親分が頭を打ちました_1

プロローグ


「あーちゃん、重いやろ。それ親分が持ったるわ~」

イギリスが夕食の食材の入った買い物袋を手にした瞬間、自分より筋肉のついた褐色の手が伸びてきて、手にした袋を取り上げられた。

イギリスとて成人男性なわけだから、買い物袋の一つくらい重いというほどのものでもないのだが、ここで争っても不毛な結果になるのはわかっているので、居候代とでも思って持たせておく。

もう相手をしても仕方ないのでスタスタと出口に向かうと、片手で買物袋を持ったスペインが当たり前にドアを開けて
「どうぞ。」
と、イギリスに道を譲った。

レディじゃねえんだぞっ…という言葉をなんとか飲み込み、そこは紳士らしく
「サンクス。」
と礼を言うと、イギリスは先にドアを通り抜ける。

「どういたしまして。」
と皮肉ではなく心からの…それこそもう太陽のような笑顔で応えるスペイン。

それは二人の日常を知る者から見ると天変地異の前触れかと防災グッズをかき集めてしまう程度にはありえない異様な光景だった…。

当のイギリスですら思う…『一体どうしてこうなった?!』と……。





スペインが頭を打ちました


それはとある休日の出来事…。
イギリスはドーヴァーを渡ってフランス邸に来ていた。

いつも喧嘩している、殴りあってる、蹴り合ってる…イギリスとフランスを語らせるならそんな感じなのだが、実はお互い何かにつけて良く行き来する。

お互いに『仲がいいのか?』と聞いたら確実に双方とも『最悪だ!』と断言するだろうが、傍から見ているとそれは兄弟げんかとかの類の、ある種親密さを含んだ仲の悪さで、いわゆる『仲良く喧嘩をしている』状態である。

その日もフランスの
『お兄さんすっごぃ美味しいフィナンシェ焼いたんだけど…』
と、たったそれだけのメールで、
「仕方ないから食いに行ってやる」
と返すイギリスがいた。

結局フランスは休日に菓子を焼く場合はイギリスが食べる事を想定した量を焼いて当たり前にメールをするし、イギリスは『お菓子を作ったんだけど』で、食べに来る?の意がそこに含まれている事を察してユーロスターに飛び乗る。

自分が作った菓子というのはフランスの口には合わないというのはもういい加減わかっているので、手土産は自分でブレンドした紅茶とか、それだけは美味いと言われている手作りジャム。
夕食を食べる時はリクエストを聞いて、自分で育てているハーブを持っていく事もある。

そんな感じで意外にプライベートではイギリスもフランスもお互い丸くなったというか、和やかな関係だったりするのだ。

美食の国のフランスはもちろん、イギリスも作る方はとにかくとして、美味しい物を食べるのは大好きだ。
だからそういう時はことさら揉めることもなく、お互い軽く嫌味の応酬くらいはするが、手も出さず、たまにはお互いの菓子やらお茶やらジャムやらを褒める事すらあるくらいだ。

その日もそんな和やかな時間を過ごしていたところに、思いがけない乱入者が現れた。

「フランス~、何か美味いモン食べさせたって~」
「フランス~、メシ~!」

ピンポンピンポンとチャイムを連打しつつ、ドアの向こうで叫んでいるのは言わずと知れたフランスの悪友達…スペインとプロイセンである。

「あ~、ちょっと追い返してくるから、待っててね、坊ちゃん。」
応対するまでもなくわかってしまった相手に、フランスは苦笑する。

しかしそこで
「…別にいいぞ。俺の方が失礼する。」
と当たり前に立ち上がりかけるイギリスをフランスは慌てて止めた。

「いや、今日はアポ入れて招いたのは坊ちゃんの方だからね?
勝手に押しかけてきたあいつら優先するほどお兄さんも礼儀知らずじゃないよ?」

「プライベートだから…別に俺との間でいまさら礼儀とか気にすることねえよ。
せっかくの休日だしあいつらと居たほうが楽しいだろ。」

「坊ちゃん…あのねぇ…」
相変わらずネガティブなイギリスにフランスが苦笑していると、どうやらかつて知ったるとばかりに、庭の方から入ってきたようだ。
「なんや、その嫌味ったらしい言い方。」
と、不機嫌そうな声がドアから聞こえてきた。

「おい、やめとけっ!」
と、慌ててスペインをたしなめるプロイセン。

一方のフランスは
「坊ちゃん、気にしないでいいからねっ」
と、さらにネガティブスイッチが入るであろうイギリスを慌ててなだめに入る。

「いや…別にいい。休日に嫌な思いさせて悪かった。俺はこれで失礼する…。」
うつむいて唇をキュっと噛み締めて、イギリスは上着に袖を通した。

「ちょっと待って、坊ちゃん。」
慌てるフランス。

「おま…いきなり来たのは俺らだろうがっ。とりあえずイギリスは悪くねえだろ。
悪い、フランス。俺ら帰るわっ。」
と、さすがにプロイセンがそう言ってスペインの腕を取って玄関に連れて行こうとしたが、そこで
「なんでやねんっ!こんな嫌味言われて退散すんなんて嫌やわっ。
帰りたいならプーちゃん一人で帰りっ!」
と、へそを曲げたらしくスペインはそこを動かない。

こうして
「お前いいかげんにしろよっ!」
「プーちゃんこそ俺の事は放っておいてっ!」
とプロイセンとスペインの揉み合いが始まった。

しかしそこで淡々と支度を終えたイギリスは
「いや、俺が帰るから。悪かった3人とも…。」
と、カバンを手にドアを出かける。

「いやいや、イギリス、ちょっと待てっ!!」
とそのイギリスを止めようとプロイセンがイギリスに手を伸ばすために掴んでいたスペインの腕を離した瞬間…
「うあぁああ!!」
と、急に離されたスペインは勢い余って正面の本棚に突っ込んだ。

バラバラバラッ!!!と、追い打ちをかけるように、棚の中の本がスペインの上に降り注ぐ。

「スペインっ!大丈夫かっ?!!」
さすがに三人とも驚いて駆け寄ると、本をどけてスペインを救出する。

「イタタ…」
と言いながらも特に怪我もしていない様子でスペインが頭を振りながら集まってきた3人を見上げ…そしてきょとんとして言った。

「自分ら……誰??」

外傷はない…が、大丈夫ではなかったようだ…。

「スペイン…お前もしかして…頭打ったのか?」
呆然とつぶやくプロイセンに、スペインは言い放った。

「あ~確かに頭痛い気するわ…せやけどとりあえず…自分誰?」





記憶喪失


「これ…本当に打ちどころが悪かったみたいだな…」
とりあえずプロイセンとイギリスで本を片付けて、フランスがその間に4人分のお茶を用意し直す。

いたずらや冗談ではなさそうだ…と、3人揃って信じたのは頭を打ってからのスペインの態度だ。

「あ~、そんな重いの持たんでもええで。親分が持ったるから…」
本を拾って戻そうとするイギリスの手から本の山を取り上げて粗雑に本棚に放り込むスペイン。
本を片づけ終わっても当たり前にイギリスの隣に陣取り、あまつさえ反対側の隣に座ろうとするフランスをわざわざ立ち上がっていって蹴り落とす。

スペインとイギリスの不仲…いや、どちらかと言うとスペインのイギリス嫌いは有名で、それはフランスとイギリスの親愛の情を含んだじゃれあいという類のものとは違い、深刻だ。

ゆえに今日もプロイセンだけなら一緒にお茶会をという選択も考えたのだが、スペインがいる時点でどちらかが退散するという選択しかなかったのだ。

そのくらい険悪だったはずが、一転、もうそれはそれはベタベタと、可愛がっていた子分が可愛い盛りだった頃も真っ青なくらいの溢れんばかりの親愛をイギリスに向かって振りまいているのだからありえない。

「自分かわええなぁ…。ほら、これも食べ。」
と手ずから1番大きなケーキを取ってニコニコとイギリスに差し出すスペインに、イギリスは硬直している。

「人見知りなんやな。かわええなぁ。ほら、親分が食べさせたるわ。あ~ん」
ケーキを刺したフォークを口元に差し出され、イギリスは目線でフランスに助けを求めるが、
「お前…イギリスの事嫌ってたんだけど?」
とフランスが言っても
「何言うてんの、この腐れヒゲ男はっ!親分こんなかわええ子嫌うわけないやんっ。
何企んどるん?」
と、ポキポキ指を鳴らすので、一同追求するのをやめた。

「そういえば…あいつペドだしな…」
仕方なしに自分の隣に避難して来たフランスに、プロイセンがボソボソっとつぶやく。
「あ~そういえば…昔々坊ちゃんがまだちっちゃくて俺ん家に居た頃はあいつ坊ちゃんの事追い回してたわ。
何度もクレクレ言われてたし…。」
「顔だけなら…童顔だしペド心そそるよな…」

二人揃ってそんな会話の合間にチラチラと緊張のあまり泣きそうなイギリスに視線を向けた。

「あの…フランス……」
「なあに?坊ちゃん」
オズオズと呼ぶイギリスにニコリと応えるだけで、スペインに物凄い目で睨まれる。

「俺…そろそろ帰るから…向こうで夕食の買物してえし…店が閉まらないうちに…」
本当は夕食まで食べて行く予定だったのだが、この緊張感に耐えられない。
フランスの美味しい夕食が食べられないのは残念だが、早々に帰宅しようとイギリスが申し出ると、
「ああ、そうやな。帰ろうか~」
と、当たり前にスペインが立ち上がる。

「あ…お前も帰るのか?」
ようやくこの異様な状況から開放される…と、ホッとした顔をしたイギリスだが、続いてスペインが
「自分帰るんやろ?今日は親分がめっちゃ美味いモン作ったるわ」
と、良い笑顔で宣言した瞬間、卒倒しそうになった。

スペインは元々フリーダムな人間だったが、記憶を失ってさらにその傾向が加速したらしい。

なんでそうなる?と、突発事項に弱いイギリスが硬直する中、フランスとプロイセンがツッコミを入れてくれたが、スペインは当たり前に
「やって、親分なんも憶えてへんし…家一人で帰っても困るしつまらんやん。」
と断言する。

「いや、それならお兄さんが泊めてあげるからさ…」
「つまんねえならうち来れば犬もいるぞ?」
と、フランスとプロイセンがそれぞれ言うが、スペインは
「ヒゲ男や犬よりは、この子と一緒にいたいねん。」
と、ガバっとイギリスを抱き寄せて離す気配がない。

「え?でも急に言われても坊ちゃんも困るでしょっ」
とフランスはそれでもさらに食い下がってやるが、
「あ~、気ぃ使わんでもええで~。別に客間とか用意できひんかったらソファでもええしな。料理は親分得意やから作ったるし。ええやろ?」
と、すごい良い笑顔でスペインに言われると、押しに弱い上、他人にそんな好意的な態度を取られる事が少ないイギリスにはNoと言えなかった。

こうしてスペインに引きずられるように帰国したイギリスは、さらに引きずられるようにマーケットに夕飯の買物をしに行く事になったのである。



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