SIDE＿E
何がどうなっているのかわからない…。
ただの世界会議のはずだった。
夏の日本。
例によって東京は暑いから嫌だというアメリカの我儘から、日本の避暑地、信州の旅館で行われる事になった世界会議。
二人部屋でいきなりスペインと同室になることになった。
ずっと…それこそ1000年来の片思いの相手だが数百年単位で嫌われている自信がある相手。
嬉しいけど辛いと思った。
どうしようと焦った。
ところが………
一昨日までは嫌われていると信じていたのに、昨日とりあえず体調を崩している間は保護してやっても良いと言う程度には嫌われていないらしい事を知った…。
今日昼頃には好きだと告白された。
そして…夕方…つい数時間前…
この年になって性交どころかマウス・トゥ・マウスのキスすらしたことがないとバレた。
それでもう引かれたかと思ったら…何故かキスされた。
実に嬉しそうに
『これがファーストキスやんな？』
と…そう、引くどころか満面の笑みでそう言われて、その後
『キスも…この先の事も、親分以外とは絶対したらあかんよ？』
と言われたかと思ったら……スペインいわくの“この先のこと”をされたわけで……。
慣れてないと痛いものだと本では読んだわけなのだが、スペインに優しく甘くグズグズに蕩けさせられて、気持ちよさにわけがわからなくなった上に意識を飛ばしたらしい。
気がついたらちゃんと身を清められた上で布団に寝かされていた。
そして今…現在進行形でその程よく筋肉のついた褐色の腕の中に抱え込まれている。
『イギリス…堪忍な。身体大丈夫か？』
日に焼けた精悍で…そのくせ甘いマスクがすぐ側にあった。
綺麗な黒い眉を少し心配そうに寄せて、イギリスのものより少し濃い緑色の瞳が気遣わしげにイギリスの目を覗きこむ。
初めて出会ってからずっと片思いをしていた相手に至近距離で見つめられて、顔から火が出そうだった。
恥ずかしさのあまり思わず答えもせずにフイっとソッポをむいてしまったが、スペインは気を悪くする様子もなく、
『1000年もずっと想い続けてた自分の全部が俺のモンになるなんて、思ってもみぃひんかったわ。
親分めっちゃ嬉しいわぁ…。夢みたいや。』
と、行為の最中泣き続けて腫れぼったくなった目元に唇を寄せてきた。
ありえない。お前バカだろ？と言いたい。
夢みたいなのは俺の方だっ…というか、これ夢だろっと思う。
ああ、そうだ…きっとこれは想いが募りすぎて見た夢なんだ…。
どんだけスペインが好きなんだ、自分。
それにしたってこの夢はないだろう、都合良すぎる。
髪をなでる優しく温かい手の感触に嗚咽がこみあげた。
『…イギリス、もしかして嫌やった？親分強引すぎたか？』
泣き続けていると優しい声に心配そうに聞かれて、嗚咽で言葉になりそうにないので首を横に振る。
いい歳をした男がポロポロ泣いてさぞや見苦しいだろうと思うのだが、スペインは不快な様子も見せずに優しく笑って
『大丈夫やで。親分絶対に自分以外に心動かしたりせえへんからな？』
と言った。
このあたりの出来すぎさで、ああ、これは夢なんだな…と再度思う。
自分の欲求が見せた都合の良い夢……。
そう思って納得しようとすると、今度は
『それよかどこぞのヒゲや若造がイギリスに変なちょっかい出して来いひんかが親分心配やわ～。』
と、自分の想像の範囲外の話を出されて混乱する。
『嫌がらせのためならなんでもしそうやし…親分がおったら追っ払ったるけど、イギリス一人の時に絡まれたら親分に言いや？
変に騙されたり思いつめたりせんといてな？』
いや…愉快犯なフランスはとにかくアメリカはイギリスから構っていかない限りは近づいてくることもなければ構いたがりもしてこないだろう…と、イギリスは思った。
よくうっとおしいと言われるし、おそらく近づきたくないと思われている。
それでもアメリカはヒーローを目指していて根は優しいから、イギリスが一人で孤立していれば面倒くさいと思いつつも自分がなんとかしなければと思って来てくれはするが、他の人間がいるならそれ以上構ってはこないはずだ。
そんなイギリスの予想を裏切るように…スペインの予想を裏付けるように…
「お～い！開けてくれよっ！」
と、聞き慣れた声と共に旅館の薄いドアを乱暴にノックする音が聞こえた。
SIDE＿S
ついに手に入れた。
抱え込んだ自分の腕の中で子どものようにしゃくりを上げる想い人の愛らしさに、心の奥底からこみ上げてくるものを必死に堪えて、スペインは穏やかな様子を保ち続ける。
ああ、かわええ…この子は全部まるごと俺のもんになったんや…。
溢れ出る歓喜は決してマイナスの感情ではないものの、その激しい感情をそのままぶつけて、性交どころか口づけすら初めてで、ひどく動揺して不安げなイギリスを怯えさせたくはない。
穏やかになだめるように、優しく優しく髪をなでながら抱え込む。
愛しいと思っている気持ちが伝わるように…急激な変化が苦手なイギリスにストレスを与えないように…。
本当はもっと激しく力の限り掻き抱いて何度でも愛しあいたいところをなけなしの理性をかき集めてソッと壊れ物でも扱うように優しく一度で済ませたのはそのためだ。
これまではただ愛しく思うだけだった存在は、こうして手に入った瞬間、大事な大事な自分だけの宝物になった。
壊さないように…そして他に取られないように、大切にしまい込まなくてはならない。
そう…もう自分だけの宝物だ。
他が軽々しく手を触れるなど許さない…。
しかしそんなスペインの意志を逆撫でするように
「お～い！開けてくれよっ！」
と、聞き慣れた声と共に旅館の薄いドアを乱暴にノックする音が聞こえた。
（あのメタボには一度思い知らせとかんとあかんな…）
ギリリと奥歯をかみしめて一瞬たぎらせる殺気に、腕の中の愛しい宝物が一瞬ビクっとすくみあがる。
（ああ…あかん…）
スペインは慌てて殺気を押し込めて、イギリスに優しく微笑みかけた。
「ほんま…体調悪いとこに無理させてもうたから休ませてやりたいのに、ウルサイやっちゃな。大丈夫やで。親分がちゃんと話しつけてきたるから、ちょお待っとってな。」
そう言って頭をまた撫でると、イギリスはホッとした様子で力を抜いて少しはにかんだようにうなづく。
その様子のあまりの可愛らしさに内心悶えながらも、ガンガンと煩くドアを叩くのを無視していたらドアが壊れそうなので、スペインは内心舌打ちをしながら、ソッと抱え込んでいたイギリスの頭の下から腕を抜いた。
「…スペイン……」
そのまま身を起こして立ち上がったスペインの浴衣の裾がクンと引っ張られて、振り向くと、心細げに裾を掴んだまま見上げる大きく丸い澄んだペリドットの瞳が揺れる。
もう…なんやの…この子は……
スペインはその場にしゃがみこんだ。
なんでイギリスはこうも自分の心をピンポイントで射抜くような真似をするのだろうか。
可愛すぎて理性が遥か宇宙の彼方に飛んで行きそうだ。
そのまま愛を囁いて抱きしめてキスをして第二戦目に持ち込みたいところではあるが…実際に一瞬すべての状況が頭から吹っ飛んで手を伸ばしかけたが、そこでまた
「イギリス～！！開けるんだぞっ！！！」
と言う叫び声と共に激しくなるノックの音に遥か彼方に飛んでいった理性が舞い戻ってきた。
いや…理性とは言えないかもしれない。
戻ってきたのは激しい怒りと苛立ちで構成された何かだ。
「ちょお待っててな。すぐ黙らせて戻るさかいな」
と、ぎりぎり保った平常心でそう告げて自分の浴衣の裾からイギリスの手を外すと、
「ほんますぐ済ますからな。」
と、スペインは一度イギリスの頭を撫でて額にちゅっと口づけを落として立ち上がった。
こうしてスペインはイギリスのいる奥の間のふすまを閉じると、スッと表情を変える。
底知れぬ冷たい情熱…。
敵と定めたモノを排除しようとする時のスペインの苛烈さは、おそらく欧州一と言っても過言ではない。
平和な時代で丸くなった今では誰しもが記憶からなくしているが確かに存在する、いくつもの文明を容赦なく潰してきたスペインを構成する要素の一つ…。
ボキボキと指を鳴らしながらドアに近づき、一呼吸置き、相手の気配を探り、立ち位置に見当をつける。
そして、ドアを開けた瞬間……スッと体勢を低くし、
バキィッッ！！！
スネを渾身の力で蹴りあげた。
ドシャッ～～ン！！！
と、アメリカの巨体が体勢を崩して後ろの壁に身体を叩きつけられる。
そのままスペインは振り向きもせず、アメリカの隣の位置に立っていたフランスの頭をガシっと掴むと、アメリカが倒れている壁の隣にガンッ！押し付けた。
褐色の筋肉質な腕に浮かび上がる血管。
以前は戦斧を、今は鍬を握る肉厚の大きな手に掴まれたフランスの頭はミシミシときしんだ音を立てている。
「親分、イギリスが体調悪い言わんかったか？
自分ら…スペインブーツ履かされたいん？」
ニコリと…凍りつくような冷たく黒い笑みを浮かべてそう言うスペインに、即我に返ったのはフランスの方だ。
「ご、ごめんね。お兄さん気になって様子見に来ただけなんだけど…うん、大丈夫なら帰るねっ」
と、ドアを乱打していた張本人が茫然自失状態なので、慌ててフォローを入れる。
そこでスペインはとりあえずフランスの頭を離した。
フランスは慌てて即距離を取る。
「今回は痛いだけのスネのお仕置きですましたったけどな…次は…壊すで？」
スペインはそこでフランスは放置で激痛にまだ立ち上がれないでいるアメリカの横にかがみこむ。
そして笑みの形を作る口元とは対照的に全く笑っていないエメラルドグリーンの瞳でその顔を覗きこむと、そう告げた。
その背筋が凍りつくような低い声はまるで地獄の底から聞こえてくるような気すらする。
声すら出ず硬直するアメリカに興味が失せたのか、スペインは立ち上がるとフランスにニコっと微笑んだ。
「とりあえず…イギリスも疲れとるから今日は静かに放っておいたってな？
親分もスペインブーツ用意したり血の片付けしたりすんの面倒いから嫌やねんで？」
ごくごく普通のトーンに戻った声音で語られる内容は、やっぱり怖い。
「うん…お兄さんも中世の魔女狩り仕込みの拷問再現されるのは勘弁だわ」
フランスが引きつった…それでもなんとか笑みを作って答えると、じゃあそういうことでな…次は気をつけてなぁと、魔王が部屋に戻っていく。
パタンとドアが閉まった瞬間、力が抜けてその場にへたり込むフランス。
全身から冷や汗が吹き出した。
「…スペインブーツって…イギリスのスコーンみたいなもんかい？」
そこでようやく硬直が解けて失礼な事を聞いてくるアメリカに、フランスは力なく首を横に振った。
「中世の魔女狩りのための拷問道具だよ…。詳細聞くのはやめときなさい。お兄さんだって口にするのは身の毛がよだつし、お前は聞いたら夜一人で眠れなくなるから…」
明るいばかりのスペインしか知らないアメリカにとっては青天の霹靂かもしれないが、フランスは過去スペインの敵にたいする苛烈さ容赦の無さを見てきただけに、笑えない。
ああ…現役降臨している時点で正攻法で言ったら本気で殺された方がマシな目に合いそうだ……
「やっぱお兄さんは漁夫の利の人に戻るわ…」
いきなり思ってもなかった相手に本命を目の前で掻っ攫われて、理性を失いすぎていた。
愛の国ともあろうものが何をやっているんだか…と、フランスは自嘲した。
「俺はそんな卑怯な真似はしないんだぞっ！」
「うん、お前はお前で好きにすればいいよ、止めはしないから。」
廊下でこんなやりとりが交わされている間、部屋に戻ったスペインも次の手を考えている。
おそらくアメリカはともかくとして、フランスは絡め手を考えてくるに違いない。
力で踏み潰す方向では勝てても、そのあたりの感情の機微の扱いに置いて愛の国と真っ向から勝負するのはさすがに無謀だ。
「これは…味方作らなあかんなぁ…」
イギリスを取られる心配がなく、そのあたりに聡い相手……。
スペインは少し考えこんで、何度か迷った末に携帯の短縮に指を伸ばした。
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