢れるアントーニョの目元に細い手が伸ばされた。

「アーティっ!!!」
うっすら開いた新緑の瞳が少し笑ったような気がした。

しかし次の瞬間…ゆっくりと閉ざされたまぶたの下に隠されたペリドット。
力を失って落下していく白い指先。

絶望はゆっくりとスローモーションで展開していった。

「嫌や…。」
アントーニョはクビを横に振った。
涙が褐色の頬をこぼれ落ちていく。

「なあ、嫌や…。こんなん嫌やあぁああ~~!!!!」

血を吐くような叫び声が誰もいない夜の闇にこだました。






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