その小さなカプセルを見つけてくれたのはアントーニョだった。
そしてそれは確かに自分が以前老人のために用意したもので…
恐ろしさに震えながらも一抹の期待を胸に自らが設定したナンバーを押すと、開く扉。
その中が空ではなかったことにギルベルトは心から安堵した。
この酷い惨状の中、それがなければ確実に辺り一面に散らばるすでに形を成さない遺体の中にあの子がいるということなのだから……
連絡を受けておよそ20分などという速さで駈けつけられたのは、ひとえにアントーニョのおかげである。
早くつけば希望はある…
普段の冷静な判断力など全て消え失せて、希望的観測だけがつまった頭からそんな楽天的発想が消えうせたのは、病院の上空に着いた時。
そこはまだ炎がたちこめた、まさに末期的な戦場のそれと変わらぬ惨状で、1人でいたら耐えきれず逃げだしていたかもしれない。
そこに大事な相手がいると思えば、そう思わずにはいられないほどには、それはショッキングな光景だったのだ。
震えて動かぬ足。
なんとかスペースを見つけて着陸したのは良いが、ギルベルトの体はピクリとも動いてくれず、しかし普段なら強引にでも蹴り飛ばしそうなアントーニョが珍しく無言で機から降りて、そして言った。
「ギルちゃんが無理やったら親分が確認したってもええけど…自分で見つけてやらな後悔すんで。
どんなにひどい状態かて、自分の目ぇで見つけて自分で埋めたらな…」
と、そこまで言って振り向いたアントーニョは飽くまでいつもの淡々とした表情だが、何かを考え込んでいるように視線はどこか遠くを見ている…と思ったら唐突に零す。
「高度おかしいて気づいてからどんくらい上空に居ったかわからんけど…たっかい金払うとるんやったら、即地下に誘導できるようなシステムなかったんかいな。
昨今はテロも流行っとるのに…」
と、それは正しくただの文句に過ぎなかったのだが、そこでギルベルトはようやく思い出した。
「あ…それだっ!」
と、いきなり動き出したギルベルトに不思議な視線を向けるアントーニョ。
「どないしてん?」
と、後ろから声をかけるも、ギルベルトは止まらない。
まっすぐに…おそらくアーサーの病室があったあたりへと駆け出していく。
そして足を止めてキョロキョロと辺りを見回した。
「どないしたん?何探しとるん?」
と、追いついたアントーニョを振り返ることなく、辺りに目を凝らしながらギルベルトは答える。
「シェルター…小型の携帯シェルターをあいつのベッドの下に設置しておいたんだ。
だからそれに入っててくれりゃあ……」
「それ、早く言いっ!それやったら輸送船が落下した角度からしたら、もおちょお東に流れとるかもしれへん。親分そっち探すわっ!」
このあたりは現場慣れしているアントーニョは話も行動も早い。
目を覆いたくなるような惨状も全く気にすることなく、瓦礫も遺体も飛び越えて東方面へと移動していく。
そこでそちらはアントーニョに任せることにして、ギルベルトは今いるあたりを探すことにした。
シェルターはアーサーのベッドの下にあったのだから、どちらにしてもシェルターが見つかれば入っていても入っていなくてもアーサーは見つかるだろう。
入っていなかったら…と思うと全身から血の気が引く思いがするが、今は考えまい。
そうしてどのくらい瓦礫をかきわけていたのだろうか、アントーニョが呼ぶ声がするので行ってみると、確かに足元に見覚えのあるカプセル型の携帯シェルターが。
幸いにしてそのすぐ側に遺体らしきものは見当たらず、その事に少し脳裏に希望が戻る。
はずみで少し離れたところに飛ばされた可能性が全くないとは言えないが、アーサーにはシェルターの存在は教えている。
入っていてくれていると信じたい。
ごくりと唾を飲み込んで、ギルベルトは炎で煤けたボタンにそっと手を伸ばす。
そして祈るような気持ちでボタンを押すと、開くドア。
中に垣間見えるのは黄色く丸い頭と細い身体。
…ああ…神様……
と、一気に緊張が解けていく。
「アルト……」
ペタンとその場に膝をついて、中を覗き込んで…しかしギルベルトは茫然と固まった。
「ギルちゃん?」
といぶかしげにかけられるアントーニョの声もその耳には届かない。
まだふっくらとした頬を伝わる涙の跡。
苦しげに寄せられた太すぎる眉。
おそるおそるその白い首筋に手を触れてみて、ギルベルトは一瞬状況が理解できなくなった。
確かに一度はともった希望の灯りが見る見る間にしぼんでいく。
そう、理解できないのではない、したくなかったが正しい。
「…アルト……アルト……」
他の言葉は忘れてしまったかのように、乾いた唇からはその言葉しか出てこない。
まだ温かい…なのにそこにはあるべき生命を示す動きがない…脈が感じられない……
目の前のアーサーは呼吸を止めていた。
軍のシェルターは小型ながらその性能は優秀だ。
防温は完璧で空気だって3時間は持つ。
もちろん衝撃だってある程度なら吸収してくれるはずである。
なのに何故?
そう考えてハッと思いあたる。
ああ…そうだ。
本当はもうすぐ手術するはずだった病んだ心臓…
シェルターは衝撃に耐えられても、その弱った心臓はそれに耐えられなかったのか……
丈夫なシェルターは体は守ってくれても、心までは守ってはくれなかったらしい。
そう思って見てみれば、苦しげな表情と涙の跡が改めて目に入ってくる。
どんなにか心細く恐ろしい思いを抱えたまま最期の時を過ごさせてしまったのだろうか…
そんな言い知れぬ悔恨が波となって押し寄せて来た。
…最悪だ……と思う。
全てギルベルト自身の行動のせいだ…あの時助けるまでは良いとして、せめて速やかに距離を取ってやっていれば…。
少しでも良い病院で良い治療をなどと言うのは結局言い訳なのだ。
金だけ渡して元の病院に運んでおけば、おそらく自分で転院するなりなんなり出来ただろうし、良い治療だって受けられただろう。
それをしなかった、させなかったのは、ギルベルトの我儘だ。
たぶん自分はアーサーと関わっていたかったのだろう…と、今更ながら思う。
ただ自分が守る事によって少年が健やかに回復して行く様子を眺めて実感していたかっただけだったのだ。
そんな事に気づいてしまえば、体から全ての熱が流れ出し、温かさを感じる全てが消えうせていく気がした。
寒い…なのに何故自分はまだ冷たい呼吸を繰り返しているのか…自分の体を確かに熱を持った血が巡っているのか…何故自分も凍りついたまま時を止めてしまう事ができないのか……
無意識に流れる涙は確かにギルベルトの生命がまだ続いている事をしっかり伝えるように温かい。
心はこんなに凍えきっているのに、温かいのだ……。
「…ごめ……たかった……守りたかった…だけだったんだ…。
ごめん…な……怖かったな……苦しかった…よな………ごめ……」
ぽつん…と、春先の雨のように温かい雫が流れ落ちる先の頬もまだ柔らかさを保ったまま……アルト、といつものように呼べば今にもはにかんだ笑みを浮かべそうに思えるのに、その心臓は鼓動を止め、肺は呼吸を止めている。
自責の念で泣き崩れるギルベルト。
だが、それを後ろからグイっと押しのけて、アントーニョはやや乱暴にその細い身体をシェルターから引き出して、脱いだ上着の上に寝かせた。
「泣いとる場合やないでっ!心肺停止してどのくらいやわからんけど、そう時間たっとらんみたいやしとりあえず蘇生や。
親分心臓マッサージするさかい、ギルちゃん人工呼吸な。
やり方わかっとるやんな?」
ゴン!と軽く握った拳でギルベルトの頭を軽く殴ると、アントーニョはそう言って自分もその前に膝まづく。
そのアントーニョの言動と行動にギルベルトはハッとした。
そうだ、絶望する前に、泣く前にまずやる事があるではないか…。
あがけ!あがいて、あがいて、あがいて、生き残ってきた実働部隊のアントーニョが今回の連れで良かったと思った。
慣れた様子で胸骨圧迫をちょうど30回行うアントーニョ。
その後、ギルベルトは人工呼吸を2回行い、さらにアントーニョが胸骨圧迫を30回。
それを数回行ったあと、ふいにピクリと身体が震えた。
そして奇跡は起きる…
ふわりと開く目。
まるで光の幕のように金色の瞼があがり、焦がれ続けた淡い新緑色の瞳が現れる。
ゆっくりと開く桜色の唇。
まるで凍えきった心に染みわたる春の日差しのように、優しく温かな何かがギルベルトの中に入り込んでくる。
…会いたかった……嬉しい……
胸に突き刺さるような染みいるような小さな声と笑み。
その希望の光に、ギルベルトは今度こそ神の前に膝まづき、感謝の念を伝えたい気分になった。
神様…神様…
彼自身を取り巻いてきた非常に実利的な現実とは裏腹に、彼自身には父親に見染められて連れ去られる前は神に仕える身であった実母の血と教えが流れている。
軍籍に身を置き、必ずしも褒められた方法ではない手段を使ってでも勝利を勝ち取ってきたにもかかわらず、やはり辛い時も嬉しい時も心の中では常にその存在を意識している自分がいるのをギルベルトは自覚していた。
だからこそのその言葉だったのだが、それに応えようとギルベルトが口を開く前に、また白い瞼がゆっくりと閉じていった。
一瞬それに焦るが、しかし今度は伸ばした鼻先から空気の流れを感じてホッとする。
意識を失っただけで、その生命活動が保たれている事を確認出来ればとりあえずは良い。
こうして全身から力が抜けて放心していると、少し複雑な顔をしたアントーニョが無線を手に回り込んできて、ギルベルトの顔を覗き込んだ。
「ルートが輸送船出してくれてるらしいで。
あと2時間ほどで着く言うから、戦闘機の場所まで移動や。
で、その間に敵さんが出たら、人数によってはギルちゃんがこの子みとって、親分が対応。
対応できひんくらいすごい人数やったら、親分はこの子連れて空に逃げるさかい、自分は気合い入れてなんとか撤退し。ええな?」
ああ、ギルベルトの中の優先順位をわかっていてそれを尊重してくれるアントーニョは本当にありがたい。
これがルートやフラン、いや、アントーニョ以外の他の誰でも、アーサーを置いて2人で逃げると言うだろう。
ダンケ、と、ギルベルトはようやく小さく笑みを浮かべると、先に立って歩くアントーニョのあとをアーサーを抱えて追った。
事故後おそらく1時間強。
まだ中央政府の方は事態の対応が出来ていないのだろう。
発電施設に一番近い病院だったせいで発電施設も破損していて、おそらく直接的に被害がなかった他の病院もおおわらわだ。
だから辺りにはまだ誰もいない。
そんな風にただ死体と瓦礫が溢れかえる中を歩き続ける途中でアントーニョが口を開いた。
「なあ、ギルちゃん」
「ん?」
「一応…一応な、覚悟はしときや?」
「ああ、もちろん。俺様だっていつも前戦に出てんだぜ?」
「…そっちやなくて……」
「…?」
「心肺停止な、しとったわけやから、何かしら脳に影響あるかもしれへんで。
体の障害、記憶障害、何かしらの障害が出るかもしれへん。
けどな、一つだけ言うとくわ。
それでも、大事な子ぉの散々嬲られたあとの遺体とか見つけて、自分がその子の命どころか尊厳さえ守ってやれへんかったって見せつけられる事に比べたら、本当に幸せや。
守ってやれるところが残っとるだけ幸せな事やからな。
守ってやれた部分を全力で守ってやり?」
そう言うアントーニョの表情は後ろからでは見る事は出来ない。
が、いつもより、いや、いつも以上に淡々とした口調で語るアントーニョ。
それは…お前の経験なのか?と、喉元まで出かかったが、聞いて良い事ではないことな気がして、ギルベルトは寸でで言葉を飲み込んだ。
アーサーに関して言うならば、ギルベルトが出会ってからのアーサーはずっとベッドの上の病人だったし、ギルベルトが目にするアーサーはいつも横たわっていたので、多少の障害が残って、例えば寝たきりになったとしても、ギルベルト自身はそうショックはうけないだろうと思う。
強いて言うなら…もしアーサーがそれでショックを受けるような事があれば、全力で力づけてやらねば、と、思うくらいだ。
そんな事を考えていたギルベルトが直面したのは、思いもかけない方向の障害だったのだが、この時はまだそんなことは想像だにしていなかった。
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