イギリスさんの悪夢
イギリスを自宅に連れてきて4日ほどたった。
熱もだいぶ下がってきたし今日は風呂に入れてやろうか…。
スペインはそう決めて、うつらうつらしているイギリスが目を覚まさないうちに…と、風呂の準備をする。
身体を冷やさないようにバスタブに湯を張って、着替えとタオルを用意し、風呂あがりの水分補給用にレモンを少し垂らしたミネラルウォーターを冷蔵庫に用意する。
準備を完璧に終えてさあイギリスを起こそうと寝室に戻ったスペインは、青くなってベッドに駆け寄った。
「アーティーっ!どないしたんっ?!!」
ベッドの上で半身起こした状態で自分で自分を抱えるようにうずくまるイギリス。
真っ青になった顔にうっすら脂汗をかいている。
「どうしたんっ?!どっか苦しいん?!」
必死に問いかけるスペインの声も耳に入らないようで、不規則な呼吸を繰り返しながら震える手で胃のあたりを押さえ、次の瞬間グっと何か喉に詰まったような声を出したかと思うと、急に咳き込んで吐血した。
白いシーツに赤い染みが広がるのを見てスペインは悲鳴を上げる。
医者を…とか、病院に…とか、普通は思い浮かぶであろうそんな当たり前の事も思い浮かばず、とにかく目の前のイギリスが消えてしまわないように、しっかりとその身体を抱きしめた。
「…いやだ……」
血に染まったイギリスの小さな唇からそんな言葉が漏れるのにスペインが下を向くと、悲しいほど澄んだ大きなペリドットの瞳からポロポロと絶え間なく涙がこぼれているのに気づく。
胸がぎゅっと締め付けられるようなその光景に、すぐまた溢れるので無駄だとわかってはいるが指先で涙を拭い、出来るかぎりの優しい口調で
「何が嫌なん?親分に教えたって?
アーティーがそれで泣き止んでくれるんやったら、親分なんでもしたるで?」
と問いかけた。
その声にイギリスは初めてそこにスペインがいて自分を抱きしめていることに気づいたらしい。
「…お前も……」
蚊の鳴くような小さな声。
「ん?何?」
「…嫌うのか?」
「へ?」
「…嫌って…騙して…離れていくのか?」
長いまつげが揺れ、瞬きするたび、ポロポロと涙が血の気を失って透き通った白い頬を伝っていく様子が、痛々しく、愛らしく、気が狂いそうなほど愛おしい…。
「そんなわけないやん…。
世界中敵に回しても親分はアーティーの側におって守ったるから。
安心し?他が嫌いやったとしても、親分のアーティーに対する愛情だけで世界中の奴の愛情全部足したのと同じくらいはあるから大丈夫やで。
なあ…泣かんといて?」
ぎゅうっと腕の中に抱え込むように抱きしめると、おずおずと手が背中にまわされる。
「ある奴が…俺に死ねって矢を射掛けてくるんだ…。
他の奴は…優しくしてくれてたと思ったら、突然攻撃しかけてきた。
また別の奴は俺をうっとおしいって…。
そこらじゅうで火の手があがって、森も動物も悲鳴をあげてる…。
助けるために弓を取ると、どんどん敵が増えていくんだ…。
それでも弓をおけば、彼らは蹂躙されて…最後には消えていくしかなくて、俺は敵意と憎しみの中で押しつぶされそうになる…」
「夢や。それは悪い夢やから気にせんでええよ?」
ぽつりぽつりと語られる…おそらく夢にみたのだろう…今失っている記憶の断片。
少しずつ起こって少しずつ免疫がついてきたのであろうそれを、今目の前にいる、なんにも知らない真っ白な状態で一気に経験すれば、下手をすれば壊れてしまうかもしれない。
(そんなこと親分が絶対にさせへんからな。)
まだ世界が可能性に満ちていた時代…多くを手にし、手にした多くを自らの手で守っていた頃の、あの高揚感が蘇ってきた。
夢に満ちたあの時代…その全ての希望がここにあると言っても過言ではない。
「大丈夫やで~。親分が世界中の敵からアーティーをちゃんと守ったるからな?
ずっと親分の側におればええよ。」
そう言いながら頭をなでてやれば、未だ苦痛にこわばっていた身体から力が抜けて、コツンと頭が肩口に預けられる。
「…ごめん…色々汚した…。
今は自分の事もわからねえから何もできないけど…記憶早く取り戻してちゃんとお礼するな?」
おずおずとそう加えられる言葉にスペインは内心慌てて、それでも表面上は平静を保って言う。
「そんなん全然かまへんよ。
それより色々考えん方がええ。
記憶なんか戻らんでも、親分が全部ちゃんとしてやるさかい、無理したらあかん。
無くした記憶が戻らんかったら、これから新しい記憶作ればええねん。」
そう…いっそのこともうこのままここで自分との記憶だけ作って生きて行けばいいのだ…。
そう言えばフランスが言っていた。
イギリスは毎年アメリカの独立記念日近くになるとストレスで寝込んで吐血するらしい。
今のこの吐血がそれと同じたぐいのものであるとすれば、そこまでストレスを与える過去など捨ててしまえばいいのだ。
そこでぽっかり穴が空いてしまうなら、自分がそれを埋める幸せいっぱいの記憶を与えてやればいい。
(もう…いっそのことこのまま返さんでもええか~)
返したくない=返さないでもすむ…わけではない。
しかし非常に思い込みの激しいラテン男の脳内ではすでにそれがイコールで結ばれていた。
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