祈り
こうして7月1日が過ぎ…7月2日が過ぎ…7月3日にはイギリスは完全にベッドから起きられなくなった。
それでもスペインの餌だけはと思ったらしく、起きられるうちに皿と餌をベッド横のテーブルの上に用意している。
(親分の餌なんか放っておき。自分もう二日もなんも口にしてへんやん)
夜…震える手でそれでもスペインの餌を皿に移すイギリスにスペインは泣きたくなる。
せめて水だけでも飲んでくれ…と思うものの、伝える術すら相変わらずない。
スペインの餌を用意すると、力尽きたようにベッドに倒れ込むイギリス。
せめて体温を…と寄りそうスペインの耳に入るのは苦しげな喘鳴だけ。
これは天罰だ…とスペインは思う。
やめる時も健やかなる時も添い遂げると誓った大切だったはずの相手を裏切り傷つけたのはスペインの方だ。
神は愛しい大切な相手が悲しんで苦しんで衰弱して死んでいく様子を間近で成す術もなく見ている事しかできない…そんな状況に自分を置く事でその罪を罰してるのだ…と、そんな事を思いながら、スペインは心臓を握りつぶされるような気持ちで目の前の最愛の伴侶を見つめている。
あの…世界会議の前日の悪夢はこの前兆だったんだろうか…
この子の心に剣を突き立て、ずたずたに切り裂いたのはスペイン自身だと…そうわからせるための……
そんなん…ひどいやん……
とスペインは心の中で泣く。
だって悪いのは自分なのだ。
なのに何故この子が苦しまないとならない?
罰するなら自分を痛めつけてくれればいい…
悲しくて悲しくて…何も出来ない自分がもどかしくて悔しくて、スペインはどんどん血の気を失っていくイギリスの頬を舐め続ける。
くぅ~ん…と思わず漏れる鳴き声に、最初の頃はうっすらと目を開けて頭を撫でてくれていたイギリスは、次第に力を失って、手を動かす事も辛くなってきたのか、少し目を開いて微笑むだけになり、やがてそれさえもなくなった。
――1人で消えて行くのも仕方ないけど、やっぱり寂しいから…。
最初の日…イギリスが言っていた言葉がクルクル回る。
まさか今回自分が子犬となってこうしている事になったのは、イギリスを看取るためだったのか?
(そんなん嫌やっ!!)
くぅ~ん、くぅ~んとスペインの鳴き声が静かな部屋にこだまする。
カチカチと古い置時計の音。
時計の長針が12の場所でカチリと短針と重なった。
時が7月4日に足を踏み入れたその瞬間…
ゼイゼイと呼吸をしていた唇からゲホゲホと酷い咳込みの音が始まる。
(イングラテラ、イングラテラ、大丈夫かっ?!!)
成す術もなく鳴くスペインの目の前で、血の気を失くした唇から大量の血が吐き出された時点で、もうスペインの心は限界を告げた。
横向きに眠っていたイギリスが吐き出した血が真っ白なシーツを赤く赤く染めていく。
もちろんすぐ側にいたスペインも…。
充満する血の匂い。
血にまみれた自分にスペインはあの悪夢を思い出した。
血に染まって崩れ落ちる白い身体…
光となって消えていった大切な花嫁…
(神様、神様、お願いや。この子を助けてっ!この子を助けさせてっ!
俺の命と引き換えにしてもかまへんからっ!
もう絶対に誓いを破ったりせえへんっ。大事に大事に、何より大事にするからっ!!
この子を連れて行かんといてっ!!)
張り裂けそうな心が叫ぶ。
きゃうんっ!!…と悲痛な子犬の一声…
「イングラテラっ!!!」
と、その時久々に聞いた気がする声。
自分の声なのに久々に聞くと言うのも不思議な気分だ。
一瞬で変わる視界。
すぐ目の前で見ていた小さな顔が下の方に見える。
そんな状況の変化に戸惑う暇もなく、スペインはテーブルの上に放り出してあったタオルでイギリスの口元の血を拭くと、
「ちょっと待っといてな、すぐ戻ってくるから絶対に待っといてっ」
と、聞こえていないかもしれないが声をかけて、スペインはキッチンへとダッシュした。
そして冷蔵庫からミネラルウォータを1本ひったくるように取ると、急いで寝室に戻る。
そうしてベッドに駆け寄ると、小さな口元に手。
そこからかすかに空気の流れがある事にホッとする。
が、同時に触れた唇のかさつきに心が痛んだ。
飲まず食わずで二日間。
人間なら脱水症状を起こしているところだろう。
スペインは手にしたミネラルウォータを開けていったんテーブルに置くと、イギリスの背の下に手を入れて、いつもよりさらに細くやせてしまったイギリスの身体を抱き起こした。
そうしておいて
「…イングラテラ…飲み込んだってな?」
と言うとテーブルの上の水を一口自分の口に含み、イギリスのかすかに開いた小さな唇から水を流し込む。
祈るような気持ちで少しずつ少しずつ流しこんだ水はイギリスの口の中に消えていき、口の中からすっかりと水がなくなって唇を離した瞬間、青白い瞼がゆっくりと開いた。
……えす…ぱーにゃ?
まだ覚醒しきっていないような定まらぬ視線。
それでもそろそろと伸ばされる白い手をスペインはしっかりとつかんだ。
…おん、親分やで。
と答えてやると、ふわりと浮かべる消え入りそうな笑みに、ズキンと胸が痛んだ。
…迎えに…来てくれたんだな……
その言葉はきっと、あの時イングランドが何よりも言いたかった言葉だっただろう。
そして…自分がこの子の愛情を疑ったりせずに手を伸ばせばきっと出ていた言葉…。
…おん。一緒に帰ろう。親分のとこへ戻っておいで
今度こそ本当に…と、そう言ってぎゅうっと抱き締めれば、細い手がアントーニョの背に回され、頭を抱え込んだ胸元がじんわりと温かい液体で濡らされた。
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