そしてそれだけたつと、自分たちを取り巻く事情もおぼろげにわかってくる。
確かに自分は疑いようもなく、偉い軍師様を狙う自軍の攻撃に巻き込まれたらしい。
まあ当たり前だ。
アーサー自身には何の価値もありはしないし、軍用機は普通あんな病院の真上を通ったりもしないし、ましてや都合よく病院の上になど落ちはしない。
ようは西ライン軍の宿敵、ギルベルト・バイルシュミットがアーサーの手術予定の日まで1週間、あの病院に泊まり込むとの情報がどこからか漏れ、しかし戦闘禁止の中立地帯なのでおおやけに攻撃は出来ない。
それなら事故として葬ってしまえというのが、ことの真相のようだ。
そんな風に完全巻き込まれなわけだから、元々は心の優しいギルベルトの事だ、かなり責任を感じているのだろう。
以前にもましてあり得ないほど優しい。
本当に風にも当てないくらいの勢いで大切にされている気がする。
――アルト…少しでも気分が悪くなったりしたら、すぐ言えよ?
忙しい仕事の合間を縫っては部屋に戻って来て心配そうに様子を見て行く日常。
まるでおとぎ話に出て来るような綺麗な部屋でふかふかのベッドで本のページをめくったり、気分の良い日は少し身を起こして刺繍を刺したり、日がな一日そんな風に過ごしながら大切に大切に扱われていると本当に現実を忘れそうになるが、ほんの時折り、ふと、それが飽くまでギルベルトの善意で保たれている事を思い出して考え込む。
自分のせいで…と思いこんでいるうちは、真面目なギルベルトの事だからアーサーを放りだしたりはしないだろうが、あまりにそれに甘えすぎては申し訳ない。
だからなるべく迷惑をかけないように…手間をかけないように…と、息をひそめてジッと過ごすようにしているのだが、それはそれで気を使わせてしまうらしい。
「…なあ、何か食いたいもんとか、欲しいもんとかないのか?遠慮すんなよ?」
と、あまりに繰り返されるので、母親が好きだったのでアーサーもなんとなく刺していた刺繍の道具を所望すると、今まで見たことがないくらい立派な針箱と刺繍の道具一式が届けられて今に至る。
それ以上はもう本気で思いつかない。
生活していくこと自体がやっとだったのだ。
娯楽にそんなに金をかける習慣はないし、食べ物だって高価なモノなど食べた事がない。
しかし本当にもう十分すぎるくらいなのだ…と、主張すると、少ししょぼんとされてしまって、申し訳ない気分になる。
そんな状態だから、少し気分が悪いな…くらいで手を煩わせるのは申し訳ないと黙っていた時には大騒ぎだった。
もうそれこそ普段は冷静なギルベルトが泣きそうな顔でずっと気付かなかった事を平謝りでアーサーもどうしていいか分からない状態になり、結局アントーニョの取りなしで今後少しでも体調が悪い気がしたら即報告ということで決着を見る事ができたのである。
それがアーサーのここ1カ月の日常だ。
そうだ、そう言えば、ギルベルトには悪友と名乗るアントーニョとフランシスと言う友人達がいる。
アントーニョとフランシス。
なかでもアントーニョは何かとアーサーの事に気をかけてくれる。
もう一人の悪友フランシスに言わせると、子どもが好きすぎる男…ペドだそうだ。
アーサーは17歳でもう子どもという年ではないと思うのだが、23歳のギルベルト、25歳のアントーニョとフランシスから見ると、十分子どもに見えるのだろうか…
ギルベルト同様に優しいを通り越して過保護で、やたらと子ども扱いをしてくる。
それに比べるとフランシスは優しいには優しいが一歩距離を置いた感じだ。
普通に親しい友人の知人くらいの距離感で、でもたまにとても美味しいお菓子を持ってきてくれるので嫌いではない。
アントーニョやギルベルトがいる場所ではふざけてベタベタ触ってこようとするが、2人だけになると3人の中では一番普通な感じがする。
今日も熱を出した日から絶対に午前と午後それぞれに様子を見に来るギルベルトが忙しすぎて戻れないからと様子を見ているように頼まれたらしく、手作りの菓子を土産に訪ねて来たのだが、ギルベルトやアントーニョのように熱をはかるところから始まってその後も甲斐甲斐しく世話を焼きまくるではなく、自分の分のついでにアーサーにもお茶を淹れてくれたあとは、雑誌を片手に世間話に興じている。
「まあ…ギルちゃんも過保護だよね。
前回の熱はびっくりはしたけど、別に一日中見張ってなくてもベべちゃんじゃないんだから、すぐ死んだりはしないと思うんだけど…」
という彼の言葉には本当に同意である。
なんだかオシャレ風味なファッション雑誌を片手に椅子の上でコーヒーを飲む姿は妙にさまになっていて、軍人というよりデザイナーとかモデルとか、カタカナの職業が似合いそうな男だな…などと思いながら、注目されすぎない気楽さで、アーサーも肩の力を抜いて
「…だよな、ギルも忙しそうだし…」
と、頷いた。
それに対してフランシスは少し考え込むように、ん~っと天井に視線を向け、まあね…と、カップを置いて長い髪を掻きあげる。
そんな仕草もいちいちオシャレ色満載だ。
しかし続いて
「最近ね、軍内部にスパイが入り込んでるって話があるのよ。
だから病気が心配って言うのもあるけど、そっちも心配なのかもねぇ。
ほら、一度ぼっちゃんのこと巻き込んじゃってるから…」
と、それも全く深い意味はなく言ったのであろうフランシスの言葉にアーサーはハッ!!と衝撃を受ける。
忘れていたが彼は一応そういう目的で西ライン軍に登録をされているのだ。
ス・パ・イ…そう、その3文字にアーサーは凍りついた。
だから
――スパイっ?!まさか俺の事か?!!!
と思うのは決して不思議なことではない。
そういう意味で言うなら、自覚は皆無だったが今アーサーはまさに草としてはここで活躍しないと嘘だろう、という状況にいるように思う。
そこでさらに
(よもや自分が意識していなかっただけで、草としての活動はもうすでに始まっているのか?)
とも思うが、確認しようにも例の事故のせいで携帯がない。
まさかこちらの軍のネットワークを使うわけにもいかない。
すぐバレる。
見る見る間に真っ青になったアーサーに、さすがにフランシスも慌てたらしい。
バササっと雑誌を放り出して、アーサーを横たわらせると、
「ちょ、大丈夫っ?!あのね、心配しなくてもここにそういう輩が来たりはしないからね?
士官以上の部屋のある宿舎の入り口は厳重に警護されてるからっ!」
と、言いながらナースコールに手を伸ばす。
まあ普通は心配するならそちらなのだろう。
しかし違う、違うのだ。
とりあえずアーサーはその手を阻止して、他に人がいる場では聞けない…しかし一番聞いておきたい点を確認する。
「…引き込んだ方は……?」
「え?」
とりあえずフランシスは阻止された時点で手をひっこめ、そしてアーサーの言葉に耳を傾けた。
「そのスパイや、スパイを引きこんだ人間はどうなるんだ?」
質問の意味を理解してもらえなかったようなので、アーサーが改めてそう問いただすと、フランシスはそれでも不思議そうに、そうねぇ…と、首を傾けた。
「スパイは普通に知ってる限りのあちら側の情報引き出して、そのあと軍事裁判?
被害の状況にもよるけど牢に拘束。良くて何かの恩赦で解放される事があるかもくらい?被害が甚大なら死刑もあるかもだけど…。
引き込んだ人間って言うのは?
故意に?それともわざと引き込んだって意味?」
「わざとじゃないっ!だってギルはっ……」
「ちょ、坊ちゃん、あんまり興奮しないでっ!」
単に人が良かっただけだ…と続けようとした言葉は声にならず、ピーピーと言う警告音に遮られた。
そこからはもう医師やらナースやらがバタバタと駆け込んできて、あちこちに管が取りつけられて行く。
少し薄れゆく視界の中で、フランシスが携帯で何か話しているのが見えた。
そこで力の入らない腕をなんとか伸ばして、そのジャケットの裾を掴む。
こちらに向く綺麗な青い瞳…
――…もし俺がスパイだったとしても…ギルのせいじゃ…ない……
なんとかそれだけ声を絞り出したあと、アーサーの意識は薄れて行った。
本当に…ただの善意で自分を助けてくれた相手になんと言う事をしてしまったのだろう…
もし自分の身分がバレたら、自分が捕まって処罰されるだけではすまないのだ…
そんな当たり前の事実に、アーサーは今更青くなる。
…アルト……
優しく呼んでくれる…実母以外では初めてアーサーに好意を向けてくれた相手…
どうしよう…どうしたらいい?
陥れたいわけじゃない…本当に陥れたくはない…それには……
薄れゆく意識の中でアーサーが最後に思ったのは、そんな後悔と願い…それだけだった。
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