ネバーランドの悪魔2章_3

輪廻の輪に身を投じた者


数百年も昔の事だ……。

世の欲に惑わされることなく、神を信じ己の道を貫く神の騎士であれ…

それは北の国の人間なら誰しもが言われて育つ言葉だ。
北の国を代表する王子であるギルベルトは当然それを繰り返し言われて育っている。

ゆえに、自分が辿り着くまで自国の者さえ幼い病人が虐げられているのに何もせず手をこまねいていたのは、許されざる罪悪だった。

もちろん相手が他国の王族で、その当事国が手を出すなと言うのに手を出したら国際問題に発展しかねない。
下手すれば戦争だ。

しかし人の欲と神の良識…それを天秤にかけたらどちらを優先すべきかは自ずからハッキリしてくる。

その場にいる大人達はそれを望まなかったが、北の国の王子であるギルベルトに手をかけることはその誰しもが出来なかったので、ギルベルトは子どもの病室へと入っていった。

最初は応急処置だけして頂上への旅を続けるつもりだったが、高熱で伏せっているにも関わらずストーブの火さえつけられない寒い部屋で薄い毛布一枚で放置されて衰弱しきっている子どもを一目みた時、ギルベルトは土地獲得レースを放棄することを決めた。

確かに最初に頂上にたどり着いて豊かな土地の権利を得る事は王族としては大切な責務だ。
しかしそれと理不尽な大人の欲で死にかけている子どもの救済とどちらが神に仕える騎士の国の人間として大切かは明らかだ。

ギルベルトがその旨を自国の家臣達に告げても、誰も反対はしなかった。
彼らとて国際問題という壁の前に、何も出来ずにいた事を心苦しく思っていたのだ。


自らが傍らに付き添うことにして、ギルベルトが家臣に集めてくるのを命じたのは解熱の薬草ではない。
意識を紛らわし幻を見せる…いわゆる麻薬と呼ばれるものだ。

もちろんそれは通常使ってはならない薬だが、北の国では唯一、確実に死に向かっている者の苦痛を和らげる用途としては、使用を許可されている。

そして目の前の子どもはまさに、その、“確実に死に向かっている者”だった。


「…トーニョ…?戻って来たのか……。駄目だ…頂上目指せよ……」
ギルベルトが子どもの熱い額に手を当てると、子どもは目をつぶったまま小さな手でソッとギルベルトの手をにぎると、ゆっくりと額から外した。

ヒューヒューと苦しげな呼吸の下で、そういう子どもの言葉にギルベルトは少し迷って、もう一度その額に自分の冷たい手を置いて冷やしてやる。

「大丈夫だ…。南の王子なら頂上を目指してる。もう少し待ってな。きっと吉報を持って戻ってくるから。」

この中継地点までの相棒だった東の王子には、南の王子に一応事情を話して戻れるなら戻ってきてくれるようにと伝言を頼んだ。

それまで持つといいのだが…こんなに小さいと衰弱するのもあっという間だ。

見る見る間に弱っていく子どもを前に何も出来ず、ただその苦痛が少しでも和らぐようにと薬を使うと、苦しそうな呼吸ながらも、子どもはニコリと笑った。

「…ごめん…な…。お前の国に…行けそうにないや…。
…約束通り…一足先に…北の国で…待ってるから…。
お前が…遅くたって…絶対に…待っててやる……から…お前は…ゆっくり…来いよ…」

伝えたい相手は別の人間…南の国の王子だったのだろう…。
それでも相手がそばにいると信じて、最期に幸せそうな笑みを浮かべて子どもは旅だった。

そして、その後…戻ってきた南の国の王子の嘆きは深かった。
それこそ魔力を暴走させて自らの身と引換に世界のほとんどを滅ぼしてしまうほど…。

唯一子どもを看取った事に心を動かされて難を逃れた北の国。
世界を滅ぼす前に自国に飛ばされたギルベルトと家臣たちは、国境で世界が滅びるさまを呆然と見つめるしかなかった。

「俺は…人事を尽くしたんだろうか……」
ギルベルトはつぶやいた。

病気の小さな子ども連れでも南の王子は自分達より1日早く中継地点にたどり着いていた。
疲れたと渋る東の王子をせっついて、もう少し早く中継地点についていたら…あの子どもは死なず、南の王子が狂う事もなく、世界は滅びなかったかもしれない…。

それより何より、子どもが大事な相手に伝えるはずだった言葉を自分が受け取り、それを相手に届けないまま、相手も消えてしまった。

相手の魔力の暴走に呆然としていたりせず、あれを伝えていたら未来は違っていた?
考えても仕方のない考えが頭からずっと離れない。

城に帰ってからも、ちょうどあの子どもと同じ年頃の弟を見るたび、その思いは何度も頭をかけめぐる。

自分の判断の過ちが、世界を滅ぼしたのかもしれない…そんな考えがあまりに頻繁に頭に浮かび、耐えられなくなった。

国の周囲全体に結界を張るため…国のため…と、ギルベルトは自らの死を正当化した。
そうせずにはいられなかった。

実際はそこまでしなくても結界は張れたのだが、そこまでの犠牲を伴うほどの強力な結界を張って、ギルベルトは一度死を迎えた。


…が、神はそんなしもべを許さなかったらしい。

ギルベルトは記憶を持って罪悪感を胸に生まれ変わり、何故かその近くには必ずと言っていい程、あの子どもがいる…。

何度もそれを繰り返すうち、ギルベルトは消えたあの王子の代わりにこの子どもを守ることが、神から罪ある自分に課せられた責務なのだと思うようになった。

あの南の王子はどうなったのだろうか…彼に言葉を伝えられたら…もしくはこの子を引き渡せたなら、自分のこの永遠とも思える責務は終わるのだろうか……

元々騎士の国なので、誰かを守るということが苦痛と言うことは決してないのだが、罪悪感を抱えたまま、何を求められているのかもわからないまま、同じ状況を意味ありげに繰り返されるのはつらい…。

それでも二度同じ過ちを繰り返すわけには行かない。

“彼”に引き渡すまでは、子どもは守り続けなければならないのだ。



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