迷い
部屋に帰ってもイギリスはカタカタと震えていた。
悪意を向けられる事には慣れているはずなのに、怖かった。
いや…怖いのは悪意を向けられる事ではない。
守ってもらえるかも…そう期待してしまうようになるのが、おそらく怖いのだ。
宿に着く前、山道に止めた車の中で、スペインはアメリカやフランスが何か言ってきたら自分が守ると言った。
そしていざアメリカがいつものような言い方をしてきた時感じた恐怖。
あの時はアメリカの言葉そのものに恐怖心を感じているものだと思っていたが、実はそうではないことにイギリスは気づいてしまった。
イギリスが恐怖を感じたのは、自分を守ると言った言葉をはたしてスペインが本当に実行してくれるかどうかに対してだったのだ。
信じて期待して裏切られる…そんなことをずっと繰り返してきた。
信じてはダメだ…期待してはダメだ…そう思いつつも、好意を向けられるとどうせ…と思いつつ相手に好意を持ってしまう。
こうして今までも十分癒えない傷を作り続けてきたが、今回のはあまりに危険だ。
なにしろ1000年単位でひそかに好意を持ち続けてきた相手なのだ。
裏切られた先にあるのは絶望と破滅…。
正気を保っていられる自信がない…。
「イギリス、イギリス?!大丈夫か?!苦しいんかっ?!」
呼吸ができなくなって見る見る蒼ざめていくイギリスに、スペイン自身も蒼ざめた。
「…っ…はな…れっ…」
不規則な呼吸の下でそう言って、抱きしめるスペインを押しのけようとするイギリスをスペインは
「あかんっ!」
と、さらに強く抱きしめてきた。
やはり長年発作を放置したため悪化しているのか…それとも今日は出かけずゆっくり休ませるべきだったのか…。
色々な考えがスペインの脳裏をグルグル回る。
「な、どうしたら楽になる?親分なんでもしたるから言い?」
少しでも呼吸の助けになればと苦しさに震える背中をさすってやりながらスペインが言うのに、イギリスはフルフルと弱々しく頭を横に振った。
「…こわい……」
小さな呟きをもらす様子にこんな時なのに胸がきゅんと締め付けられる。
まるで幼子のように泣きながら、怖い、怖いとただ繰り返すイギリスを、スペインは愛しさのまま抱きしめた。
「大丈夫やでっ…親分が守ったるから…なんも怖いことないで…」
ああ…なんて可愛らしい存在なのだろう。
庇護を必要とする…自分の手の中に保護して守ってやるべき存在…。
やっぱりこの子どもだったのだ…と、スペインは千年前に感じた確信をさらに強めた。
「親分が絶対に守ったるからな。ヒゲにも若造にも酷いことなんて言わさへん。自分を傷つけるもの全部から守ったるから、もう怖ないで」
守ってやる…そう繰り返すスペインに、その言葉はイギリスにとって諸刃のつるぎだという意識はおそらくないのだろう。
今この瞬間…スペインは確かにイギリスに対して騙そうという気持ちは持っていないのかもしれない。
本当に守ろうと思っているのかもしれない。
しかしそれがいつまでも続くかというと保証の限りではない。
「それで……俺を守られることに慣らさせて……殺すのか…?」
「何…言うてんの?親分が騙してる思うてるん?」
イギリスの言葉に少なからずショックを受けたスペインは、胸元にしっかりと抱え込んでいたイギリスの体を少し離して、その顔を覗き込む。
「なあ、ほんまにそう思うてるん?油断させて自分を手にかけようなんて…そんなこと考えてるように思うん?」
自分のほうが泣きそうな顔でそういうスペインに、そういう意味じゃない…と、イギリスは小さく首を横に振った。
理由を説明すれば、取り返しのつかない弱みをさらすことになる。
しかし今踵を返せば果たして取り返しがつくのか…と考えてみれば、そうも思えない。
「どちらにしても…もう…手遅れだな…俺はもう…だめになる…」
イギリスはそうつぶやいてスペインを引き離そうとしていた力を抜いた。
「…俺はたぶん…壊れて死ぬ…」
ああ、嫌だな…と思う。
せめて未来のことなど考えず、今この瞬間を楽しめばいいのに…。
わざわざその未来を自分の手で引き寄せてしまうなんて愚の骨頂だ。
「別に…今お前が…嘘をついてるとか…思ってないけど…」
呼吸が上手く出来ないため、それだけ言うのにもひどく体力を消耗する。
「お前がいつか…俺を嫌になった時…俺はきっと…耐えられない…。
きっと壊れて死ぬ…。」
本当に重くて辛気臭い…他人を憂鬱にさせる男…。
アメリカの言う通りだ…。
それでもこれが自分なのだ…。
せめてそれを上手に隠し続けることができれば、もう少しは幸せなままいられたのに。
そんなことをふと思いながらイギリスは絶望的な気分でスペインから離れようと力なくその胸板を押したが、いきなりすごい力で抱き寄せられて、眼を白黒させた。
「なんなん、それっ!!もうめっちゃ嬉しいわっ!!」
イギリスと対照的にバカみたいに明るい弾んだ声でスペインが言う。
「なあ、大事にするなっ?親分、自分のことめっちゃ大事にしたるっ。
そや、こっそり戸籍もろて結婚しよかっ?親分とこは同性婚できるんやで~っ」
ちゅっちゅっと頭上に降り注がれるキスの嵐。
わけがわからない…が、少し呼吸が楽になってきた気がした。
「お前…ちゃんと俺の話聞いてたか?」
「聞いてたで~!親分おらんくなったら死んでまうくらい好きいうことやんなっ?」
ああ…そこだけ理解してるのか…と、イギリスがため息をつくと、スペインは少しトーンを下げて、安心し、と、またイギリスの体を少し離して視線を合わせた。
「俺は一度完全に手にいれたモン手放すなんて事できる性格やないからな。
初めて自分を欲しい思った瞬間からなんで今まで待っとったと思うねん。
国同士で潰す潰さんやってるうちは、国情によっては一時的にでも手放さなあかんくなるやん。それに耐えられへんからや。
逆に言えば…一瞬でも手放して欲しい思う奴やあかんねん。
俺の全部の愛情くれたる代わりに、相手もそうしてくれなあかん。
それこそ死んだあとでもや。
国やから死ねへんかもしれんけど、俺が死んだら死んでまうくらいやないと嫌やねん。」
そこまで一気に言うと、スペインはいったん言葉を切って、ニコリと笑みを浮かべた。
「自分こそ…覚悟しいや?親分、自分の事めっちゃ大事にしたるけど、その分束縛も嫉妬もすごいからな?俺は浮気とか許さへんし、したら相手なぶり殺しにするで?ほんまは…過去遡って自分に手だした奴みんな殺してきたいくらいなんやから。」
急展開にイギリスはどう反応すればよいのかわからない。
脳みそがついていかない。
とにかく何か言わなければ…と思うものの、適切な言葉が出てこない。
「手なんか…出された事ねえよ。
そういう意味で俺を好きだなんて言う物好きはお前くらいだ…。」
なんとか言葉を拾っては答えられたのはそんな言葉で…そのイギリスの言葉はスペインを唖然とさせた。
「へ?自分…誰かに抱かれた事とかないん?」
「普通ねえよ。」
「いやいやいやいや…これだけ長く生きてきて昔やったら普通に…」
「だからっ!俺に対してそんなこと思う物好きはいねえっ!」
真っ赤になって言うイギリスは、惚れた欲目を抜いても可愛らしい。
なにしろ…あの愛の国が長年狙っていたくらいなのだ。
遥か昔、海の上で戦っていた頃、イギリスの海賊達がイギリスに向けている視線には確かに性的なものがちらほら伺えた。
そりゃあそうだ。むさくるしい海の男にまじって、少女とみまごうくらいに可愛らしい童顔色白おめめぱっちりの少年がいるのだ。
よく襲われなかったものだと感心する。
「ああ…そうか。自分、女王の夫って立場やったもんなぁ…」
そこではたと思い出すかの女王の姿。
自分は国家と結婚したのだ、と、言い切ったその女に、当時どれだけ嫉妬ではらわたが煮えくり返ったことか…。
しかしそのおかげでイギリスが男達に手を出されなかったと思えば、少しだけ感謝してやってもいい気がした。
まあ…ほんの少しだけだが…。
「まあ…立場上はな。」
イギリスはスペインの言葉を繰り返すが、少し自分と響きが違う気がして、スペインは聞き返した。
「立場上…だけやないんやないの?」
スペインの言葉にイギリスはなにを言っているんだ、こいつ、という顔をする。
「あのな…それこそ処女王ってのは立場上の事でな、エリザベスには影の恋人いっぱいいたんだぞ?そのどれとも立場上結婚するわけには行かないから、絶対にそういう関係にならない俺と結婚て話をしてるに決まってるじゃないか。」
「うあ~マジか。親分の嫉妬に苦しめられた数十年間、どないしてくれんねん!」
頭を抱えるスペインに、イギリスは、そんなの知るかっ、と口を尖らせる。
しかし…そこでスペインはハッとした。
「自分…もしかして男とも女ともしたことないん?全くのサラやの?!!」
正直…驚きすぎてスペイン自身、素でデリカシーという言葉が辞書から吹っ飛んでいた。
まさかまさかまさか???
期待しすぎて口から心臓が飛び出そうだ。
一方のイギリスはその身も蓋もない聞き方に真っ赤になって言葉に詰まり、次の瞬間…
「どうせ俺は嫌われ者だよっ!ばかあぁぁああああ!!!!!」
と、どこからその怪力が飛び出したのかと思うほどの力でスペインを突き飛ばすと、そのまますぐ横に敷いてあった布団の中に潜り込んだ。
恥ずかしさと情けなさと…そして不安で思い切り涙がこみ上げる。
1000年以上生きていて、男女問わず愛を寄せられた事がないなど、確かにありえない。
人など100年にも満たない月日の中で愛し愛される相手を見つけるのに…。
少女が恋愛に憧れて恋愛小説を読むがごとく、そういう写真集を見てたなどととても言えない。
というか…他人の前では恥ずかしいので読まなかったが、恋愛小説とてそういう本以上にイギリスは愛読していた。
自分には絶対に起こり得ない事…そんな長い間憧れていた事象が起きかけていたのに、ついうっかり口を滑らせたせいで、全てがおジャンだ。
ヒックヒックと布団の中でシャクリをあげていると、布団の上から抱え込むように包まれる。
「なあ…イギリス。もしかして自分、キスとかもしたことなかったりするん?」
トドメをさすように降ってくる言葉。
国民はキスが上手い国ナンバーワンなのに…と、またジワリと涙がこみあげてきた。
「……あかんわ…」
ひどく真剣な声音に、イギリスがついさっき言われたばかりの言葉の撤回を予感して硬直していると、いきなりガバっと抵抗するまもなく剥ぎ取られる布団。
そして腕を取られて引き寄せられ、いきなり顔が近づいてくる。
少女がごっこ遊びをするように、自分で鏡に口を押し当ててみた時の冷たく固い感触とは違う、温かく柔らかい感触。
呆然としているうちに、何かがヌルリとかすかに開いた唇の間から侵入してきて上顎と舐め、それから奥に縮こまっていたイギリスの舌を引き出して絡めとる。
そのままどうしていいかわからずにいるイギリスの口内を散々舌で味わい尽くして、スペインが唇を離した時には、息苦しさと緊張で涙目になったイギリスは、クタリと力をなくして引き寄せられるままスペインの肩に頭をあずけた。
その力の抜けたイギリスの頭を撫でながら、
「これファーストキスやんな?
イギリスの初めてぜ~んぶ手に入るなんて思わんかったわ~。
どないしよ~。めっちゃ幸せや~」
と、スペインは笑う。
何がこの男の幸せスイッチなのかよくわからない……
酸素不足で半分働かない頭で、イギリスはそんな事を思う。
それでも…どうやら今のままの自分が随分とこの男を喜ばせるらしい…それはわかった。
と、同時に、完全にここ2日ばかりイギリスを苦しませていた発作が完全に消えた気がする。
(男は最初の男になりたがり…女は最後の女になりたがる…とかあったっけ……)
ぼ~っとしたままそんな事を考えていると、
「キスも…この先の事も、親分以外とは絶対したらあかんよ?」
と、声が降ってくる。
「この先の…こと?」
力が抜けきった体でコテンと首をかしげると、スペインがキラキラした目で
「これから教えたるわ。」
と、良い笑顔を浮かべた。
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