露天は外鍵と内鍵がついていて、外鍵は貸し出し用が2セット。
露天に向かう前に母屋で借りて、帰ってきたら返す。
なので部外者が露天に入る事はできない。
そして内鍵は文字通り内側からの鍵なので、現在使用中だと早めに行って外鍵を使っても内鍵でロックされているため入れないという仕組みだ。
「結構…遠いよね。足場も悪いし、夜なんてめっちゃ歩きにくそう」
もう景色なんてどうでも良いユート。
確かに道は細い木でできていて二人並んで歩くのがやっとな上に曲がりくねっているので歩きにくい。
「ん~これだけ広いと安全管理どうなってんだろうな。部外者でも忍び込めそうな気がする」
と、こちらも景観をそっちのけな様子のコウ。
確かに…母屋から奥、離れのある中庭は全体を塀がおおっているものの、母屋より手前に外庭はその気になれば部外者でも簡単に入り込めそうだ。
もっとも四方を山でかこまれているため、山を越えてこなければいけないので大変なのは大変そうだが…。
「小川…水綺麗ですよね~、…冷たっ」
フロウは道沿いに流れてる小川に少し指先をつけて、あわててひっこめる。
「馬鹿…風邪ひくだろ」
コウは自分のハンカチでその指を拭いてやると、指先を包むように手を握った。
「なんか…山に囲まれてて木と小川と空しか見えなくて建物も全然なくて、ホントに旅行してるって感じですよねぇ♪ほら、ひな菊とかも咲いてます~♪」
楽しげにその手を大きく振りながら、可愛い声でメロディを口ずさむフロウに、コウがちょっと微笑む。
いつでも楽しそうなその可愛い少女の様子が、物理的なものにしか目がいかないコウにも景色が綺麗な事を気付かせてくれる。
フロウがいなくなったら自分にとって世界というのは…おそらく白と黒の無機的な味気ないものになるだろうとコウは思った。
彼女がいるから世界は幸せで明るくて楽しい。
フロウがそこにいるだけで、ただ状況把握しながら危険そうな場所をチェックしていた道のりが本当に楽しむために散歩している遊歩道になるから不思議だ。
そんな風に散歩を楽しみ始めたコウとは対照的に、ユートにとっては相変わらずただの長い道のりだ。
コウ達がいなければ少し道を外れて外でできたかも…でも寒いかぁ…などと、浴衣のため普段とはちょっと違って色っぽく見えるアオイの襟裳をチラチラ見ながら妄想にふけっている。
ここで出来ないなら早く露天について、早く入って早く上がってもらって帰りたいなぁというのが本音だ。
それでもまあ…賢明なユートはアオイにリラックスしてもらわない限りは上手くいかないのはわかるわけで…コウと同じく彼女の手を取りながら、長い道のりを表面上は楽しげに歩く。
そして露天に到着。
「じゃあ行ってきま~す」
と、露天へ消える女性陣。
コウは待ってる人間のために用意された風よけの小屋にある椅子に座ると、準備良く持参した魔法瓶に入れたお茶を紙コップに注いでユートに渡す。
「サンキュ~、準備いいなぁ」
と感心するユート。
「ん~、優香さんが露天遠いって言ってたからな。女性陣入る時は不用心だし、どうせこうなると思ったからな。」
それだけの情報でここまで気が回るというのもコウならではだと、ユートは思う。
波の音と露天に入る女性陣の楽しげな笑い声だけが聞こえる。
手持ち無沙汰だ…。
ユートはふと思い出して話始める。
「コウ…俺前回さ、夜にアオイが幽霊みたとか騒ぎになったし、落ち着かないだろうなと思って翌日に持ちこそうとしたら、いきなり殺人事件で帰る事になって、結局できなかったんだけどさ…ヘタレ?」
少し肩を落とすユートに、コウは
「…わからん。でもそんなもんじゃないか?お互い初なら余計にそんな落ち着かない状態じゃ無理だろ。」
とまたお茶をすする。
「でも…コウはそういう挫折してないだろ?」
ユートがチラリとコウの表情を伺うように視線を送ると、コウはあっさり
「してないから、挫折もまだないな。」
と言う。
「ええ??!!」
驚くユートにコウは肩をすくめた。
「言っただろ。今万が一子供でもできてもまだ籍入れられんから。
避妊ていうのはどれも100%じゃないし、中絶は論外。
かといって自分の都合で子供の一生に関わるようなハンデ与えるのはやっぱり気がひけるしな。
もちろん優香さんが言う様にそれが全てを決めるわけじゃないけど、ハンデはなければ無い方がいい。
男ならまあ…自分の人生は自分で切り開けって放り出す気にもなるんだが、姫に似た女の子とかだったら絶対に後悔する気がするから。
女にも性欲ってあるらしいけど、姫は今の時点であんまりそういうのなさそうだし、俺の問題だけなら俺がしばらく我慢した方がいい。」
コウらしいと言えばこれ以上なくコウらしいわけだが…自分にはとてもそんな選択はできないと思う。
たぶん…コウは自分のような事で悩まないのだろう。
まだしてないとか、できないとかいうのを格好悪いとかも思わない。
焦る事もなく、流される事もなく、常に自分の信念に従って行動している。
そして…たぶん何より彼女を大切に思っているんだろうなと思う。
「コウの話聞いてるとさ…俺すごい自分が自己中で馬鹿などうしようもない人間な気がしてくんだけど…」
アオイの事を考えてないわけじゃない…つもりなんだが…はたして自分はちゃんとアオイの気持ちを大切にしているんだろうか…。
「ん~ユートは考えてると思うぞ。しかも…頭いいからな。
俺より相手が望んでる事を的確に汲み取れる分、相手の為になる事できてると思う。」
「でもさ…俺そこまでアオイの事考えて、”やらない”って選択なかったし、今もないんだけど…」
もう…このまま何もしないで帰るなんて、コウの話を聞いてもやっぱり考えられない。
しかし、それに対してコウは非難するでもなく呆れるでもなく、ただ小さく笑った。
「あ~それは…普通じゃないか?普通はそこまで悲観的に考えんと思う」
「自分で…悲観的だからって思ってるんだ?」
ユートの問いに、コウは
「普通にさ、家族と友人に囲まれて育って来たユートにはさ、わからんかもだけどな」
と苦笑する。
「俺にとって…例えば死ぬって事は特別な事じゃなくて…常に身近にあった事なのな。
物心ついた頃には母親死んでたし…父親の職業柄、死について聞く事も多かったしな。
生が必ずしも幸福で死が必ずしも不幸とは限らないけど、自分にとって必要だっただろう人間が、自分が物心ついた時には死んでるって場合の死っていうのはまぎれもない不幸だろ?
んで…誰かにとって必要だった人間が殺されて不幸に死を迎えた話とか聞いて育つと、死ぬとかそういうレベルの不幸が、自分の身の回りだけ絶対に起こらないなんて確信が持てなくなるんだよな。
今は俺の人生の中ではありえないくらい幸福に囲まれてると思うんだけど、突然不幸が訪れてそれを奪って行かないっていう自信がない。
で、今の俺の幸福とかって完全に姫に支えられてるからさ。
姫をなくしてあの一人の生活に戻るのがめちゃくちゃ怖い。
だから姫の周りからは不幸の要因になるものを全て排除したいし、自分がその元を作るなんて論外。
ユートはアオイ以外にも普通に家族も友人もいるけど…俺は何もないからな…」
最近…妙に落ち着いて来たから忘れていたが、そう言えばコウの孤独な生い立ちを知ってからまだ4ヶ月。
人間なんてそんな短期間に早々変われるものでもない。
「なあ…確かに姫には敵わんし家族ではないけどさ…」
しばらく黙って話を聞いてたユートはそこで口を開いた。
コウはその声にちょっと視線をユートに向ける。
「忘れんなよ、何もなくはないぞ。もう友人はいるだろうがっ。
自慢じゃないが…俺はこんななさけない話、親友以外にはしないぞ。一応見栄っぱりなんだからなっ。」
ボソボソっと言うユートの言葉にコウは
「そうだったな。」
と破顔した。
0 件のコメント :
コメントを投稿