パイレーツ・オブ・ディ・エンターテイメント・インダストリー

――敵だ…あいつは俺の…いや、世の男の敵だ。

きらきらとライトに照らされたステージ。
その上で華やかな衣装を身にまとって歌い踊る男。

乙女達の黄色い歓声を浴びて客席に向ける笑顔は忌々しいほど爽やかだ。
皆がそれを見て男に夢中になる。

男らしく焼けた褐色の肌。
引きしまって適度に筋肉のついた体躯。

『みんな、今日は本当にありがとな~。おおきに~』
と、抽選で当たった非常に幸運な極々少数ファンのためのこのミニコンサートが終了間近なのを告げる、どこか親しみに満ちた良く通る耳心地の良い声。

――人気ユニット【悪友コンビ】のアントーニョ・ヘルナンデス・カリエド…。
大勢の女達をたぶらかす極悪人が目の前にいる。

売れっ子アイドルで俳優、イケメンでスタイルが良くて運動神経すらとてつもなく良い。
さらに親戚には国民的大スター俳優のローマ・カエサルがいるという、芸能エリート一族の1人というおまけ付きだ。

そんな風に世の男が切望するたくさんの物を独り占めしている男…。
…奴は全てを持っている。

なにもかも持っているくせに、たった一つしか持たない人間から、そのたった一つを取り上げて行くのだ。

そう…ごくごく普通の家に生まれ、イケメンから遥かにかけ離れた容姿。
子どもの頃から走ればビリ、試験は落ち、告れば振られてきた洋一がずっと片思いをしている天野優華。

彼女は同じコンビニのバイト仲間だ。
一昨年に洋一から1カ月遅れで入ってきた。
おばちゃんの中で唯一の若い女の子。

洋一を散々バカにしてきた学生時代のクラスメートの女たちと違って、ストレートの黒髪の清楚系の女性だ。

一か月とはいえ先輩だからと、きちんと洋一をたててくれてる。
バイトのシフトもだいたい同じ。
いつも隣にいる。
これはもう、運命なのではないだろうか…洋一がそう思ったのはおかしくはない、当たり前のことのはずだ。


――おはようございます。益子さん。

涼やかな声。
いくら洋一で良いと言っても、仕事関係の方ですから…と、頑なに名字でさん付けなのが少しよそよそしい気がするが、おそらく生真面目な性格なのだろう。

きっと“仕事関係の方”じゃなくなれば、その距離もいっきになくなるに違いない。
彼女だってその方がいいだろう。

そう思って、店内に客がいなかった時に彼女に言った。

「優華ちゃん、今更だけど…俺らつきあわない?
そうしたらさ、君も俺の事、気軽に名前で呼べるよね。」

洋一がそう言うと、ポカンとされた。
口を小さく開けて目を丸くして固まっている様子は可愛かった。

これは…次の瞬間真っ赤になるパターンだな…と、洋一は前夜も自宅でやっていたギャルゲーを思い出して内心小さく笑う。

しかし彼女の反応は予想に反したものだった。

「…えと…仕事関係の方とおつきあいとかは…ごめんなさい、できません。」
少し困ったように眉を寄せて考え込み…そして、うつむき気味に小さな小さな声。

ああ、彼女はそういう真面目な子だった。
確かに社内恋愛とかは嫌われるとか、同じ社内で結婚する場合、どちらかが会社を辞めるとか、よく聞くもんな。

洋一はそんな事を思い、自分はそういう事まできちんと考えている大人なのだと教えてやることにした。

「ああ、それは気にしなくて良いよ。
そうだよね、社内恋愛とかって煩い奴いるもんね。
俺もそう思ったからさ、そろそろバイト先変えようかな~とか思ってるんだ。
だから“仕事関係の”人間じゃなくなるから、大丈夫っ!」

別に今の今までそんな事をかんがえていたわけではない。
が、余裕のある男に見えるように安心させるように微笑んでそう伝えてやると、彼女はますます困った顔をした。

視線が泳いでいる。
…えーと……などと口のなかでごもごもと言い、結局少し視線を反らしながら、信じられない事を口にした。

「好きな人…いるんです。だから……ごめんなさい。」
思い切り頭をさげられて、洋一は茫然とする。

だって、どう見ても彼女の態度は自分への好意に溢れていた。
彼女は一昨年からずっと洋一の事を好きだったはずだっ!
…誰だっ!誰が俺の優華をたぶらかしたんだっ!!
怒りにぶるぶると体が震えた。
彼女にもそれがわかったらしい。

「…あ、あの…新しいバイト頑張って下さいっ」
と、身をひるがえそうとした彼女の腕をガシっとつかむと、ヒッと小さな悲鳴が漏れたが、それさえも耳に入らない。

「…どんな奴?」
思いのほか低い声が出た。

すっかり怯えきった彼女はあたりを見回すが、あいにくと今の時間は客がいない。

「…どんな奴?」
もう一度同じ問いを繰り返すと、彼女は震える声で言ったのだ。

――…アイドル…で……アントーニョ・ヘルナンデス・カリエド……


そのあとどうやって家に帰ったのかわからない。
洋一は気づけば着替えて自室にこもっていた。

無断で帰ってきたのでバイト先から電話が来たと親が言っていたが、それどころではない。

「…アントーニョ・ヘルナンデス・カリエド…。…アントーニョ………」
ぶつぶつと1人ネットで検索する。

もちろん有名なアイドルだから洋一だって名前くらいは知っている。
しかし名前を知っているだけでは消せない。

そう…彼女と自分の仲をはばむものは全て消さなければ……。


そうして洋一は知る。
毎年7月7日。
普段はイベント関係はだいたいユニット【悪友トリオ】で開くアントーニョが、その日は毎年ソロコンサートを開いているらしい。
ファンクラブの中から抽選で200名のみの、ミニコンサート。

そうとわかればあとはファンクラブに入会するしかない。
そしてコンサートのチケットに応募する。

…当たれ…当たれ…当たれっ!!!!!!

神は洋一に味方したらしい。

熱心なファンが毎年応募し続けてもなかなか当たらないコンサートチケット。
それがにわか会員となった男の手に落ちて来たのだ。



コンサートはすごかった。

何がすごかったかと言えばファンの女たちの熱気と洋一に対する視線。

(…やだ…なにあのオタクっぽいの……)
(…あれもトーニョのファン??)
(…なんか笑えるね)

こそこそと聞えよがしに小声で言いあう女達は、まるで洋一の学生時代の同級生の女達のようだ。
そう、だいたい女達が洋一に向ける視線は侮蔑に満ちていたし、放つ言葉は悪意に満ちていた。
そんな中で彼女だけ…優華だけだったのだ。
彼女だけが洋一を愛してくれるはずだった。

それがこんな性格の悪そうな女をはべらせてご満悦の男に騙されるなんて!!!
許せない!!という感情がコンサート会場に来てよけいに募った。

鞄の中にはナイフが忍ばせてある。
よく切れるナイフをさらによく切れるように磨いできた。

それを確認するように、洋一は普段は背負っている鞄を手にしっかり握りしめて、きらびやかなステージ上をにらみつけるように視線を仇敵に向けた。


コンサートはアンコールにさしかかっていた。
一度舞台袖に引っ込んで、また手を振りながら出てくるアントーニョにファンが嬌声をあげる。

調子にのりやがって!と思いつつ、洋一は鞄の中からナイフを取り出して上着で隠す。
最後の1曲を歌い終わってファンから花束をもらっているアントーニョ。

今がチャンスだっ!!!
ドン!!と、近くの女達を突き飛ばし、洋一は奇声をあげながらアントーニョに向かって一直線に走りだした。

手に持ち切れない花束を後ろのバックダンサー達にとりあえず預けようと後ろを向いていたアントーニョが振り返った。

「みんなっ!危ないからどいたってっ!!!!」
と、まずファンの身の安全を気にするところが良い人ぶっていて余計に気に食わない。

女達は言われるまでもなく、ナイフを振りかざす洋一に悲鳴をあげて左右に逃げる。

すぐっ!もうすぐだっ!!!
対応しようとするアントーニョだったが、何かに足がひっかかったらしくバランスを崩した。

神は自分に味方しているっ!そう、こんな世界中の男の敵は滅ぼしてしまえという思し召しなのだっ!!!
高揚した気分でナイフを握り直し、迷わずそのきらびやかな衣装に包まれた身体めがけて突進しようとした時…何かがその前に立ちはだかった。

黒い衣装のアントーニョとは対照的な白い物体。
瞬間、手に衝撃が走って、ナイフがはじけ飛ぶ。

「くっそおぉぉ!!!!死ねっ!!!死ねよっ!!!!!」
武器がなければせめて拳で、と、殴りかかろうとした洋一の身体にまた衝撃が走って、横にはじけ飛んだ。

ぶざまにステージに転がった洋一を駆けつけた警備員が押さえこむ。

「死ねっ!!死ねえぇぇ!!!!」
それでも叫び続ける洋一の視界に最後に入ったのは、洋一の方など見向きもせずに背を向けているアントーニョの姿だった。







…あー、まゆげちゃん、今日も可愛えなぁ。

毎年開いている7月7日のミニコンサート。
その日はソロコンサートなので、いつも隣にいる悪友二人はいない。
そんな中でアントーニョの関心は秘かに後ろで踊るバックダンサーの少年の方にむかう。

マネージャーによるとアーサー・カークランドというらしい。
1カ月ほど前からアントーニョの後ろで踊っている少年。

ぴょんぴょんと飛び跳ねた落ち付いた色合いの金色の髪に、同色の長い睫毛。
目はまんまるで大きく、綺麗な淡いグリーン色。
肌はまっしろ、頬はバラ色。
鼻と口は小さく整っていて、まだ声変りもしていない高い声はとても可愛らしい。

12歳という年齢は十分幼い気がするが、それ以上に童顔でどこか可愛らしい子猫を思わせる。
今年中学1年のはずが、小学校の中学年くらいに見えなくもない。

バックダンサーの中でもひときわ小さく、子ども好きのアントーニョは秘かに彼が気に入っていたが、一応自分の立場もわきまえている。
無意味に自分が1人を構えば、逆に妬まれる可能性もあるだろう。
だから心の中で『可愛えなぁ』と思いつつ、こっそり愛でるにとどめていた。

可愛いだけじゃなく努力家な彼は、いつも最後まで1人でダンスの練習をしていたりするので、踊りも上手い。
人見知りらしく大抵は1人ぽつねんとしている。
そんなところも、ああ、構ってやりたいなぁと思わせるのだが、彼の平穏な生活を考えれば我慢するところだろう。


構いたい…構い倒したい…そんな押し殺した気持ちは自然と情報収集と言う方向に流れてしまったようだ。

…好きな物は食べ物なら甘い物、飲み物なら紅茶。
同僚の子達からの情報だとヌイグルミとか可愛い物が好きで、寝る時はティディベア抱えて寝とるって天使やんなぁ。

もう、彼の名前が出ると、他の子達の会話にすら耳をすませてしまう日々。
我ながらほとんどストーカーの域に達しつつあると思う。

そんなお気に入りの彼がこうして後ろで踊り始めてから初めてのイベントがこのミニコンサートだ。

いつもより少し凝った衣装。
主役のアントーニョのものほどではないが、後ろの少年達もそれは同じで、アントーニョ的には自分よりもむしろ、いつもよりも凝った衣装を着たまゆげちゃんを見る事の方が楽しみだったりする。
そんな可愛い彼が後ろで自分に合わせるように踊っていると思えば、テンションも自然とあがった。

例年にも増して盛り上がりを見せるコンサート。
別に嫌と言うほどではないのだが、アイドルになったのは飽くまで惰性だ。
祖母の兄、つまり大伯父が大スターで、自分はその大伯父の若かりし頃に非常に似ているらしい。
顔かたちだけでなく、オーラがあるとよく言われる。

そんな感じでその気になってしまった両親は、ノリノリでアントーニョを子役として芸能事務所に放り込み、あっという間に売れっ子になったアントーニョを残して二人で海外旅行中に事故で亡くなった。

それからは子役時代から一緒にやってきている同じユニットの悪友二人と大伯父が自分の家族みたいなものだ。

忙しいから寂しくはない。
寂しさを感じないために忙しくする。
そんな感じで芸能人をやってきて、楽しいとか楽しくないとかは度外視だったわけなのだが、最近はまゆげちゃんのおかげで仕事が楽しい。

出来れば歌の時だけじゃなく、俳優やバラエティの仕事でも一緒に出来ればもっといいのだが、自分にその権限がない事はアントーニョも重々承知している。

だから彼と一緒にいられるコンサートを楽しもうとアントーニョは思っていた。


まゆげちゃん、まゆげちゃん、まゆげちゃんっ!
振付で後ろを振り向く時は至福だ。
可愛いまゆげちゃんが踊っている姿が直に見られる。


ほとんど一目惚れのようにまゆげちゃんを気に入ってしまった1カ月前から、彼が後ろで踊っている歌番組は全部撮っておいて、家でこっそり愛でているのだが、普段は無愛想な彼が、踊っている時は嬉しそうで楽しそうで、いつもにもまして可愛い。

このコンサートも撮ってもらっているから、あとで見よう。そうしよう。
そんな事を考えながらアントーニョはアンコールの歌を歌いきる。

「みんな、今日はおおきに~!!」

ファンあってのコンサート。
コンサートがあれば、可愛いまゆげちゃんをいっぱい見られる。
ファンには感謝感謝だ。

今日は年に一度のミニコンサートだけあって、ファンとの距離も近い。
プレゼントは投げたら危ないので受付に預けてもらう事になっているが、投げ入れられた花束とかは普通に直に拾う。

そうして少ししゃがんで花を拾っていると、客席の方で悲鳴があがった。
視線を向けると、こんなコンサートに不似合いな男の姿。
どう見てもファンとは思えない。
その手には大ぶりのナイフ。

「みんなっ!危ないからどいたってっ!!!!」

相手の目的は普通に考えれば自分だろう。
万が一にでもファンに怪我をさせたらおおごとだ。

アントーニョが叫ぶまでもなく、ファンの女性陣はさ~っと左右に逃げている。
そしてナイフの男はアントーニョに一直線に。

父親の趣味で幼い頃から武道はやっているが、当たり前だが武器を持った相手と対峙した事はない。

警備員が駆け付けて来るのが目の端に映るが、間に合わない。
自分で時間稼ぎするしかない。

腹をくくって立ち上がりかけたアントーニョだったが、さすがに緊張していたのだろう。
足元の花に足を取られてバランスを崩した。

目の前にはナイフの男。

…まずいっ!!!
急所である喉元と心臓を手で隠すが、その瞬間、何かがひゅんっ!と背後から飛び出した。
まるで野性の猫のような動きで男のナイフをかいくぐり、細い足が正確に男の手を狙って飛び出していく。

鈍い音と共に飛んでいくナイフ。
勢いで突進しかける男に足払い。
男はすごい勢いでステージの床に転がされた。

これが一瞬の出来事だ。


ふ~っと息をつく少年。
なんと…そこに立つのは、愛しのまゆげちゃんだ。
驚いたことに、あんな小さな体で悪漢のナイフを蹴り飛ばし、自分の倍くらいの体重はありそうな男を伸してしまったのである。

…まゆげちゃん…めっちゃつよ……
これ、惚れてまうわぁ…

と、心の中で少しおどけてそんな事をつぶやきながら、その勇ましくも可愛らしい後ろ姿に見惚れる。
さすが親分のまゆげちゃん。
ちびっこなのに完璧やん。

そう誇らしげに思った時、アントーニョは気づいた。
小さな白い指先から血が流れているのをっ!!!
「まゆげちゃんっ!!血っ!!!血が出とるっ!!!!!」
慌てて立ちあがって、血の流れている方の手首を掴んで叫ぶアントーニョに、少年は

「…まゆげちゃん……?」
と、不思議そうに首をかしげる。
まあアントーニョが心の中で呼んでいた愛称なので当然と言えば当然か。

ああ、そんな風に小首傾げる様子も可愛え……と一瞬意識が反れかけて、しかし目の前の赤にが~っと戻される。

「はよ手当せなっ!!ああ、堪忍なっ!ほんまは親分の方が守ったらなあかんのに…」
早く病院に…と思って勢いで抱きあげたら思いのほか軽くて驚いた。

「ごめんな。痛いか?」
と聞いても、抱きあげられた事に動揺したらしい。

普段は真っ白な顔を真っ赤にして、大きな目をさらに見開いて硬直している。
その様子はさきほど華麗な立ち回りを演じた人間とは思えないほど可愛らしい。
まるで緊張した小動物のようだ。

「あ…あのっ……」
「今病院連れてったるからなっ。」
「…少し手先を切っただけで……」
「傷残ったらちゃんと親分が責任とるからっ!」
「いや…だから……」

借りて来た猫のように固くなりながらもそんな反論を始める少年に、思わず謎の反論をするアントーニョ。

大騒ぎするアントーニョに担架が飛んできたが、

「ええわっ!この子は親分が運ぶさかいっ!」
と、飽くまで自分がと言い張って、そのままバックダンサーの少年を連れて退場するアントーニョ。

到着する警察。
連行される犯人。
開放される観客。

まるでそれ自体がドラマのような大騒ぎは、翌日さらにドラマティックに報道されることとなった。



「アーティ、あ~ん。」

トップアイドルの満面の笑み。
それと共に差し出されるスプーンを前にアーサーは抵抗を試みる。

「あの…カリエドさん…」
「トーニョ。」
「…とーにょ…さん…」
「トーニョ。」
「とーにょ……」
「なぁん?」

いったん皿にスプーンを置き、また優しげな笑みを浮かべる先輩アイドルに、アーサーは一瞬口ごもる。
が、ここは言わねば…と、意を決して再度口を開いた。

「自分で食べられるから。俺にかまわずトーニョはトーニョの仕事をしてくれ。」
なんとか主張してみた言葉は即却下される。

「あかんよ。この手じゃ食べられへんやん。」
とアントーニョの指先が包帯を巻かれたアーサーの右手のひらにソッと触れる。
右手…確かに利き手である。
が…スプーンくらいなら左手でも…とアーサーは思うわけだが、大先輩の無言の圧力にその言葉を口から出せないでいた。


そもそもの発端は昨日のアントーニョのソロコンサートでの事だ。
アンコールの曲も歌い終わり、礼を言いつつ舞台に投げ込まれた花束を拾っていたアントーニョに向かって、奇声をあげながらナイフを持って突進してきた男がいた。
もちろんアーサーとしてはそれを止めないと言う理由はない。
幸い、幼い頃から護身術を習っているので、迷うことなくアントーニョの前に躍り出た。
そうして悪漢を伸したはいいが、その時にナイフで手を少し切ってしまったらしい。
たいした傷ではないのだが、ばい菌が入ったら、痕が残ったら大変だと大騒ぎするアントーニョのツルの一声でグルグル巻かれた包帯。

いや、テープか何かで済ませてもらってここまでの包帯がなければ、普通に何でも出来る…と思うのだが、実はアントーニョに憧れてこの世界に入った身としては、強くは言えない。

親が仕事で外国なので事務所の寮に入っているのだが、昨日コンサートが終わってから普段は来ないアントーニョが寮に戻ってきて、手が使えないと何かと不便だろうとつきっきりだ。

事件の事情を聞かれる時はがっしりと肩を抱かれ、食事はこの調子で食べさせられ、あまつさえ寝る時はパジャマに着替えるのも全てされ、寝ている間に痛くなったら…と、これも断固として主張されて一緒に寝る事になった。

確かに面倒見の良い親分として名高い彼の事だ。
目下の人間に庇われて怪我を負わせたということでそうせずにはいられないのだろう。
でもやめて欲しい。
憧れのアイドルにこんな間近で微笑まれたら、胸がドキドキしすぎて傷よりも心臓が破裂して死んでしまいそうだ。

そもそも…昨日、本人は動揺して口を滑らせたのだろうが、『傷残ったらちゃんと親分が責任とるからっ!』って…責任てなんだ?なんなんだ?と、思いだすとそれだけで顔が赤くなる。

そうしてチラリと視線が合うとニコっと微笑まれて『可愛えな』とか言われてしまうのだ。
「別に…俺可愛くなんてないです。」
と言っても
「そんなことないで。親分、実はアーティの事、ず~っと可愛え子ぉやなぁって思うとったんやで。」
などと、女の子なら舞い上がってしまうようなトップアイドルの甘いイケメンスマイル付きで返されて言葉を失くす。

アイドルだから…たぶんそんなリップサービスも呼吸をするのと同じ感覚で出てくるのだろうが、こっちはついこの前まで普通にそのアイドルに憧れる一般人をやっていたのである。
やめろっ!勘違いするじゃないかっ!!…と声を大にして言いたい。

…が、当然ながらそんな事を言えるはずもなく、アーサーは黙って差し出されるスプーンを口に含んだ。

こうしてある意味拷問のような朝食が終わると、いきなり鳴るアントーニョの携帯。
ああ、やっと仕事に行ってくれるのか…。
そう思ってアーサーがホッと一息をついたのも一瞬で、何やら電話に向かってやり取りをしていたアントーニョがちらりと自分に視線を向けているのに気づいて首をかしげる。

…ちょっと待ったってな。
と、どうやらアントーニョのマネージャーからの電話だったらしく電話口を押さえて、アントーニョはアーサーに言った。

「えっとな、社長が今から二人して来い言うとるんやって。
アーティ、手ぇ大丈夫か?痛んだりしてへん?」

いやいや、多少痛かろうが、社長の呼び出しを断る度胸はさすがにない。
もっとも手もそれほど痛いというほどではないので、よけいに断る理由もない。

と言う事で大丈夫な旨を伝えると、アントーニョがそれをマネージャーに伝え、電話を切る。

そして…これまた恐怖のお着替えタイムだ。


『片手じゃボタン外せへんやろ~』から始まって、『はい、シャツ着せたるからばんざ~い』とこれも当たり前に出されたアンダーシャツを着せられ、ズボンや靴下まできっちり履かされる。

「ほい、できあがりっ!」
と、最後に何故か靴下を履かせている時の体勢のまま、ベッドに座るアーサーの足の指先にチュッとキスを一つ。

うああぁぁあ~~~!!!!
驚きのあまり思わず蹴り飛ばしそうになって、アーサーは慌てて自制した。




そして向かう寮の隣の本社社長室。
入るのは初めてだ。

少し緊張するアーサーをなだめるように、アントーニョが背中を軽くポンポンと叩いてから、慣れた風に
「社長、入るで~」
と、ノックもしないでドアを開けた。



「よく来たな。」

最近継いだばかりだという30代くらいの若い社長はそんなアントーニョの無礼も気にした様子もなく、二人に椅子を勧める。

おそらくアントーニョの大伯父であるローマは言うまでもなく、その親族であり本人も売れっ子のアントーニョ自身も事務所に対する貢献度は非常に大きい。
そのあたりもあるのだろう。

がちがちに緊張しているアーサーと対照的に非常にリラックスした様子でアントーニョは遠慮なく勧められた椅子にどっかりと座り、アーサーにも座るようにうながした。

こうして二人して座ると、社長は小さくため息をついた。

そんな社長の様子も気にする事無くアントーニョは
「で?なんなん?」
と、ごくごく砕けた口調で聞く。

「昨日の話だ。」
「昨日の?ナイフの男?」
「ああ。警察から連絡が来た。
男は自分の彼女をアントーニョに取られたのを恨んで今回の犯行に及んだと言っているらしい。
彼女の方は一般女性で、今日事情を聞く予定だそうだ。」
「は?ありえへんわ。親分一般人には手ぇ出してへんで?
そのあたりは社長かて知っとるやろ?」
「ああ、私はな。」
と、社長は机の上に両肘をついて、その上に額を乗せ、また小さくため息をついた。

「ただ、マスコミが今日にでもそれを書きたてれば、世間がどう見るかはわからん。」
「やって、全然根も葉もない話やで?」
「火のない所に煙をたてる…それがマスコミだ。
公式には何もないとわかっても、週刊誌やスポーツ紙なんかはある事無い事面白がって騒ぎ立てるだろう。」

「なんや腹立つわぁ…」
口を尖らせるアントーニョ。

イメージが物を言うアイドルにとっては死活問題なんじゃないだろうか。
『腹立つわぁ…』くらいで大丈夫なのか?
…と、アーサーの方が心配になる。

しかし社長の方はさすがにビジネスだと言う事が念頭にあって重く見ているらしく、難しい顔をしていて、
「そこで…だ。一つ売出し戦略を変えようかと案が出ている。
本田…」
と、斜め後ろにずっと黙って立っていたアントーニョのマネージャー、本田菊に声をかけた。

「はい。では僭越ながら私の方から…」
と、アーサーもしばしば目にしてはいたが、いつも表情に乏しい本田が、殊勝な顔をしつつも何故か目のキラキラ感だけは押さえきれていない、そんな表情で一歩前に進み出た。

「マスコミが今回の事件をアントーニョさんの女性問題として面白可笑しく書き立てるなら、いっそのこともっと面白可笑しい話題を作って消してしまいましょうというのが今回の主旨です。」

「もっと…面白いこと?」
オウム返しに繰り返すアントーニョに、
「そうです。面白い事です」
と、本田は珍しくオーバー気味のリアクションで大きく頷いた。

「結論からするとですね、そちらのアーサー・カークランド君を公式にアントーニョさんのお目付け役としてつけてしまいましょうというプロジェクトです。」

「はぁ??????」
いきなり名前が挙がってアーサーは自分を指差して目をぱちくりさせる。
一方でアントーニョは
「ええなっ!それっ!」
と何故か嬉しそうに顔を輝かせた。


「いったいどういうことですか?」

普段なら社長と大スター、そしてそのマネージャーの間にいて発言など出来ないのだが、さすがに自分が大きく関わってくるような話に戸惑いを隠せずに質問する。

それに対して本田はニコニコとこれまでにない親しみのこもった笑みをアーサーに向かって浮かべた。


「アーサー君にはこれからアントーニョ君とユニットを組んで頂きます。
ただし立場はアイドルであるアントーニョ君とそのお目付け役つまり監視役という形で、例えば割と普段から身の周りを気にしないアントーニョ君の服装や髪の乱れ、時間のルーズさなどをチェック、指摘して頂ければ結構です。
バラエティなどでは事務所の方針という形で一緒に出てもらいますし、歌番組でも歌うまでは常に隣、歌う時は今まで通り後ろでダンスですね。
歌の前とかにも服装チェックして直してあげて下さい。
そのあたりは最初の内は意識的にアントーニョ君の服装は乱れたところを作りますし、どこを直せばいいと言うのはこちらで指示しますから。
ドラマの撮影とかはさすがに一緒にはできませんが、現場には待機で。
とにかくアントーニョ君の世話を焼けと事務所から言われたから一生懸命世話を焼いている小さな男の子、これが君の役割です。」

あまりの事にもう目を見開いて硬直しているアーサーから、本田は今度はアントーニョに視線を向けた。

「アントーニョ君はアーサー君に世話を焼かれてとにかく喜んで下さい。
むしろ世話を焼かれたくてわざとだらしなくしてるくらいに見えても結構です。
世話を焼いてくるちいちゃいアーサー君が可愛くて可愛くて仕方ない。
『アーサーは本当にしっかり者やな。将来は親分のお嫁さんになるか』くらい言っちゃって下さいね。
そしたらアーサー君は思い切り照れて拒否って結構。
そんな甘々風味なボケと突っ込み、コミカル路線でお茶の間の心をがっちりつかみましょう!!」

話しているうちに気持ちが高揚してきたのか、がっちりという言葉の時には、本田には珍しく、こぶしをぐぐっと握ってみせている。

「二人のコンセプトは『少し抜けてるトップアイドルとしっかり者の可愛い小さな従者君』
これですよっ!!
アントーニョさんは元々KYで有名なボケ役ですし、アーサー君は昨日のコンサートで見事なボディガードっぷりを発揮してくれましたしねっ!
今までにないユニットだと思いますっ!売れますっ!
やりましょうっ!!」

こうしてお茶の間デビューを飾る事になったアーサー。
事件の時の見事な立ち回りと、アントーニョの周りをちょこちょこしながら甲斐甲斐しく…しかし少し危なっかしく世話を焼こうとする様子が、主に大きなお姉様達の心を鷲掴みにしたようで、どんどんとメディアへの露出が増えて行った。

そしてこの小さな従者がいつしか少年から青年になってアントーニョとユニットを結成。
それがのちに多数のミリオンセラーを世に送り出したPirates of the entertainment industry(芸能界の海賊)となる事も、もちろんこの時はまだ誰も知らないのであった。





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