貧乏生活
こうして俺の飼い主になったアントーニョは貧乏だった。
本当に驚くほどに貧乏だ。
フランシスは人間の中でも金持ちの部類に入る男らしく、その棲家も実に広かったが、俺がアントーニョに連れられて行ったアントーニョの棲家は本当に狭い1室+1人で料理するのがやっとくらいのキッチンだけ。
家具は1人用のパイプベッドとフランシスの家のリビングに置いてあったテーブルの3分の1ほどの大きさしかないローテーブルのみ。
そこにノートPCやらグラスやらがごっちゃに置いてある。
書きものも食事も、床で出来ない全ての作業はおおよそこの小さなテーブルの上で行われる。
服とか小物は全て備え付けのクローゼットの中だ。
キッチンには小さな冷蔵庫の他には微妙なスペースに置かれた微妙に小さな棚。
そこには食器やら常温保存の食材やらが所狭しと詰め込まれていた。
こんな感じで全てがキチキチだったアントーニョは、時間もまたキチキチだ。
朝ゆっくり起きて朝食だけはリビングで俺と母猫の様子を見ながらクロワッサンやらカフェオレやらを食していたフランシスと違い、アントーニョの朝は早い。
まだ暗いうちに起きて新聞配達。
その後、平日は学校に行ってその後バイト。
休日は一日バイト。
空いている時間が少ない時には家で内職。
学校以外はとにかく働いている。
食事は大抵肉体労働系のバイト先で出る弁当か、もしくは同じくコンビニのバイト先でもらってくる廃棄寸前の弁当。
夜も遅くまでバイトで帰宅は遅いのだが、学校からバイト先などの移動がある時は必ず家に寄って俺の様子を見つつ、一方的におしゃべりをして、また出て行く。
そんな生活をしているくせに、俺の餌はフランシスの所に行かず、自分が身を削るようにして働き続けた報酬の中から買ってくるのだ。
「大事な大事な家族やしな。
アーティの飯くらいは自分で働いた金から買いたいやん」
とか言ってる場合じゃねえ。
俺の飯買う金があるなら自分用に栄養あるモン買って食えとか、
「今日はバイト先の給料日なんやで~。
ちょっとだけ贅沢しよか~」
と高級猫缶買う余裕があるなら、自分のために美味いモンでも買って食えとか、もう言いたい事は色々あるわけだが、残念ながら俺は猫。
伝える術を持たない極々普通の猫なのだ。
出来る事といったらドアの向こうで奴らしい足音がしたら玄関で待機。
まっさきに「おかえり」と言ってやるとか(まあ実際は、「まぁお」としか聞こえてないだろうが)、疲れて帰ってきた奴の頬を舐めてやるとか、せいぜいまるで倒れるように床に寝ころんだまま寝落ちちまった時に薄手のブランケットを咥えてひっぱってかけてやるくらいの事しかない。
それでもそんな些細な事に奴は
「なんやアーティが来てから、毎日が楽しいわぁ、幸せやわぁ」
と、嬉しそうに笑うくらいには馬鹿でおめでたいのだ。
そうしておいて、俺が理解していると本当に思っているのかただの独り言のつもりなのか、しばしば
「親分な、孤児院で生まれ育って院出てからずっと一人ぼっちやねん。」
と、自分の身の上を語ったり、
「アーティ、親分と来てくれてありがと~な~。
なんや不自由ない?
フランとこみたいにはいかへんけど、出来る限りの事はしたるよ?」
と猫の俺が答えられるはずのない事を聞いてきたり、
「家帰ってドア開けた時に出迎えてくれる子ぉがおるってええなぁ。
ほんまはアーティが口聞けたりして、エプロンつけて
『おかえり。ご飯にする?お風呂にする?』
とか聞いてくれたら、めちゃ理想やけど…。
あ、今が不満てわけやないで?
単にフランんとこって以前今話題の猫又ちゃんが産まれた事あんねんて。
知っとる?猫又。
人型になれる猫や。
人型の時はおしゃべりできるしな。
たまにそういう猫ちゃん生まれとって、ニュースになっとるんや。
元が猫やから目とかくりっくりでめっちゃ可愛いねんで?
あ、もちろんこの世で一番可愛えのは、うちのアーティやけどな。」
などとわけのわからない話をしてみたり…。
アントーニョは俺相手に実によくしゃべったし、撫でたし、とにかくほとんどを箱の中で過ごした髭男の家とは違って、俺達はよく接触を持った。
そう言えば…言い忘れていたが、アーサーと言う俺の名前は奴がつけたものだ。
しかし自分でつけておきながら、奴はいつも俺の事をアーサーではなくアーティと呼んだんだが…。
ともあれ、そんなまさに貧乏暇なしといった男と狭いアパートで暮らす生活だったが、俺は満たされていた。
俺を可愛い、必要だと言ってくれる相手がいる。それだけで本当に幸せだったんだ。
家族
俺がアントーニョの家に来て6年。出会った頃は高校に入りたてだったのが大学を経て、苦学生のアントーニョは社会人になった。
元々人懐っこい性格だし、肉体労働で鍛えていたので体力もあるし、なによりイケメンで見栄えが良い。
だからというわけではないだろうが、そこそこ有名な一流企業というやつに入れたらしい。
ここから俺達の生活はグッと向上する。
まず自宅が変わった。
「なるべく家におる時間増やしてアーティとおりたいやん」
と言うアントーニョの希望で、勤め先から自転車で20分という場所。
曲がりなりにも一流企業なので勤め先の立地も都会の一等地なら、そこから自転車で20分という自宅も一等地だ。
しかしあれだけ貧乏でその日の食べ物にも困っていた苦学生アントーニョは、その一等地の高額な家賃を支払えるくらい稼いでいた。
まあ会社で家賃補助もあったらしいが…。
いつも『黙れ!国王』とか『トマト万歳!』とか謎のよれよれのTシャツを着ていたアントーニョは、今では毎日高級そうなスーツに身を包み、仕事に出かけて行く。
それでも奴の俺に対する態度は変わらない。
いや、普段の餌が少し高級になったか…。
まあ…給料日になると高級猫缶を買ってくるのは以前のままだ。
ただ、今は奴自身の食事もちゃんと食べられての事である。
本当に…俺が人間だったなら、俺の分だけとかじゃなく、美味しくて栄養のある料理を作ってやって一緒に食べられるのに…とか、日々思っていたから、俺としても少し安心だ。
繰り返すがアントーニョはイケメンだ。
男らしく焼けて、肉体労働をやっていたせいもあって筋肉の程よくついた引き締まった体躯。
整ってはいるがいつも愛嬌のある笑みを浮かべているため親しみやすい顔立ち。
なかでも俺のお気に入りのおもちゃ、緑のビー玉みたいにキラキラと澄んだ少し垂れ目がちの目はとても綺麗だ。
学生時代は本当に貧乏だったから微妙だった服装が、社会人になってピシッとしたものになった途端、当たり前だがアントーニョはすごい勢いでモテだしたらしい。
家に居ても女から電話がかかってくる。
でもその返答が
「うーん…うち猫ちゃんおんねん。そんな遅くまで1人にしておけへんから堪忍なー」
で、どうやら女の誘いを断っているらしい。
馬鹿、お前は馬鹿だ。
俺は猫でお前は人間。
将来の事を考えたら俺なんかより同種のメスに媚び売っておけ。
最後までお前と一緒にいてくれるのは、同種のメスだぞ。
俺はそんな気持ちを込めて、アントーニョが通話を切って放りだした携帯を爪を引っ込めた前足でトントンしながら、「まぁ~お!」と非難してやる。
長く一緒に暮らしているためだろうか。
それでアントーニョには俺が言いたい事は通じてしまうらしい。
ちょっと困ったように形の良い眉を八の字に寄せて、やって……と、言い訳のように口を開く。
「親分少しでもアーティとおりたいんやもん。
学生時代はずぅっとバイトであんま一緒におれへんかったやん。
せっかくアーティとおるために高い家賃払って会社の近くに部屋借りたんやで?」
ああ…馬鹿だ…。
こいつは本当に馬鹿だ…。
………
………
でも…それを少し嬉しいと思ってしまう俺は本当の意味でこいつの幸せを考えてやれない身勝手な奴なんだろう…。
嬉しさにピンと立つ尻尾と…それに反するように罪悪感に下がる視線。
そんな俺のジレンマにアントーニョはやっぱり気づいて「アーティのせいやないよ。そうしたい親分のせいやねん」と俺を抱き上げて膝に乗せると、俺の頭を撫でながら苦笑した。
結局…奴は考えたらしい。
俺と女と両方と一緒に過ごすにはどうしたらいいかという事を。
そしてある日、自宅の方に女を招いた。
俺は家猫で人間と言えばほぼアントーニョしか見てこなかったから、人間の女の良し悪しについては正直わからない。
でも胸大きいし、モテるアントーニョが選ぶくらいだからきっと人間的に良い女なんだろう。
それでなくても俺を優先しすぎて女の心証が多少悪くなっているかもしれないアントーニョを少しでも良く思ってもらおうと、俺も頑張る事にした。
「ちょおソファにでも座っとって。
今飲み物入れて来るさかい」
女をリビングに案内して、アントーニョはカウンターキッチン越しにそう言いつつドリンクを作る。
大学時代には飲み屋でバイトしていた事もあって、社会人になって揃えたオシャレなグラスにフルーツを挿したカクテルのような物を作っている。
俺はと言うと何故か寝室(そう、今度の部屋はなんとリビングと別に寝室があるのだっ!)に閉じ込められたのだが、いつもリビングで過ごしているのでお気に入りのクッションもおもちゃもトイレも全てリビングにある。
だからていっ!とドアの取っ手に飛びついて華麗にドアを開け、こっそりリビングに忍び込んでいたのだ。
とりあえずレディに挨拶だ。
失礼にあたらないよう、スカートの中が見えないくらいの距離を取って、「まぁ~お」とあいさつをする。
すると、女は、まあっ!と目を輝かせて俺に手を伸ばした。
それに一瞬怖いっ!と思う。
情けない話だが、アントーニョに飼われてからアントーニョ以外の人間に触れられた事がなく、その前はと言うといきなり抱きあげられて落とされかけたと言うのもあって、やや硬直する。
でも我慢だ。
俺がひっかいてしまったらアントーニョが悪く思われる。
俺がジッと固まっているとすぐそばまで伸びて来る手。
だけどその手が俺に触れる前に、ひょいっと俺の身体は後ろから抱きあげた手に寄って宙に浮いた。
俺に力を加え過ぎないように気をつけながらも、その手は力がこもって固くなっている。
緊張しているのがわかる。
もちろん女の他に家にいる人間と言ったら俺の飼い主、アントーニョに他ならない。
奴は少し震える手で俺をしっかりと抱え直すと、
「もう…どうやって寝室から抜け出てもうたん。
困った子ぉやね。」
と俺に言うと、今度は女に向けて
「寝室に居させとったんやけど、なんでか抜けだしてもうたみたいや。
堪忍な。ちょお戻して来るわ…。」
と、ぎこちなく笑った。
女の方はそんなアントーニョの妙な緊張状態に気づかないようで、
「あら、私ねこちゃん大好きだから全然構わないわ。
可愛い子ね。抱っこさせて?」
と、立ち上がって再度俺に向かって手を伸ばして来る。
そこで異変は起こった。
「触らんといてっ!!!」
それは俺が初めて聞いたアントーニョの声だった。
初めて会った時はもちろん、どんなに貧乏で、どんなに疲れていて、どんなに空腹な時も、アントーニョはいつも穏やかな声音で話していた。
それが今、思い切り拒絶と嫌悪をにじませた声でそう叫ぶと、もうちょっとで俺に触れそうな女の手を思い切り払いのけた。
びっくりしたのは女の方だ。
もちろん俺もだが…。
ぽかんと見開いた目でアントーニョを見あげると、アントーニョはぎゅうぎゅうと俺を抱きしめて
「悪いけど今日は帰ったって。」
と、女をドアの方へと促した。
そうして帰った女は、二度と我が家に足を踏み入れる事はなかった。
アントーニョが拒否をしたのか、女がアントーニョを振ったのか、どちらなのかは俺は知らない。
ただ女が出て行ったあと、アントーニョは慌てて家のドアに鍵をかけると、俺を抱いたままリビングに戻って、俺の頭に顔を埋めるようにして泣いた。
「…嫌やねん……アーティは俺だけのもんや。
俺だけを見て、俺を置いていかんといて……」
ひっくひっくと子どものようにしゃくりをあげるアントーニョに、俺はどうして良いかわからず、「まぁ~お~」と一声。
グリーンの目からポロポロ零れ落ちる涙をぺろぺろと舐めとった。
「自分も…俺を孤児院に置いて行ってもうたおとんみたいに、女の方がええん?」
何しろ俺はテレビすらなかったアントーニョのアパートで狭い部屋の中でだけ生きて来たので、その時は奴が言ってる事の半分の意味もわからなかった。
でも女の方がアントーニョよりも良いのかと言われれば否だ。
「まぁ~おっ!」と、ガシっとアントーニョの肩口に爪をたてて涙で濡れた頬に額を擦りつけてやれば、アントーニョは俺の意思がわかったのだろう。
「おおきに。これからも自分だけはずっと側に居ってな」
と、ようやくいつものように笑みを浮かべた。
この時から少しずつわかってきた。
アントーニョはいつも家族と言える相手、つまり俺が自分から離れて他の奴の所に行ってしまうと言う事を恐れている。
それは奴が幼少時、母亡きあとに父親に女が出来て、孤児院に捨てられた事が起因しているらしい。
まったくおかしなことだ。
貰い手もみつからず、仕方なく飼ってやると髭に言われていた俺の方こそ、こいつに嫌われて捨てられる事をずっと恐れていたと言うのに…。
それから俺達はお互い少しずつお互いに疑念と怖れを抱きながら、お互いが決して離れて行かないようにと寄りそうように暮らした。
学生時代と違って少し余裕が出て来た休日は、アントーニョも出かける事はあったが、その時はいつも俺をしっかりと腕に抱えている。
俺も俺で、外で捨てて来られたら大変とばかりアントーニョにしっかりしがみついていて、お互い、お互いが気になって、外出を楽しむどころじゃなくなるので、大抵は家で二人でゴロゴロしている羽目になってはいたのだが…。
そして今…
「アーサー、アーティ、大好きやで」アントーニョは毎日何回それを繰り返してきたかわからない。
何度も何度もすがるように、訴えるように、愛を囁くように…
それでも不安だった俺は、寿命が尽きようとしている今ようやく安堵している。
俺は最後までアントーニョに愛されていた。
嫌われなかった。
捨てられなかった。
生まれてから2カ月と1週間。
誰にも愛されず、むしろ嫌われ、疎まれて、誰からも必要とされない日々が続いたが、その後の猫生はずっとこいつに愛され、必要とされて生きてこれた。
だからすごく幸せだった。
だけど…
「アーティ…嫌や。親分を一人置いて行かんといて。一人ぼっちにせんといて。」
と泣くこいつはどうなるんだろう。
死ぬのは怖くない。
我が猫生に悔いなしと言える。
けど…
けど、一つだけ、俺と同様に1人になるのをずっと恐れ続けていたこいつを1人残していかないとならない事だけが辛い。
心残りだ。
泣かないで…泣かないで俺のご主人。
泣かないで、俺の大事なアントーニョ。
言葉には出来なくとも、俺の肩口に添えている手をぺろりと舐めてやるだけで、俺の気持ちが伝わる程度には、俺達はわかりあっている。
だけどそんな俺の気持ちが伝わったところで、こいつにとってそれが何の慰めになるだろう。
親に捨てられた幼児期。
そのトラウマを背負いながら、必死に俺がどこにも行かないようにと抱きしめ続けたこいつは、結局同じ時を生きられない俺が自分を置いて行ってしまう事で、さらに深く傷ついて、もしかしたら次を見つけられないかもしれない。
人一倍寂しがり屋のくせに、星の数ほどの人間達に囲まれながらも、一人ぼっちの孤独感を背負いながら生きて行くのかもしれない。
ああ…お前の寿命がくるくらいまでは一緒に生きてやりたかったな。
昔こいつが読んでくれた本で3つの願いを叶えてくれる魔人だか神様だかの話があったけど、もし俺が願いを叶えてもらえるなら、3つと言わず1つで良い。
どうか…どうか神様お願いだ。
寂しがり屋の俺とこいつが寂しくないように、俺達に同じだけの寿命を下さい。
他より長くなくても、すごく楽な生活じゃなくても良い。
死ぬ時は1,2の3で一緒に呼吸を止めるように…どうか…どうか……
そんな事を考えているうちにも、どんどん瞼が重くなって、意識が遠のいていく。
「アーティ…アーティ、大好きや。逝かんといて……」
という最愛の飼い主の声を最後に聞いて、俺の意識は消えていった…
エピローグ
15年だ…
一緒に暮らし始めて15年。
友人宅で子猫が産まれたという話を聞いた時は、見に行くだけのつもりだった。
なぜならアントーニョは当時孤児院を出て公立高校に通いながらバイトのかけもちでなんとか自分の身を養うのが精いっぱいの16歳である。
そんな彼に自分以外の命を養う余裕などどこにもあるはずがない。
でもそこで彼は出会ってしまったのだ。
大勢が見に来たにも関わらず誰にも懐かないという子猫。
そんな子猫が自分にだけは心を開いてくれた。
一緒に居たいと意思表示をしてくれた。
ハッキリ言ってどこにも余裕はない。
でもこれは運命だったのだ。
自分の身すら危ういアントーニョを心配しながらも、友人はその子猫を快く譲ってくれた。
それからは毎日が幸せだった。
それまでは両親に囲まれて何不自由なく暮らす友人達に比べて、母を亡くしただけでなく、アントーニョより女を選んで彼を孤児院に捨てた父とも縁が切れて、1人で狭いアパートの一室でくたくたになるまで働いて生きるためだけに流し込むような食事をしながら生活している自分がみじめで悲しく思えたのだが、子猫、アーサーはそんなアントーニョの心を豊かにしてくれた。
コンビニや日雇いのバイトを終えて、くたくたになって帰っても、ドアを開けると何故か玄関でお出迎えしてくれる可愛い子猫。
まぁ~おと擦り寄って来られるだけで疲れが一気に吹き飛ぶ気がした。
一生懸命稼いだお金で可愛い家族を養っていく。
それが例えギリギリの生活だったとしても、自分がアーサーを養っていると思えば全然みじめに感じなかった。
アントーニョの大事な大事な家族。
生活はより大変になったが、アーサーを引き取った事を後悔した事は一度たりともない。
大学を出て社会人になり、経済的に裕福になればなおさらだ。
少しでもアーサーと一緒にいられるように職場から近い部屋を借り、空いた時間があれば出来うる限りアーサーと戯れて過ごす。
それでも一応世間的に彼女でも作った方がいいのかと作っては見たものの、家に連れて来た時に彼女がアーサーに触れようとした時点で心に亀裂が入りそうになった。
もし…万が一アーサーが自分より彼女を選んでしまったら……。
それはおそらく幼少時、自分より女を選んで自分を捨てた父の事を発端とするトラウマなのだろう。
普通に考えれば自分が許可しなければ、自分のペットが勝手に他人のものになってしまうなどということはないのだが、どうしても耐えられずに、それからすぐ彼女には別れを告げた。
それからはずっとアーサーと二人きりだ。
家に帰れば必ず玄関で出迎えてくれるアーサーがいる。
それがアントーニョの幸せの全てだったと言って良い。
しかしそんな幸せは、種族の違いによる寿命の差という、如何ともしがたいもので奪われるということを、アントーニョはアーサーが弱って死にかけるぎりぎりまで考えてもみなかった。
ただただ1人にされる恐怖――そう、悲しさとか辛さと言うより、もうそれは絶望と恐怖だ――に泣きわめくアントーニョに、アーサーは泣くなというようにアントーニョの手に額を擦り寄せたり、舐めたりしていたが、いつもなら慰められるそれも、永遠にそれを失うと思えば、癒しにはならない。
泣いて泣いて、置いていかないでと懇願したにも関わらず、アントーニョ目の前でアーサーは静かに目を閉じ、15年の生涯を終えた。
……はずだった。
「も~、爺ちゃん、こういう話弱いんだよなぁ。
本当はさ、奇跡は年間1件までって決めてるんだけど、特別サービスだ。
こいつの願い叶えてやっちゃおう。」
「はぁ?」
涙で潤んで視界がぼやけているせいで幻覚が見えているのだろうか。
毛むくじゃらの手にステッキを持った、恐ろしく似合わない猫耳の初老のオヤジが目の前に居る気がする。
あかん…親分ショックのあまり気ぃ狂うてしもうたらしいよ、アーティ。
怪しくてキモイ猫耳オヤジが目の前にいる幻覚なんか見えとるし、幻聴まで聞こえるわ……
心の中で呟いたアントーニョの声。
確かに心の中で呟いたはずなのだが、何故か目の前の男にはしっかり聞こえてたらしい。
「爺ちゃん、キモくないぞっ!
怪しくもないっ!猫の神様に対して、なんて言い草だっ」
と、ぷくぅと膨れて見せるが、それもキモい…とアントーニョは疲れたように首を横に振る。
「で?神様が何しにきたん?」
本当に自分はどうかしてしまったんだろう…と思いつつも、別にもうどうなっても良いのだから気にするまい…と、アントーニョが聞くと、男は手の中の杖を一振り。
ぼわん!と白い煙が湧き出て、それがアーサーの遺体を包み込んだところで、アントーニョはようやく我に返って慌てた。
例え遺体だったとしてもアーサーだ。
大切なアーサーだ。
「何すんねんっ!」
とどなりつつも手で必死に煙をかきわけると、そこには真っ白な手足に落ち着いた金色の髪…そして…その合間からふさふさの垂れ耳が覗く少年が……。
「…アーサー……っ!!!」
どんなに姿が変わってもアントーニョにはわかる。
これはアントーニョの大事なアーサーだ。
「あ~…こいつ死ぬ前にお前と同じ寿命が欲しいって願ったんだけどな、猫のままじゃ無理じゃん?
てことで…本当は年に1匹までなんだけど、特別大サービスで今年2匹目の猫又にしてやった。
あ、でもな、猫なわけだから市民権ねえからな?
服もない。お前自分で用意してやれよ?
おい、聞いてんのか?
聞いてねえ、ダメだこりゃ…」
はぁ…と、男は頭をかいて、それから、「ま、いっか。願いは叶えたかんなぁ~」と消えて行った。
こうして寂しがり屋の二人は、それから人間の寿命を二人寄りそうように生き、その寿命が尽きる時は、1,2の3で共に息とって、遺言により猫又の最初の飼い主の孫の手で、同じ墓に供養される。
そして
「「お前のおかげで幸せな人(猫)生だった」」
それがまるで示し合せたように紡がれた二人の最後の言葉であった。
Before <<<
0 件のコメント :
コメントを投稿