温泉旅行殺人事件アンアサ 前編_7

「どうしよう…俺のせいだ」
離れに入るなり泣き崩れるアーサー。
「俺が草履なんて履き換えにいったから…」
「ちゃうよ、あーちゃんのせいちゃう。そもそも浴衣着せたんも草履はかせたんも俺やしな。
それにフランとギルちゃんは殺しても死なへん奴らやから大丈夫やで。」

根拠はないわけだが…アントーニョにはなんとなく確信があった。
あいつらは殺そうと思って殺せるような奴らじゃない。
悪友ならではの信頼…のようなものだろうか。

「そんなんわかんないだろっ」
「わかるんやて」
「だって殺人事件起こってんだぞ、もう!何か見てたら絶対に殺されてる」
「せやから…大丈夫やて」
「でもっ…」
「大丈夫。どうせすぐケロッと帰ってくるんやから心配せんでええで。」
畳の上でへたり込むアーサーを抱き寄せてトントンとなだめるように背を軽くたたく。

焦ってもしかたない。
結局今できる事は限られているのだ。
その最たるものがメンタルの弱いアーサーを落ち着かせることで…

「大丈夫やで、あーちゃん、大丈夫」
ポンポンと一定のリズムで背中を叩きながら、そう繰り返す。
「俺がなんとかしたるから、安心しぃ」
そういえば幼い頃は両親の帰りの遅い夜、こんな風に夜に怯えるベルを慰めた事があったなぁと思いだした。

穏やかに静かにそう繰り返すうちに、泣き声がだんだん小さくなってくる。
そのうち泣き疲れて眠ってしまったらしいアーサーを、よいしょっと抱き上げて、布団の引いてある続きの間へと連れていった。
そして布団に寝かせると、凶器になりそうなものがないかとあたりを見回す。
ぶっちゃけ…アントーニョは今誘拐されている二人より、滅入っている時のアーサーの方がよほど危ないと思っている。
自殺をはかりかねない。いや、実際未遂はあるわけだし…。

とりあえず周りに危なそうなものがない事を確認して一安心。
自分は何かあった時用におきてようと決め、そっと部屋を出ようとした瞬間、携帯がなった。

アントーニョはちらりとアーサーに目をやり、目を覚ましていない事を確認して隣室で通話ボタンを押した。

「もしもし?アントーニョ?アーサーちゃんは大丈夫?」
「おばちゃん…心配するとこちゃうんやない?」
誘拐されている自分の息子より先にアーサーを気遣うそのフランソワーズの第一声にアントーニョはさすがに気の毒になってそういうと、フランソワーズは
「だってあの子ああ見えて私に似て悪運強い子だから大丈夫な気がするのよ。それよりアーサーちゃんの方が打たれ弱そうだから…思い余って自殺でもしちゃうんじゃないかと思って…」
とあっけらかんと言う。

さすがに世界を股に掛けて活躍するデザイナー様の感覚は違う、と、その洞察力の鋭さにアントーニョは内心舌を巻いた。

「おばちゃん鋭いなぁ…。で?どこまで聞いとるん?」

おそらく警察から連絡が行ったのだろうと見当をつけて聞くと、
「ああ、今警察から連絡あってね、身代金用意してくれってことだったから振り込んどくから。あ、そそ、身代金ね今朝3時頃に宿に連絡入ったらしいわよ?5000万をルイヴィトンのスーツケースに入れて用意しろって。銀行開く9時には代理人に届けさせるから。警察の方には今後何かあったらアントーニョまで宜しくって言ってあるから、よろしくね♪」

「おばちゃん…俺さすがにフラン気の毒になってきたんやけど?」
と思わずアントーニョが言うと、これにもフランソワーズはあっさり
「身代金目的なら無事帰ってくるでしょ。犯人だってわざわざ人殺しなんて罪状増やしたくないでしょうしねっ。とにかく焦っても良い方向にはいかないと思うし、落ち着いて行動しなさいよっ」
という、なんとも楽観的にして頼もしい言葉が返ってきて通話が切れた。

まあ…確かにこれで3回目の殺人事件。
それもこの1年の間に起こった事と考えればすごい確率だ。
あまりに非常識な殺人事件遭遇率。もう現実味がなさすぎる。
探偵ものか何かの漫画の主人公並みのありえなさだ。
大抵そういう漫画では主人公の本当の周りは死なないわけで…なんとなく今回も死なない気がする。
この非常事態にそんな事を考えてしまっている自分が一番ありえないとは思うのだが…。

そんな事を考えていると、トントンと小さく離れの窓がノックされる。
「はい?」
と窓に駆け寄ると
澄花の夫、氷川雅之が立っている。

「確か…氷川さんの旦那さん?」
「ああ…電気がついていたものだから…話は聞いたよ。大丈夫かい?」
人のよさそうな顔が少しきづかわしげな表情になる。
「ええ、あ、良かったら寄ってきはりますか?」
と、言ってアントーニョはドアの方へと回って、雅之を中へとうながす。

アントーニョが備え付けのお茶を入れて出すと、雅之はありがとう、と、言って受け取り、室内が温かいからか着ていた羽織をぬぐ。
その時ちらりと胸元に光るペンダントが目に入った。
チェーンに通してある指輪。サイズ的には男物のようだから雅之のだろう。
結婚指輪なんだろうか…。
この年代だと指輪をするのが恥ずかしかったりするんだろうか?
いや、年代じゃないか…きっとアーサーも恥ずかしがるだろう。
でも来年の誕生日あたりには贈りたいなぁ、こうやってペンダントに一緒に通したらつけてくれるやろか…とアントーニョは秘かに思った。

そんな事を思いながら、
「せやけど、あんな事あった後になんで一人で外いはったんです?」
と聞いてみると、
「妻があれからまた事情聴取に呼ばれてね、一人でいても気になって眠れなかったんで外の空気吸ってたんだ」
と雅之は答えた。
「そういえば…彼女さんは?あ~ちゃん…だっけ?」
雅之の言葉に、ああ、誤解したままの澄花にきいたのかとアントーニョは笑いをこらえた。
まあ次に会うこともないだろうし、と、アントーニョはそのまま誤解させておく事にする。

「あ~、やっぱショック大きかったらしくて、泣いて泣いて泣き疲れて寝てもうたんですわ。ほんまメンタル弱い子やから。」
「ああ…確かに女の子にはね…ショック大きいだろうね。彼氏としてはしっかり守ってあげないとね。」
雅之の言葉にこれ以上つっこまれないようにと、アントーニョはそういえば、と話を変える。

「奥さんがあれからまた事情聴取というんは?」
いきなりふられて少し驚きつつも雅之は説明した。

「ああ、行きのバスの中のやりとりは覚えているとは思うが…妻は殺された小澤さんと昔つきあっていた事があってね。まあ小澤さんをここに呼び出したのも妻なんだ。
でもその呼び出し方にちょっと問題があって…あの時は他の人に聞かせる事でもないんで言わなかったんだが、実は妻が小澤さんと別れる原因になった浮気というのが妻の親友と小澤さんの浮気というのはその通りなんだが、その後、その親友はここからそう遠くない崖から投身自殺しててね…。
その自殺した親友の名前を使って小澤さんを呼び出したものだから。
彼女にしてみたらほんのいたずら心だったんだ。
元々彼女はなんていうか…そういう…まあ夫の口から言うのもなんだが常識はずれたところがあってね。
20年も前の事だし、今はこうして幸せに暮らしているし、その生活を崩すつもりなんて妻には全くないんだ。
ただ、妻としては、カッとなりやすい人間なんでその時親友をすごい勢いで罵って責めた事で親友が自殺してしまったと思ってて…謝罪したかったんだ、彼女に。
で、親友の自分よりも彼女が愛したであろう小澤さんにも花を手向けてあげて欲しいと呼び出そうと思ったわけなんだが…例の悪い癖が出て…。
妻的には本当に過去の事でもそんな呼び出し方したんで、警察の方でもね…色々と疑われたわけで…。」
本気で困ったものだよ…と、ため息をつく雅之に、悪いと思いつつなんとなくやらかしそうな澄花のキャラクタを思い出して、内心おかしく思うアントーニョ。

それよりそっちはどんな感じだい?と聞かれて
「もう大丈夫そうですわ。」
と、答える。
「さっき誘拐されたフランの親から電話があって…誘拐犯から身代金の要求がきたそうですわ。
で、身代金目的なら帰ってくる可能性はかなり高いちゃう?って。」

そんなアントーニョの言葉に雅之が少し驚いた様子で言う。
「身代金なんて即用意できる親御さんもすごいね。」
「ああ…フラン家はお金持ちなんですわ。」
「なるほど。でももう一人の子は?」
「あ~…一緒に誘拐されてるなら一人返して一人だけ残しておく意味なんてないんちゃいます?
そのくらいならせいぜいギルの分も2倍身代金要求するくらいやないんですか?
まあ…要求されたら普通にギルの分も出すと思います、フランの母ちゃん。その辺りは詳しくは聞いてへんけど…まあ生きている人間を連れて逃げ続けるなんてめんどいですやん。かといって殺したらさらに罪状重くなるし。一人返しておいて一人だけ意味無く殺す馬鹿はいないんやないかと…」
と、淡々と説明する。
「そ…そうだよね」
あまりに慣れた様子で普通に淡々と言うアントーニョに少し雅之は引いている模様。
よもやアントーニョ達がこれで巻き込まれた殺人事件3回目だとは想像だにしていない。


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